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第一章 それは一方的な運命の出会い 1

 だから、男って嫌いなのよ!


 ガラガラと土埃をまき散らし、激しく揺れながら疾走する馬車の中で、アデリードは開かない扉を力任せに素手で殴りつけた。履いていたはずの絹の手袋は、何度も扉を殴りつけた衝撃にあっさりと負け、薄汚れて破れた無残な有様でアデリードの足元に丸めて放り捨てられている。

 殴り続けた白い手が、その衝撃で赤くなり鈍い痛みを訴え続けても、アデリードは内側から扉を殴りつける行動を止めようとはしなかった。

 手が痛くなったら、足で。靴のヒールが折れ、自身の身体が支えられずに不安定になってからはまた手で。

 およそ社交界でもてはやされる淑女にはほど遠い今の姿を、もし誰かが目にすれば、楚々と微笑んでいる姿と鬼気迫る今の姿とのギャップに、自分の目が壊れてしまったのかと真剣に疑うところだろう。

 だが、アデリードにはそんなことは関係が無い。

 開かない扉を無理にでも開ける事を諦めてしまえば、そこで自分の人生は真っ暗な谷底に落ちていくだろうと、嫌と言うほど判っていれば尚更である。

 噛み締めた口の中からは、先ほどからずっと獣が唸るようなうなり声が漏れ続けている。

 彼女がそんな風になるのには、もちろん理由がある。こんな馬車に彼女は自ら望んで乗り込んだ訳ではなかったし、こんな風に乱暴に王都の公道を走り抜けろと命じた覚えもない。きっと馬車が向かっている先も、彼女の屋敷であるラッセル伯爵邸では無いだろう。

 思えば彼女もグルだったのだと、今更ながらにそう思う。

 先日のパーティ会場で知り合った時には、可愛らしく純情そうな令嬢だと思ったのに、いざ彼女の誘いに乗って、ハイドパークへと出向いてみればこの有様である。

 良いお天気ですもの、お散歩しながらお茶をしませんか、なんてにっこり可愛らしい笑顔を浮かべながら、きっとお腹の中では、ほいほい騙されて出てきたアデリードを笑っていたのかも知れない。

 あれよあれよという間に人気の無いところへ連れ込まれたと思ったら、やっぱりあれよあれよという間に近くに乗り付けてきた馬車の中に引きずり込まれ……慌ててとりついた馬車の窓から覗き見た、自分を誘い出した令嬢は微笑みながらにこにこと手を振っていた。

 可愛らしい仮面の下は、蛇かサソリか。

「ああ、もう!」

 心の中で呪いの言葉を何度も繰り返しながらも、硬く閉ざされた扉は開かない。

 冷静に考えてみれば、施錠された状態で女の細腕で殴って、簡単に開く扉があるわけがないと判るのだが、それじゃあ仕方ないと諦められるほど自分の人生を達観してもいない。

 けれども物理的な問題は無情にもアデリードの前にそびえ立っていて、きっと骨が砕けるほど叩いてもこの扉が開くことはないだろう。

「私が一体、何をしたというのよ…!」

 最後に悲鳴のように叫んで、思い切り扉を蹴った。

 その弾みで踵のない靴底が妙な方向に曲がり、足首に思いがけない痛みを与えてくる。

 靴も悪かったし、激しく揺れる車内の振動もまずかったのだろう。

 うっ、と呻いたときには既に遅く、渾身の力で蹴り上げた足は見事に挫いてしまったようで……乱暴に馬車の座席を叩いて、その場に崩れ落ちるように座り込んでしまった。

 これから先、自分はどうなるのだろう。どこへ連れて行かれるのだろう。そしてその先で、何が待っているのだろう。

 こんな手荒な、犯罪まがいの行為をしてまで連れ去るのだから、きっとろくな事ではないのは確かだ。

 おそらくは、馬車の行き着く先ではいやらしく笑うどこかの貴族の男が、アデリードの到着を待っているに違いない。

 さすがに殺されるとは思わないし、貴族の令嬢が一枚噛んでいるのだから身代金を要求して事件沙汰にするつもりはないだろうが、多分きっと自分のこの身は無事では済まないに違いない。

