7 贅沢玉子豆腐
7 贅沢玉子豆腐
風邪はあっけなく全快した。その次の週には梅雨明けしてしまって、今年はかなり早い梅雨明けらしいわ。つまち、連日、暑い日が続くようになってしまったってこと。
…………エアコン吹かしてお部屋でダラダラしていたい。
でも、ダイニングから物音がしていれば、顔を出してお手伝いしようとは思ってる。リビングにもエアコンはあるけれど、ダイニングまで冷気はあまり届かないし、台所の熱源はガスコンロなので火を使う間はやっぱり暑い。秋良くんが張りつきでごはんを作ってくれてるんだもの、少しはお手伝いしないとね。
でも、暑い。お部屋にこもってダラダラしたい。……というか、秋良くんと差し向かいになるのが、少し気が重いってのもある。誰か他にいるんならまだいいけど、差し向かいはダメだわ。気にしてしまって挙動不審になってしまう。いや、でも、誰かっていっても、誰でもいいって訳でもないし! 梅はダメ。梅だけはダメ。梅がいるとますますおかしなことを言ってしまいそうなので、梅は絶対ダメ。
その梅も、毎食毎食律儀にやって来るけれど、最近は長居しないでそそくさと帰ることが多くなった気がするわ。それだけはありがたい。と、思ってる。秋良くんの話では、何か描いてるみたい。その、マンガ? 夏休みで中高生の投稿が増える前に一作上げて、担当さんに見せたいんですって。……意味がよく分からないけれど、夏休み期間に中高生の子がたくさん応募するってのだけは分かった。
それを聞いた千秋さんも奮起したみたいで、彼女も夜遅くまで頑張ってるみたい。明け方近くまで部屋の灯りがついてるもの。
あ、なでしこ荘の前に車が停まった。何か宅配が届いたのかも……。
よいしょと身体を起こして階段を降りる途中でピンポンが鳴った。ビンゴ。
「はーい」と返事する前に、玄関が開く気配がする。あれ? 秋良くんでもないみたいだけど……。
下まで降り切ると、見知らぬおじさんと宅配のお兄さんが玄関先で話してる。おじさんが伝票にサインして、一抱えある箱を受けとって、宅配のお兄さんはさっさと配送車に戻ってしまった。
あれあれあれ? おじさん、どこのどなたなのかしら? 勝手にうちの下宿に届いた荷物を受け取るって、それ、問題なんじゃ……。
身を乗り出して観察してると、おじさん、私に気付いたみたい。瞬間、ニパッと顔いっぱいの笑顔になる。
「や、どうも。暑いですなぁ……」
「……?」
や、やたら親密で馴れ馴れしいおじさんだわ。誰? ……てか、何度かお見かけしたような気はするんだけど、見覚えはあるんだけど……でも、誰?
「あ、曲淵さん!」
奥から秋良くんが出て来た。
「こんな時間にお見かけするのは珍しいですね。もう今日は上がりですか?」
「ははは、お久しぶりです。今日は半休いただきまして。たまには帰らんと、忘れられてしまっては適わんですからなぁ」
曲淵さん……。どこかで聞いたことある名前な気がする。えっと、どこで……いつ……
「あ」
そうだ、幻のおじさんだ。二階の男子階に住む、唯一のお勤めのおじさん。早朝に出勤して深夜に帰宅。休日がいつなのかも謎。食事は秋良くんが冷蔵庫に入れておいたのを自分でチンして、食器を洗って、またいつの間にか外出しているという……。
初めて会った?
「こんにちは。あの、三月に入居した桃園です……」
七月中旬に交わす挨拶としてはかなりおかしいけれど、仕方ない。
「あぁ、存じてますよ」
曲淵さんはにこにこ笑って、小脇に抱えた箱を秋良くんに差し出した。
「お中元みたいですよ。ジュースかな?」
「あぁ、棚町さん……十年ほど前にうちに入居してた方だ」
受け取った秋良くんがよいしょと抱え直して、リビングに向かう。
「せっかくだから、皆で」
わ、私も? そして、曲淵さんの言う存じてるが気になってる最中なんですけど! 私は会うのは初めてだと思ってるのに、あっちが存じてるってどういうこと?
