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第二章 変わり者のお嬢様 3

 一方、そんな兄の期待など知りもしない妹はと言えば、それから三十分ほど馬車を走らせた辿り着いたお目当ての場所で、もうすっかりと慣れた足取りで通りを歩き始める。

 慣れるまでは、あちらこちらへと目移りして、その度に足が止まっていたが、すっかりと慣れた今になっても実はあまり初めの頃と大差ない。

 物珍しさに足を止めることは少なくなったとしても、今度は周囲から掛けられる人々の声で立ち止まる事が多くなったからだ。

 出来るだけ目立たないようにと地味な姿をしていても、見るからに育ちの良い言動と、仕立ての良いドレス、そして毎度必ず供が付いているとなれば、誰の目にもアデリードが良い家の娘の酔狂だと予想するだろう。

 そんな娘が愛想良く目の前を通りかかるのだ。純粋にこれまでのやりとりから親しみを持って声を掛けてくる者もいるだろうが、中には世間知らずなお嬢様に二束三文の価値のない品物を売りつけたり、口先で騙して利益を得ようとする者も必ず出てくる。

 セリアが女主人のこうした外出を快く思わないのも、名門ラッセルの娘に相応しくないという事の他に、こうした心配事も存在すると知っているからだ。

 領地では誰もがアデリードの事を知っていて、進んで彼女を騙そうとする者など無きに等しかった。例えいたとしても、すぐに近くの住民が気付いて止めに入ってくれるので、そう言った被害に遭ったことはこれまでに一度も存在しない。

 しかし、全てが全て、領地での時のように善良で正直な人間ばかりとは限らないのだ。

 元々セリアは今でこそアデリードの侍女をしているが、生まれはラッセルの領地で小さな商店を営む、商人の娘である。庶民のことは良くも悪くも充分に承知している。

 きっと自分だって、侍女の仕事をせず家の仕事を手伝っているときに、目の前をお金を持っていそうな貴族の娘が通ったら、そして話しかける事が出来るほどの相手なら、自分の心が痛まない程度に店の商品に色を乗せて購入を勧めるだろう。相手の無知を利用して、何でも無いことをさも、素晴らしいことのように説明しながら。

 商売とは、そう言う物だからだ。

 実際に今目の前で、アデリードは雑貨屋の店先で足を止め、そこの女主人から何の変哲も無い壺を差し出されて、手にしている。

「これは、遙か東の大陸の和の国から伝わる由緒ある壺で、この壺を枕元に置き、北東に足を向けて寝ると、どんな願い事でも一つだけ叶うと言う言い伝えがあるのです!」

「まあ、どんな願いでも? それは素晴らしいですわ! でもどうやって壺が願いを叶えてくれるのかしら?」

「和の国には、ヤオヨロズノカミ、と言う物が存在して……」

「お嬢様!」

 ふんふんと店の女主人の話に目を輝かせながら耳を傾けているアデリードから、セリアの手が壺をむしり取ると、半ば押しつけるように女主人の手に押し付けて返した。

 セリアの突然の行動にアデリードは驚いて目を瞬かせたが、それもごく短い間の事ですぐに、今耳にした珍しい話を、自分の侍女に得意げに語って聞かせようとするのだが。

「ねえ、セリア。この壺はとても由緒ある物だそうで…」

「この壺は、すぐそこの職人街で作られた大量生産の、ただの花瓶です! 近所の店先を眺めるだけで、同じような壺はいくつも売ってますよ」

「そうなの?」

「これでも私は商人の娘です! 多少の目利きには自信があります、ええ、そうですよね女将さん?」

 セリアにじろりと睨まれて、女主人は多少罰が悪そうに肩を竦めて見せた。それでもこのまま引き下がるには惜しいと思っているのか、何事かを言おうと口を開き掛けたけれど。

「商品の性能や価値を、多少大げさに言って値をつり上げる行為はまだ許容範囲ですが、有りもしない効果や出任せで品を売りつける行為は、詐欺と言う立派な犯罪です。それはもちろん、承知しておいでですね?」