 どんな強引で非合法なやり方であれ、貴族の娘にとっては身の純潔というのは宝石よりも価値のあるもので、純潔を奪われた娘は本人の意思にほぼ関わりなく、その相手の元へ嫁がなくてはならないと言う、暗黙の決まりがある。

 つまり男は、その気にさえなれば正式な手順を踏み愛を囁かずとも、女を組み敷いて既成事実さえ作ってしまえば、ほぼ思うがままだ。

 もちろんそれは非難されるべき事であり、決して褒められる事ではない。表沙汰になれば社交界でも非難の的になるし、評判は地に落ちる。

 国でもそう言った、事実婚のような行為は禁止されており、女の側から訴えがあれば厳しい処分を受ける決まりだ。

 けれどもそれ以上に辛い立場に立たされるのは女の方で……結局自分自身や家の名誉を守るために、泣く泣く男の元へ嫁ぐ場合が多いのが現実だった。

 多分、今回アデリードを浚ったのも、そうした事実婚を狙う男の誰かではないかと思う。それだけアデリードは自分が社交界で注目を浴びている事は自覚していたし、何より王家すら一定の敬意を払う、国の建国時より続く由緒あるラッセル家は、多少強引な手段を使っても縁を結びたい家柄のはずだ。

 爵位こそ伯爵だが、その内実は侯爵、あるいは公爵家にも匹敵しようかという力があることは、周知の事実である。

 生憎、散々貴族社会の表と裏を見知っているアデリードの両親には、そうした家柄を利用して、さらなる家の発展を望んだり、国の中枢に乗り込もうなどという野心は皆無で、権力争いとは一線を画した場所でのんびり穏やかに、望むのは平和な生活という何とも暢気なものだが、そうした父の気質が王にも好まれ、信頼されているのも事実。

 だからこそ、アデリードも子供の頃からある程度自由に、のびのびと、家族の愛情に包まれて育ってきた。そののんびりした生活を、自分の意思とは無関係の場所で壊されてなるものか。

 手も足も、ずきずきと痛い。その痛みは無視できないほど大きくなりつつあるけれど、それ以上に、ここで負けて堪るかと言う気持ちの方が強い。

 一度自分の呼吸を整えて、馬車の中で何か役に立つ物が無いか、改めて確かめようと周囲を見回したその時だった。

 ガラガラと激しく揺れる馬車の車輪の音に紛れて、外の音など全く聞こえなかったため、アデリードにはその瞬間がまるで予測出来ず、中途半端に腰を上げていた姿勢も災いして、突然つんのめるようにして止まった馬車の衝動に吹っ飛ばされるようにして、反対側の座席にしたたかに身体を打ち付ける羽目になった。

 その衝撃に、悲鳴も出なかった。

 一瞬呼吸が止まり、気が遠くなりかける。幸いだったのは、頭をぶつけずに済んだと言う事だろうか。下手をすれば壁や座席の角に頭を打って、そのまま昇天していても可笑しくない。

 身体を襲う痛みにしばし悶絶するように呻きながら、短い呼吸を繰り返し、やっとの思いで身を起こした時には、馬車がこんな急停車をするような騒動はもう収まりを見せていたようだ。

「無事か!」

 あれほど力一杯手足で殴りつけても開かなかった扉が、外側から鍵を破壊するように殴り壊されて、いともあっさりと外側に開く。

 痛む身体を引きずるように顔を上げたアデリードの目に映ったのは、見覚えのない若い騎士だった。

「どこにも怪我はないか」

 騎士が身につけている騎士服は、王立警備隊の物だ。その名の通り、王都を中心として国の各所を警備する騎士団の一つで、国旗をモチーフにした目の覚めるような青と白の隊服は国の若者の憧れの象徴である。