「あれ、気付かれてない?」
ソファにどっかと座ったおじさんはピシャリとおでこを叩いた。……三十代半ばくらいかな? ちょっと前髪が後退を始めてて、座った姿勢もだらしない感じに伸びてるけれど、それ以外は悪くないかも。ぽわんぽわんとした柔らかそうなほっぺとお腹をしている。男の人相手に身構えないでいられるのは、おじさんが開けっぴろげでにこにこ笑ってるからみたい。
「ボク、桃園さんの大学職員なんだけど。学生課で……ほら、なでしこ荘に住所変更の書類を受け取ったの、あれがボク」
「えっ!」
そうだったっけ? やだ、全然覚えてない。……あ、そういえば、書類を出した時、引っ越し先の住所を見た事務員さんが妙な表情したのは、それは何故か覚えているわ。まじまじと曲淵さんを見る。このおじさんだったっけ? あの時、怪訝な顔になったのは、同じ下宿だって気付いたからだったのね。
「歓迎会の日に華麗に名乗り出てやろうと思ってその時は黙ってたんだけどね、あの日は急な仕事が入ってしまって。その後も挨拶しないままで、いや、申し訳ない」
またもハハハと笑って、おでこを叩く。気さくないいおじさんかも。
グラスに氷と紅い透き通った飲み物を入れて、秋良くんが私たちそれぞれの前にコトンコトンと置いてくれた。
「ザクロジュースでした。味見したらちょっと濃かったので、氷で薄めたらちょうどいいかも」
「いや、これは美味そうだ。いただきます!」
秋良くんも自分の分のグラスを持って来て、ソファに座った。
「そういえば、初めてですか? 曲淵さん、休みの日も居着かないから……」
「申し訳ない……」
「ってことは、休みはあるんだ」
あまりにも姿を見ないので、休日出勤上等な社畜さんかと思ってた。
正直にそう言うと、おじさんはタハーっと頭を抱えた。
「ボク、鉄道が好きなんですわ。乗りテツっていいましてね。鉄道好きも色々あって、写真を撮るのが好きな人、コレクションするのが楽しみな人、知識をためこむのに命かけてる人……色々ですわ。ボクの場合は乗りテツ。実際に乗ってどっかに行くのが好きな人ですね」
「つまり、休日は列車に乗りに出かけてたんですか?」
「そそ。始発で出ないと遠くまで行けませんからね。ギリギリまで乗っておきたいんで、帰りも終電近くになってしまいまして……。や、それが理由で女房子供に逃げられちゃいましたが、それでもどうしてもやめられなくてですねー」
今、サラリとすごいこと言いませんでした? なんで、それでハハハと笑えるんですかこのおじさん?
「え……?」
秋良くんまで驚いた顔して……え?
「曲淵さんの離婚の理由って、まさかそれ……?」
「秋良くんも知らなかったんだ?」
「離婚して独り身になったとは伺っていたけれど……理由までは……」
「お恥ずかしい。付き合ってる時も、結婚する時も、自分は乗りテツなので休日は鉄道優先するぞって宣言したはずなんですが……。あっちも全然構わないって言ってたくせに、女心は分かりませんわ」
「…………」
「…………」
あ、これ、話し合い持ってもダメな系だ。構わないって言ったのは、それでも結婚して家庭を持てば少しは折り合えるってお嫁さんだって思ってただけで、まさか全然自重しないなんて思ってなかった……と思う、よ?
でも、それを指摘しても、きっと分からないんだろうな……。
「おい、俺もジュースよこせ」
「っ?」
急に割り込んで来た声にびっくりする。梅? あんたいつ入って来たの?
「あー、ここは涼しいな」
ランニング一枚(タンクトップなんて名称のモノでは絶対ないない。あれはまさしくランニングシャツだわ)にステテコ? 膝丈のペラい半ズボン姿で脛を丸出しして私の隣りに……隣りに座るの? そりゃ、空きはここしかないけど。
「おっさん、珍しいな」
「君は……あぁ、何度かお見かけした食客の」
「どうしたの梅、原稿終わったの?」
梅の前にグラスを置いて、秋良くんが問いかける。
「ん……まだ。あっちくてやってらんねぇよ。昼間、ここのテーブルで作業させてくんね?」
まーた、図々しい。それって、つまりエアコンもつけろって意味でしょ?