「………」

「ご不満であれば、警備隊の方をお呼びして事情を説明し、真贋判定の手続きをして頂くことも可能ですが、いかがしましょうか!」

 まるで立てた板に水を掛け流すがごとく向けられるセリアからの言葉は、早々に女主人の商売心を引っ込めさせてしまったらしい。

 そんな真似をされて、結果が形となって出てしまえば誰が一番困るかなど明白だ。

「ま、まあ、いやですわ、お嬢さん方。私はただ、そう言う曰くがある壺もこの世にはあると、聞いたことがあったお話をして見ただけで……」

「では、この壺自体にはそう言った曰くはないと言う事でよろしいのですね」

「………ええ、まあ……そうですね」

 渋々と認めて、手の中の壺を抱えるようにそそくさと店の中に引っ込んでいく。

 そんな女主人の背を見送って、少しばかり残念そうにため息を付いたのはアデリードの方だ。

「何でも願いを叶えてくれるなんて……嘘だったのね」

 もしかしたらと思ったのに。

 声には出さなくても、その後に続くだろう言葉は、セリアには知られてしまったらしい。

「お嬢様。もしかして、手っ取り早く壺で思い人を手に入れよう、なんてばかばかしい事を本気でお考えになられたわけではありませんね!?」

「い、いやあねえ、そんなこと、あるわけないじゃないの。ええ、ありえないわよ、そんな都合の良いこと!」

「では、壺に何を願おうと思われたのです?」

 侍女の追求はなかなかに厳しい。明後日の方向に顔を逸らし、視線を彷徨わせながらもアデリードが、

「ええと……せ、世界平和?」

 そんな、いくらあの壺が本物だったとしても、たった一個の壺が叶えるにはかなり重たい願いだろう、苦しい言い訳を口にした直後だ。  

 どん、と後ろから小走りに駆け寄ってきた誰かにぶつかられて、まるで体当たりされたかのような勢いに、セリアの身体が煉瓦敷きの道路に放り出される。

「セリア! 大丈夫!?」

 あっと気付いたときには、倒れたセリアの手にしていたはずのバッグが消えていた。振り返れば、先ほど自分たちに向かって突進してきた人物……それはまだ十代半ばにもなっていないような少年だったが、その少年の手に見覚えのあるバッグが握られている。

 小柄な少年の身体は、みるみるうちに通りの向こうへと消えていこうとしていた。

「待ちなさい!」

 セリアが止めようとした時には、もう遅かった。立ち上がる間もなく、

「あなたはここで待っていなさい」

 そう言い置いたかと思うと、アデリードはもう駆け出している。

「お、お嬢様、待って、待って下さい…!」

 もちろん、それでアデリードが止まるわけもなく。哀れな侍女をその場に残し、今にも見失ってしまいそうな、ひったくりの少年の背を追って、ひたすらに走る。

 頭では、ここは無理に追いかけるよりも素直に被害届を出すべきだと判っていた。けれど同時にアデリードは、いつもセリアが外出する際に手にするあのバッグには、二年前に亡くなった彼女の祖母の形見であるブローチが大切にハンカチに包まれてしまい込まれている事を知っている。

 そして彼女の亡くなった祖母とは、アデリードも面識がある。彼女を侍女として屋敷に迎え入れるとき、くれぐれも孫娘をよろしくお願いしますと優しく微笑みながら頭を下げた、あの老女の形見を失うことは、セリアだけでなくアデリードに取っても放っておけない心の痛みになるだろう。