 胸元の白百合のバッヂは、彼が小隊長であることを示している。

 その姿を目にし、彼が何者かを理解したとき、不覚にもアデリードは自分の全身の力が抜けていくのを自覚した。

 助かったのだ。

 アデリードが身動きせずにいると、騎士は先ほどの衝撃で彼女がどこか痛めてしまったのではと考えたらしい。

 失礼、と一言詫びて、大きく開け放たれた出入り口から中へと乗り込み、すぐ目前に近づいてくる。

 間近で見上げて、まずアデリードが認めたのは彼の額からこめかみに走る傷だった。続いて、そんな傷があっても損なう事の無い顔立ち。

 きっと多くの貴族の令嬢が夢見るような、綺麗に整った顔立ちとは言えないかもしれないが、ある種男らしい精悍さが存在する。王子様と言うよりは文字通り、騎士や戦士、と言ったイメージが似合う。

 その分、粗野で乱暴な印象を与えがちなのだろうけど、心配そうにアデリードを見つめる瞳は実直な生真面目さがうかがい知れて、少なくとも今この場で彼を信用しても裏切られることはないだろうと思わせた。

 アデリードがそんな風に騎士を観察している間に、相手の方もこちらを観察していたらしい。

 彼の瞳が自分の顔から足元へと移動する視線を感じて初めて、どんな姿をしているのかを察して顔が赤くなる。

 自分と来たら、馬車に振り回された結果とは言え髪も乱れてぐしゃぐしゃで、身に纏うドレスも皺が付いていたり、汚れていたり。本来長いドレスに隠されているべきはずの足も、スカートがまくれ上がってふくらはぎから下が露わになっている。

 その露わになった足にはいている靴は、踵が折れて傷だらけ。

 とてもではないが殿方の前に出られる姿ではない。

 なんてはしたない姿だと呆れられても良いはずだったが、若い騎士はそうしたアデリードの姿に逆に申し訳なさそうに眉を寄せた。

 慌ててスカートを引っ張り足元を隠すも、特に彼が目を向けたのは、彼女の真っ赤になった両手だ。夢中になって扉を叩いていたせいか、痛々しいほど赤く腫れて熱を持っている。

「悪かった。やむを得なかったとは言え、乱暴すぎたな」

 こんな有様だから、彼の目にはアデリードは、伯爵令嬢には見えていないのだろう。どこか良い家の娘だという推測は、立てているだろうけれど。いささか砕けた口調がそれを証明しているようで…でも今は、その方が有り難かった。

 変に丁寧に相手をされる方が、心が頑なになりそうだ。

「…いえ、これは先ほどの事が原因でなったものではありませんから。………何とか、扉を開けようとして……」

 滅茶苦茶に殴り続けた結果だとは言わなかったが、騎士は察したらしい。

 一瞬だけ彼は驚いたように目を丸くして、扉の内側に目を向ける。そこでささやかながらにあがいた結果のように付いた扉の傷を見て、次いで再びアデリードの両手を見た。

「自分で脱出しようとしたのか」

「いけませんか」

 その声に、いささかの呆れが含まれたように感じ、睨むように言葉と視線を返す。

 浚われた令嬢は、大人しく助けを待つか、自分の運命を受け入れるかしかないなんて決まりは、存在しない。

 そんな他力本願も、成り行き任せもごめんだ。

 そう言った気持ちで見返したのだが。

 直後帰ってきたのは、騎士の苦笑交じりの賞賛だった。

「勇敢なお嬢さんだ。あなたの勇気に、敬意を払おう」

 アデリードが認識できた騎士の言葉はここまでだ。その後騎士は、けれど走り狂う馬車から脱出など危険きわまりないから、無茶はしない方が良いなどという言葉が続くも、それが耳に届くよりも早くに、俯いたアデリードの瞳から涙がこぼれ落ちる。

 アデリードの涙に騎士はいささか慌てた様子だったが、よほど怖い思いをしたのだろうと、無理に泣き止ませることはせず、彼女の様子が落ち着くのを黙って待ってくれる。

 ようやく涙が収まったのはどれくらいの時間が過ぎてからか。彼の仲間だろう二人の別の若い騎士が外から掛けてきたその声で、アデリードは知る。

 ウォルター。

 それがこの若い騎士の名であるようだった。

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