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第二章 変わり者のお嬢様 5

 そういえば、とアデリードが声を上げたのは、ウォルターの馬に同乗してから間もなくのことだ。

 自分とウォルターを先頭に、その後にジェイドとマクレイドの二人が続いているが、一番後方にいるマクレイドの馬にくくりつけられた、ひったくりの少年のことを思い出したのだ。

 首を巡らせて振り返り見る限り、少年は観念したのか大人しく馬の背に腹ばいになっているが、その後一体彼はどうなるのだろう。

 犯罪に対する処罰に程度については国で定められているが、実際のところは罪を犯したその領地を預かる領主の意向が大きく影響する。

 ラッセルの領地での窃盗は軽くて罰金、悪くて期限を定められた過酷な強制労働と言ったところだが、場所によっては窃盗の程度に関わらず問答無用で片手を切り落とすところもあると聞く。

 王都はもちろん国王の管轄になるが、その分罪に対しては厳しい姿勢を貫くかも知れない。

 ひったくりという行為に対してアデリードは少年を庇うつもりなど毛頭無いが、過ぎたる罰はさらに少年の今後を暗いものにしてしまうような気がして、それが気に掛かる。

「あの少年は、どうなるのでしょうか?」

 アデリードの視線が少年を追っていることにはウォルターも気付いていたらしい。

 さして感情のこもらない声で、逆に問われる。

「あなたはどうして欲しい?」

「えっ」

「どのように罰して欲しいのかと尋ねている。被害者が貴族であった場合、その被害者の感情も考慮しなければならない」

「……」

 一瞬だけ、嫌な言い方だと思ってしまった。ウォルターのこの言葉では、もし被害者が平民であった場合は被害者の感情など構わず、決められた罰を決められた程度に与えるが、貴族であった場合は被害者感情をくみ取って、罰を足し引きすると言っているように聞こえる。

 実際、その通りなのだろう。

 アデリードの感情一つで、下手をしたら少年の未来を完全に閉ざすことさえ出来る。実際そう言った罰を求める貴族も少なからずいることだろう。

 領民も同じ人間として大切にする貴族もいれば、自分たちより遙かに劣った存在として見下す貴族もいる。そしてそう言った貴族からすれば、自分の持ち物に手を出すような身分卑しい存在は、生きている価値さえ無いと平気で言い放てる相手なのだ。

 ウォルターの声は、まるでアデリードを試そうとでもしているかのように聞こえた。

 あなたはどちら側の人間だ、と。

 そんなことを聞かれることも残念に思ったし、試されることも残念に思った。

 しかしウォルターとのこの先を期待するならば、アデリードには彼の問いを笑って受け流すことは許されない。

 以前、レイドリックから聞いたことを思い出す。

 ウォルターは貴族に対して良い感情を持っていないと。

 きっとこんな試すような言葉も、そうせざるを得ない彼の経験から産まれているのだろう。その返答次第でウォルターは、同じ貴族でも近づいても良い相手と、そうでない相手を振り分けるのだ。

「……私は……過度な罰は、望んではいません」

「ならば、このまま許してやると?」

 お優しい事だと、彼の呟く声が聞こえる。言葉だけを聞けばアデリードの慈悲に感心しているようにも聞こえるが、その声の中に僅かな嘲りが含まれている事にも、アデリードはちゃんと気付いていた。

 彼は知っているのだ。例えこの場で慈悲を与えて、次からはこんな事をしては駄目だと諭して解放したとしても、それは何の解決にもならないと。

 日を変え、時間を変え、そして被害者を変えて少年はまた同じ罪を繰り返す。そうしなければ食べていくことが出来ない環境に、彼はいるのだから。

「いいえ、罰は必要です。意味も無く罪を見逃しても、それは秩序を乱すだけです。罪にはそれ相応の罰は与えなければなりません」

 しかしそれが度を過ぎていてはならない。

「罪の度合いに応じて、適切な罰を。それを決めるのは国であり、そしてこう言った問題を解決するのも国で無ければならないと私は思っていますわ」

 ただ自分の欲望を満たすことだけを目的とした窃盗ならば、もっと重い物であって構わないとアデリードは思う。もう二度とこんな罰を受けたくは無いと思うくらいの。

 けれど窃盗を行う者の多くは…特に少年のような若年齢の者は、欲望を満たすためでは無く、命を繋ぐために仕方なしにやっている者が殆どだ。

 今にも死にそうな程腹が減っている人間に、目の前にあるパンに手を伸ばしてはなりませんといくら優しく言い聞かせたところで、それでは全く意味が無い。

 親のいない者、いても子供を育て守る力の無い者、頼れる者のいない者、学が無く、力に訴える事しか出来ない者。場所によってはたった一つのパンが理由で人が死ぬ国もあると聞く。