 だからなんとしてでも、あのブローチだけは取り戻さなくてはならないのだが。

 走り始めてすぐに息が切れ始め、足が痛み出した。

 元々華奢な靴は走ることには向いていないし、他の令嬢に比べれば体力はある方だと自信はあっても、やはり普段の生活の中で走ることなど滅多にない。

 それに比べ、こういったことを生業としている少年の足は速く、みるみる引き離されて、とうとうその姿も見えなくなってしまう。

 それでもアデリードは恐らくこちらの方向だと思える方に向かって走ったが、気がつけば表通りから裏路地へと入り込んでしまったようで、足を止めた時にはもう自分がどこにいるのかも判らない。

「確かにこの辺りだと思ったのに……」

 辺りを見回しても、あれほど沢山いたはずの人の姿はなりを潜め、しんと奇妙な静けさが広がっている。だがそれが、真実の静けさではないことは、先ほどからぴりぴりと肌に突き刺さるような感覚で察する事が出来た。

 人の姿は見えない。

 でも、誰かがこちらを見ている。それも一人ではなく、複数の人間がだ。

 物陰に隠れ、こちらに姿を見せないながらも、裏路地に迷い込んだ場違いな娘の存在に警戒してるのだろうか。彼らがまだ警戒している間はいい。

 けれどそれが、やがて獲物として認定されてしまったら。

 ハッと振り返って自分が今走ってきた方向を探そうとするけれど、判らない。では表通りはどちらの方かと見回しても、どこを見ても同じような風景が広がるばかりで、全く判らない。

 どうしよう、とさすがに心が怯えて途方に暮れた。

 とにかく歩き出さなくてはと思っても、適当に足を向ければさらに深みにはまりそうで、足を動かすこともままならず。

 その時、がたり、と背後から物音がして、弾けるように振り返った先に一人の男が姿を見せる。

 一目見て表通りの人々とは違い、まともな仕事をしていない人種の男だと判る。

 目が合うと、どこか白く濁った眼差しでにたりと笑った。あの男に、表通りに戻る道を聞いたところで、到底教えてなど貰えないだろう。

 男に背を向けて逆の方向へ走ろうとしたアデリードだったが、視線を元に戻して驚いた。一人の男に気を取られている内に、自分の周囲から、逃げ道を塞ぐように他の男たちがこちらを取り囲んでいたのだ。

 アデリードのいる場所を中心として、道は三本。その三本の道全てに、男が一人ずつ……まるでからかうようにこちらへと近づいてくる。

 どうしよう、どうしたら?

 今更ながらにアデリードの脳裏に、兄の忠告が蘇ってきたが、だからといって今となってはどうすることも出来ない。

 とにかく逃げなくてはと思いはしても、どの道を選んでも、男の一人とは対峙することになる。ドレスの下の小刻みにふるえだした両脚は、きちんと動いてくれるだろうか。

 自分が持っている金銭や宝石のたぐいを放り出せば、見逃してくれるだろうか?

 ……いや、それはないだろう。いくら世間知らずなアデリードでも判る。

 彼らにとって今ここで、もっとも価値がある物は使えばなくなってしまう金や宝石ではなく、アデリード本人なのだから。

 ひゅっと、吸い込んだ空気が喉の奥で小さな音を立てた。噛み締めた歯が、カチリと細かい音を立てる。

 男たちはじりじりと包囲網を縮め、アデリードは彼らから逃れるように後ずさる。けれども道を塞がれていてはやはりどうしようもなく、やがて背が薄汚れた建物の壁にぶつかり、行き場を失った、その時だ。

「何故あなたが、ここにいる」

 掛けられた声にハッと顔を上げれば、右手の道を塞ぐ男の背後に三頭の騎馬の姿が見えた。

 その先頭にいる男が、アデリードをまっすぐに見つめている。

 以前会った時よりも、いささか険しい表情をしているのは、こんな場所にいるアデリードを咎めているのだろうか。

 再会できたときはどれほど嬉しいだろうかと想像していたが、実際胸を満たしたのはこれ以上無い程、足から力が抜けてしまいそうになるくらいの安堵だった。

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