「そりゃいいけど……」
秋良くんは本当に人がいい。ジロリと睨んでも、梅は私の視線に気付いてもいない。一気にジュースを飲み干して、もうおかわりを頼んでる。
「これ、渋いな……。他のないのかよ?」
「じゃあ、ブルーベリーのジュースも開けるよ」
ほんと、図々しいわ。
「梅、こっちで作業してもいいし、エアコンもつけていいけど……条件はあるよ」
「げ」
そりゃそうよ。全部たかるつもりだったのかしら。
「どんなマンガを描いているのか見せてくれたら、いいよ」
「へ?」
「見てみたいんだ」
秋良くんがにっこり笑う。邪気のないその笑顔の前に、いやだと言うのは至難の業だわ。
「ほ、マンガを?」
曲淵さんも興味を惹かれたのか身を乗り出す。
と、そこでまた呼び鈴が鳴った。秋良くんは手が離せないみたいなので、私が応対に出ると、またお中元の配送だった。。幸江さんも秋良くんも、そして先代のお爺ちゃんお婆ちゃんもすっごく慕われてるのが分かるわ。箱を抱えてリビングに戻って秋良くんに見せる。
「お中元。これは缶詰って書いてあるわ」
「お、見せろ」
梅が手を伸ばして包みをビリビリ破る。何やってんの、あんた!
カパッとフタを開けて、……やだ、曲淵さんまで一緒になって覗いて……、何? カニ缶?
「すっげ、カニ缶がこんなにみっしり詰まってるの初めて見たぜ」
「こっちはホタテ……すごいですねぇ」
「しかも、ホタテがフレークじゃない! 丸ごと形が残ったままの貝柱水煮!」
やだ、私まで乗ってしまった。
「あ、届いたんだ」
秋良くん、とうとうジュースの瓶ごと持って来た。左手には氷皿を持ってて、私たちのグラスに追加してくれる。
「ありがたいよねぇ……。この方はもう三十年くらい昔の卒業生なんだけど、今でもお中元贈ってくださるんだよ。今夜はカニ缶でご馳走にしようか」
「えっ! まかないに出すの? そんな勿体ない、秋良くんたちで食べなさいよ」
思わず声に出してしまった。
「……でも」
「何?」
「うちの家族だけで食べるとしてさ、いつ、どこで食べるといいかな?」
「あ……」
そっか、秋良くんも舞ちゃんも私たちと一緒に食事してるもんね。奥の自室でカニ缶を食べたって、そりゃ美味しくもないわね。
「えー……たとえば、幸江さんのお店とか……」
「でも、結局は、お客さんに振る舞うと思うんだ。それなら、僕らが……なでしこ荘で食べる方がお得だと思わない?」
「ひゃあ、いいタイミングで帰ってきましたな、ボク」
曲淵さんがまたおでこを叩いた。
「えっと……アスパラ……ホワイトアスパラが嫌いな人っていたっけ?」
「へ?」
「ホワイトアスパラ……私は好きだけど、それ、缶詰の?」
「買い物に行って、もし生のがあったら奮発して買うけれど、なかったら缶詰になるかな」
「カニ缶とアスパラですか……秋良くんの手にかかったらどうなるか、楽しみですなぁ」
曲淵さんはアスパラ好きみたい。それに、食卓では滅多に会わないけれど、秋良くんの手腕はよく知ってるみたい。
「あ、こうしてはいられないや。もし、あれにするなら、もう始めないと!」
秋良くん、エコバッグを引っ張り出して、ひとつには冷凍庫の保冷パックを詰めている。もう今から買い物?
「あ、じゃあ、ちょっと行ってくる! 曲淵さんもごゆっくり!」
そそくさと秋良くんは出て行ってしまった。本当に料理が好きなのね……。思いついたら時間と手間を逆算して、まだ昼下がりなのに買い物に……。あんなに嬉しそうに出て行かれたら、何と声をかけていいのやら。
「おっし、俺も……」
梅もチョロと出て行って、十分たたずに戻ってきた。グラスを洗ってる後ろで、曲淵さんと何やら盛り上がってる。時折り、ほーとかへぇとか聞こえる声は曲淵さんの声かしら?
「すごいもんですねぇ……。こんな風に描くんですか」
え? もしかして、原稿を持って来たの?
蛇口を閉めて手をプルプルさせる。私も見たい!
「あんまり見るなよ、恥ずかしい」
梅はちょっと上擦った感じでソファの上で体操座りしていた。まさかとは思うけれど、照れてるの?