 そういったところに比べればこの国はまだ遙かにマシではあるが、どこにでも必ず弱者は存在する。この王都にだってスラムと呼ばれる場所は存在するのだから、人ごとでは無い。

 生きるために犯罪に手を染める者は、その生活環境を改善してやらなければ、止めたくても止められない。例えば片腕を失うことになろうとも、今この瞬間を生きるためには、残るもう片方の手で他人の持ち物を奪わなくてはならないのだ。

 両腕を失い、もはや物理的に動く事が出来なくなるまで。そして出来なくなったその時は、待っている未来は死である。

 そんな生活を変えるのは、個人の力だけでは無理だ。国の、行政の力がどうしたって必要になる。本来罪を裁く人間は、個々の感情を考えてはならない。

 とは言ってもアデリードも人間なので、大切な人や家族を傷つけられたときには、相手に対し極刑を求める事もあるのかもしれないけれど……少なくともブローチはちゃんと手元に戻って来た。多少時間は取られたが、被害と言えばそれだけの事。ことさら騒ぎ立て、怒り狂うようなことでも無い。

「私の考えは、どこか間違えていますか」

 もし間違えているというのならばきちんと教えて欲しい。そうすれば、改められるだけの余裕は、自分にはあるとそう思っていた。

 けれど、ウォルターはそんなアデリードに緩く首を横に振る。

「いや、非の打ち所の無い、非常に立派な言葉だ」

 一瞬だけ、ウォルターに自分の言葉を認められたような気がした。

 が。

「自分の言う言葉に何の間違いも無いと、信じている人間の言葉でもある」

 思いがけない辛辣な言葉に、自分の身体がぎくりと強ばる。それまでウォルターに触れることで頭に上っていた血が、すっと下がったような、そんな錯覚がするほどに。

「そんな、ことは……」

「あなたは知っているか? 自分の言葉はどこか間違えているだろうかと問う人間の殆どは、間違えている訳がないと言う自信が前提にあるからこそ、問うことが出来るのだと」

「……」

 そんなことはない、とは言い切れなかった。確かにアデリードの心の中に、そう言った自分の考えにある程度の自信があったのは事実だ。それが奢りであり、またごく一部分しか知らない世間知らずな人間の綺麗事と言われれば……否定は出来ない。

 物わかり良く判った振りをして、理解しているふりをして、本当にあなたは判っているのかと、そう鋭く問われたような気がして言葉が出てこなくなってしまう。

「……失礼、あなたに言うような話では無かったな。あの少年の事に限って言えば、あなたが心配するような過度な罰は与えられないだろう。無罪放免という訳には行かないが、確かに一人の少年を過剰に罰するよりも、現在の行政のあり方を早急に見直し、援助や福祉を向上させて行く方が重要であることは、我々も承知している」

 だから安心しろと、そう言う事なのだろうか。

 どこか取り繕うように続けられた言葉は、ウォルター自身も自分が思いも掛けず手厳しい言葉をアデリードに向けてしまったと言う自覚があるからなのかも知れない。

 それきり沈黙して、会話もなくなってしまった二人の間に、静かに馬が歩を進める蹄の音ばかりが響く。後から続くジェイドとマクレイドの二人が、何とも苦い表情をしながらこちらの様子を伺っている姿が、視界の端に映った。

 やがてどれほど進んでからか、途中でマクレイドが馬を歩かせていた列から抜けた。もう間もなくモールセン通りというところで別れた道の向こうに、警備隊が駐屯しているという駐屯所の一つが存在するらしい。

 そのマクレイドの背を見送ったのはほんの僅かの間のことで、すぐに互いに離れて開いていく距離の向こうに隠れて見えなくなってしまう。その、マクレイドの馬にくくりつけられた少年の姿を、アデリードは見えなくなるまでずっと見つめていた。

 モールセン通りに辿り着いたのは、それからさらに先に進んでからのことだ。

 想像していたとおり、ひったくりにあった現場でどうすることも出来ずに立ち尽くしていたセリアは、ウォルターの馬に乗せられて戻って来たアデリードの姿に涙を浮かべんばかりに安堵して、その後に心配しすぎていたのだろう。

 へなへなと腰を抜かしたように煉瓦敷きの道に座り込んでしまう。

 年頃の娘としてはいささか褒められた事では無いけれど、彼女がそうなってしまう理由も判る。

 セリアが先に馬から下り、彼女の元へと駆けつけたジェイドの手を借りながら、どうにか立ち上がった後に待っていたのは、やはり当然ながらのお説教だ。

 半分泣きながら、残る半分は本気で、

「あなたは! ご自分の、立場というものを、ご理解されていらっしゃるのですか!」

 と、実にご尤もな叱責をぶつけられれば、アデリードも神妙に謝罪するより他に無い。

 それだけセリアにも心配をさせたということだ。

「ごめんなさい、セリア。………でもほら、私は無事だし、これもちゃんと無事に戻って来たわ。どうかあまり、責任を感じたりしないでね」

「もう! そんなの、無理に決まっているじゃありませんか…!! あんまり心配させないで下さい、心臓がいくつあっても足りませんよ…!」

 アデリードの差し出した、ブローチを乗せた手をすり抜けてセリアが、自分の若き女主人の身に縋り付く。

 二人の身分を考えればとんでもない無礼と取られても仕方の無い行為だが、アデリードがそれを責める事はない。むしろ、逆に申し訳なさそうに眉を下げて、セリアの背を何度もなで摩った。

 主従というよりは親しい友人同士のようなやりとりに、周囲の人々の目が柔らかく綻ぶ。そうした人々の中で無言で背を向けたのはウォルターだ。

 アデリードがあと数秒、それに気付く事に遅れれば、また彼女は意味も無く会えるかどうかも判らないモールセン通りやその周辺を行ったり来たりする日々が続いたかも知れない。

 けれど、幸いなことに辛うじて気付いたアデリードは、ようやく涙が落ち着いた様子のセリアの身を離して、慌てて今にも馬に乗り上がり、駆け去ってしまいそうなウォルターの背を呼び止める事に成功する。

「待って…待って下さい、ウォルター様!」

 馬に乗る寸前でウォルターは、鐙に掛けていた長靴を下ろしてこちらへと振り返った。その表情は相変わらず厳しくて、思わずそれだけで言葉が詰まりそうになってしまう。

 けれどここでくじければそれまでだと、アデリードは必死に己の腹に力を込めると、彼の瞳を見返した。

 本当ならばもっと楚々と大人しく、はかなげな令嬢を演じた方が男性の好みなのかも知れない。でもそんなのは、本当のアデリードの姿では無い。

 残念ながら今の自分と彼との間には、まだまだ大きな距離があるように思うけれど、自ら進まねば縮まる事もないだろう。ならば、先を行くしかない。

「ウォルター様。確かに私は、通り一遍の事しか知らない、世間知らずな娘です。ですけれど、だからといってこれから先も同じであるとは限りません」

「……何?」

 足も手も、小刻みにふるえた。女が何を生意気な事をと言われたらと思うと、それだけで気持ちが竦みそうになる。

 だけど、言わなければ後悔する。自分は、こういう人間なのだと。

「どうか、私に世間の事を……そしてあなたがお考えになっていることを、教えて下さい。先ほどあなたは私が自分の考えていることが間違えていないと信じている人間だと、そう仰いましたが……同じ事はあなたにも言えますよね」

 世間知らずな娘だと。

 貴族の娘の娯楽だと。

 苦労したことの無い人間の、綺麗なだけの言葉だと。

 口には出さずとも、彼が腹の中で少なからずそう考えているだろう事は、何となく感じられた。以前レイドリックから聞いていたとおり、貴族に対して良い感情を持っていない、という言葉通りか、あるいはそれ以上に……ウォルターは貴族に対して軽蔑に近い感情すら抱いているのでは無いかと思う。