それはそれとして、曲淵さんの手元を覗き込む。思っていたより大きなしっかりした紙に黒々と勢いのある絵がみっちり描き込まれていた。荒々しくてスピードのある線が紙面いっぱいに踊っていて、凶悪な目つきの男の子?がスマート美形と殴り合ってる? 殴るっていうか、殴るジェスチャーだけで相手がぶっ飛んでるから、超能力みたいなのかもしれない。
……少年マンガ? バトル?
正直、少年マンガはよく分からないけれど、かなり上手な気がする。残念なのは、セリフの字が汚くて読めないこと。もしかして、梅の手書き? 担当さんっていうのかな? その人はこの字が読めるのかしら?
曲淵さんが読んだ分を次々に渡してくれるけれど、話はよく分からなかったわ。初めからクライマックスというか、バトルで始まってずっとバトルなんだもん。主人公と悪役美形のバトルを止めようとする小っちゃなキャラが女の子らしい……と途中になってやっと気付いた。だって、女の子なのに、色気が全くないつなぎの作業着みたいな服を着てるんだもん。髪型も切りっ放しのショートヘア―で、ポリシーがあってその恰好って訳でもなさそうで、一体なぜ?
「これ、今描いてるの?」
「んにゃ。これはひとつ前に描いた奴。イケてると思ったんだがなぁ……メタメタに言われた」
「そうなんだ……」
すごく上手に見えるのにな。厳しいな、マンガの世界。どこがいけないのかな。
「女キャラが可愛くねぇって言われてよぉ……。んなこと言われてもなぁ?」
あ、それは確かだわ。中盤になるまで女の子と気付かない程度には可愛くないわ。でも、それを言ってはいけない気がする。でも、敵の美形はちゃんと美形だって分かる顔と偉そうな服を着ているんだから、それなら可愛い顔も可愛い服だって描けると思うんだけど。
「え? 女キャラ? どの子です?」
あぁぁ……曲淵さんも分からなかったか。でも、そんなストレートに……。
梅は仏頂面で紙面を指差した。
「あぁ、この子でしたか! ……女の子ぉ?」
曲淵さんが追い討ちかけた!
あ、梅がしょげてる。肩をがっくり落として、今にも膝の間に顔を埋めそうになってる。こんな梅、初めて見た!
「私が思うに……女の子が可愛くないんじゃなくて、ふ……服が女の子に見えないんじゃないかな?」
「服?」
「うん、服。この恰好なのは理由があるの?」
「んにゃ。主人公のバトルに割り込んでくるような女だぜ? そんなとこにスカート穿いてくような頭の悪い女なんざ、俺ゃ嫌だ」
「そ、そうかもしれないけど……」
動きやすい恰好っていっても、つなぎ作業着はないわ。それに、それに……梅のポリシーも分からなくはないけれど、女の子が自分で戦うプリキュアですらスカート穿いてる世の中なんだもの、男の子向けのマンガだったら尚更お色気って必要だと思うわ。
「でも、ちょっとはお色気……」
「そんなバカを描かなきゃならねーなら、もう女キャラは出さね」
「動きやすい服ならいいのね?」
確認して、部屋に戻る。えっと、こないだ送られてきたカタログと、春の終わりに買ったファッション誌と……。一揃い抱えてリビングに。
あえてスポーツウェアは避けて、パンツルックで何かいいのがないかとパラパラめくる。この辺かなぁ?