 きっと過去に彼にそう思わせるだけの何かがあって、それが根強くウォルターの中に存在しているのだろう。実際に貴族の中にはアデリードでも眉を潜めたくなるような人間が多くいることも、知っている。

 でもそれが全てでは無い。全ての貴族がそうだとは決めつけないで欲しい。

 精一杯の気持ちで訴えれば、ウォルターは一瞬だけ虚を突かれたように細い瞳を見開いて、すぐにその驚きを消し去ると何とも言えない複雑な表情を見せた。

 そのままどれほどの沈黙が過ぎたか……不意に立ち去ろうとしていたウォルターがこちらへと歩み寄り、僅かに躊躇った後でアデリードの左手を取ると、その指先に口付けを落とす。

 さらりと乾いた唇の感覚が指先の皮膚を通じて伝わり、内心どきりと跳ねた鼓動を隠しながら彼の瞳を見返したアデリードは、先ほどよりも幾分和らいだウォルターの瞳に迎え入れられた。

「…失礼。あなたを侮辱する意図は無かった」

 その瞳を見つめて、ああ、やっぱり綺麗な瞳だと、心の何かが吸い込まれるような感覚を受ける。

「だが、自分の言葉がいささか大人げなかったと謝罪しよう。非礼を許して頂きたい」

「…謝罪を受け入れますわ。その代わりと言っては何ですけれど……ウォルター様」

 視線だけで先を促すウォルターに、アデリードは続けて言った。

「先ほども申し上げたとおり、私にあなたのことを教えて下さい。あなたの言葉を通じて、私は自分の知らない様々なことを知りたいのです」

 ウォルター自身の事も、そうでない事も。

「俺のことなど知っても、何も得るものなど無いと思うが」

「そんなことはありません。次は、駐屯所に伺います。お仕事の邪魔は致しませんから、少しだけでも………会って頂けますか」

 後ろでジェイドが、まるで口笛を吹くようにその唇を尖らせて見せた。音を出さなかったのはさすがにそれがあまりに品が無いと理解したが故の自重だろう。

 だが折角ジェイドが自重しても、周囲で何事かと二人の話に耳を傾けている人々の間からは、いくらか冷やかすような声や口笛が上がる。

 それだけ女の方から、会って欲しいと告げるのは意味深だと言う事だ。

 実際ウォルターもいくらか戸惑うような仕草を見せた。彼自身、どうしてアデリードが自分の元にわざわざ足を運んでまで、会いたいと言うのかその理由を計りかねている様子だ。

 しかし……アデリードはこの時、よほど必死な表情をしていたのかもしれない。断る事など、到底出来ないくらいに。

 しばしの間沈黙して、やがてとうとうウォルターは小さなため息交じりに答えた。

「申し訳ないが、俺もそれほど時間に余裕があるわけではない」

「………はい」

 一瞬だけ、遠回しに断られたのかと思った。

 が。

「……警備の巡回交代時にいくらか休憩時間がある。その時ならば、多少の融通は出来るだろう」

「! ……ありがとうございます!」

 仕方なしに、本当に仕方なしに彼はそう言ったが、アデリードに取っては輝かしい未来へ繋がる第一歩の言葉だ。

 ぱあっとこぼれ落ちそうなほどの笑顔を見せたアデリードと併せて、周囲から小さくない喝采の声が上がる。アデリードの笑顔に一瞬目を奪われていたウォルターは、その周囲の声にハッとしたように表情を再び引き締めると、

「では、失礼」

 と短い一言を言い置いて、今度こそ本当に馬に乗り駆け去ってしまった。

 その背を見送るアデリードの顔は、相変わらずの笑顔のままだ。

 やったわ、やったわと内心ぴょんぴょん跳ね上がりたい気分で、幸せな笑みをこぼし続けるアデリードを、セリアだけが少しばかり心配そうに見つめていたが、その視線に今のアデリードが気付く事はない。

 この日を境にモールセン通りの商店街ではご令嬢と警備隊騎士の密やかなロマンスが語られ始めるようになる………が、当の二人がそのロマンスを耳にするのは、まだもう少し先の事となる。

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