「はい、梅。こういう感じならどう?」
「お? おぅ……」
頭上に?マークを浮かせて、梅がカタログを受け取る。渋い表情のままだから、あまり感心はしてないみたい。
「服と髪型は大事だと思うよー。そっちの美形さんはすっごく凝ったかっこいい衣装なのに、ヒロインはやっつけだって私にも分かるもん」
「……そうなのか?」
「あ、ボク、これ好きだなぁ。この白地に入ったラインがさくらちゃんみたいじゃないですか?」
曲淵さんがカタログのお出かけルック特集のひとつを指差して梅にアピール始めた。
なに、さくらちゃんって? さくらって名前のキャラクターはいっぱいいるから、どのさくらなのか分からないわ。
「私の知ってるさくらちゃんは魔法のカードを使ってたけれど、イメージ違うかな」
「いえいえ、そのさくらちゃんではなくて」
曲淵さんがにっこり笑う。
「九州新幹線のさくらちゃん」
あ、ダメだ。おじさん、もう鉄道車輌しか愛せないヒトになってしまってる。
「おいおっさん、正直に言ってくれ。女の子の服は、この俺が描いたのととこっちの、どっちが好みだ?」
「そりゃ、このさくらちゃんの方が好みですよ。シュッとしてるのに裾がふわふわで、動いたらきっと華麗で綺麗ですよ。この……これ、この爆発の時に風がゴッ!って吹いてるとこ、ここで裾と髪がなびいたら迫力出ますよ? 知ってます? 新幹線のこだま駅でホームにいるとですね、ひかりやのぞみがガーっと通り過ぎるんですわ。その時の風と爽快感がたまらなくて……」
あ、話が途中から逸れてる。
「そっか、風の表現か……」
なんで梅も真面目に聞いてるのかしら。でも、何か感じるものがあるみたい。
「そのカタログと雑誌、持ってっていいよ。参考資料」
「おう、サンキュー!」
さっきまでと打って変わって、梅はかなり熱心にカタログをめくり始めた。
「ただいまー」
あ、秋良くんが帰ってきた。近付く足音で分かる。秋良くん、上機嫌だ。
「やったね! ホワイトアスパラガス、あったあった! 梅雨が明けるの早かったからかな? 今、野菜が安くて助かるー。……こういう年って、真夏に高騰するから今のうちに野菜三昧しないとね」
あぁ、秋良くんも幸せそうでキラキラしてる。エコバッグ見るに、買い物たくさんしてきたみたい。じゃ、お手伝いを始めましょうか。
「じゃあ……大根の千切りを頼もうかな。千切りほど細くなくていいよ。えっと……なますにするくらいの細さ」
「オッケー」
その日の晩ごはんはカニとホタテ尽くしで超美味しかった!
メインのオカズは酢豚だったんだけど、一番の目玉は、カニ脚とアスパラと焼き茄子を挟んだ……玉子豆腐!
え?って思うでしょ? でしょ? 玉子豆腐、自分で作る事が出来るものだったのよ!
「だって、茶碗蒸しと同じだよ? 玉子の割合を多くしたのが玉子豆腐なんだよ?」
秋良くんの冷静なひと言で感じたアハ体験ったらなかったわ。そっか、市販の玉子豆腐の原材料を見た時に感じた違和感はそれだったのね!
アスパラを茹でる傍らで茄子を直火で焼いて、その間に作り置きの出汁で卵液を作って、蒸して、それをバットごと氷水に浸して冷やして……。
薄く蒸し上げた卵豆腐にアスパラと茄子、それに一番高価なカニ脚のカニ缶を乗せて、もうひとつの玉子豆腐を乗せて、ラップかけて重石をして冷蔵庫で冷やして……。馴染んだところで切り分けて、上からお出汁のあんかけ。おかゆの時と同じ、一番出汁にちょっと濃いめの味付けしたもの……をあんにして、今回はそれをキリキリに冷やしたものをかける。更に、マヨネーズを少し。その上に木の芽。
すごい……。見た目も豪華さもお店の前菜みたい。
そして、実際に口に入れた時の感動も、また。市販の玉子豆腐よりもかなり固めで、感触はあれに似てる。そう、蒸し焼きにした濃厚プリンと似た感触。やっぱり卵つながりなのね!
そのくにゅうとした歯応えの先に、トロンとした焼き茄子、ズヌンと崩れるアスパラ、じゅわりと美味しい汁が滲みだすカニ脚。中の素材に味付けはほとんどなくて、あんの旨みが全てを束ねてて、そこにマヨネーズの酸味と油がコクを足してくれてる。美味しい。……そして贅沢。至福だわ。
それにホタテと大根のサラダ、カニチャーハン、酢豚。梅の奴は豚よりもパプリカの方が多いって文句たれてたけど、野菜をいっぱい食べさせてくれる母心?じゃないの。 あぁ、どれも美味しかった。
「ふぁー! 今日はこっちで晩ごはんにしてよかったー!」
幸江さんが五条さんと並んでうっとりしている。他のスタッフさんのシフトによって、晩ごはんはこっちで食べたりお店で食べたり、前日になるまで分からないんですって。今日の玉子豆腐は絶対に食べるべきだよね。
急いで食べていざ出勤となって、秋良くんが冷蔵庫からバットと小さな魔法瓶を出す。
「はい、父さん。玉子豆腐、多めに作ったから。お店の先付けに使って」
「秋良……あんた……」
うわぁ……なんて出来た人なのかしら。多分だけど、幸江さんたちがこっちで食べられなかった時のために、お店に持って行けるように別に作ってたのね。
「こんな贅沢な先付け、もったいなくて出せないわよ! あたしが向こうで食べる」
「ママ……それやったら、暴動起きるって……」
五条さんが幸江さんの背中をポンポンしてご出勤。私たちもいってらっしゃいと手を振って送り出した。
そして、後片付けを終えて……。梅はちゃっかり画材を持ち込んで、作業……するかと思いきや、ラクガキ帳に熱心に何か描いてる。傍らにはさっきのカタログが開いて置かれているから、女の子の服を練習してるのかも。私と秋良くんはお茶を淹れながら、その様子をチラチラ見てるとこ。千秋さんはもう少し大胆に、近くでじっと観察している。唸るようにひと言、
「上手い……」と呟いたので、やっぱり梅の絵は上手いんだと分かった。
「そういえば……」
秋良くんがお茶を配る。
「もうすぐ梅の誕生日だけど、梅、何かリクエストある?」
「あん?」
「食べたいもの。お誕生会の時は一応、リクエストを聞くよ」
梅がしかめっ面になる。
「誕生日とか……!」
へぇ、梅の誕生日ってもうすぐなんた。…………ん?
千秋さんもキョトン顔になったし、リビングの方でテレビ見ていた組も疑問に感じたのか、こっちに向き直って秋良くんと梅を交互に見てる。
「梅って、梅之助って名前なのに、春生まれじゃないの?」
ここはひとつ、私が代表して質問すべきでしょう。今時、梅之助なんて酔狂な名前をつけるのに、季節感はどうでもいいって話はないわ。
「言うなっ!」
梅がさもいやそうに叫ぶ。唯一事情を知っているらしい秋良くんが握りこぶしを口元に当てて震えていたけれど、とうとう我慢の限界を超えたらしく、クスクス笑い出した。
「梅の場合、花の梅じゃないんだよ。梅の誕生日は二十一日。土用の時季だろう? つまり、梅之介の梅は……」
「あ、もしかして……」
私、分かっちゃった!
「梅干しの梅ね!」
途端、梅ががっくりとうなだれる。
「うめぼしぃぃ~」
千秋さんと舞ちゃんが同時に笑い出した。
「そう、初夏に漬けこんだ梅干しを土用干しする頃なんだ。この子の誕生日が来たら梅を干す時季だよっていう、そういう名付けの由来と……か」
梅が顔を赤くして、秋良くんのお尻に蹴りを入れた。何をするの、梅のくせに!
「あいたっ! ごめんごめん、梅は気にしてるんだよね。ところで、何を食べたい?」
「はーい! 私、お野菜が食べたい!」
「お前は聞かれてねぇよ! リクエストするのは俺だ! てか、ご馳走作るって言われて野菜はないだろ、野菜は! 野菜とか、ねぇわ……」
「だから、梅に聞いてるだろ。何がいいの?」
梅はまた顔を赤くして、もごもごと口ごもった。遠慮してるの? 梅のくせに?
「いや、何でもいいよ。お前の作るメシは何でも美味いよ……」
ん? 今、一番向こうでテレビ見ていた小雪さんがすごい目でこっちに向き直った! 目がキラキラしてる?
「そっか……何でもいいって全権委任されてしまったか……」
秋良くんがしばし考える。
「じゃあ、ラタトゥィユ」
「お? 何だそりゃ? 美味そうだな!」
やたら嬉しそうに応える梅を見て、周りは皆、確信したわ。つまり、こいつはラタトゥィユが何かを知らないんだ、と。知らないままにお誕生会当日になってラタトゥィユを目の当たりにした梅というのは面白いかもしれない。
いや、でも、怒るかなぁ?
秋良くんもそこは考えてるだろうから、さて、どんなラタトゥィユで梅を納得させるのか……。これはなかなか楽しみかもしれない。
七月二十一日……。何か、ちょっとしたプレゼントくらいは用意してあげようかな。
そういえば、秋良くんの誕生日はいつなんだろう。秋生まれだから秋良とは聞いたけど。
私、そういうこともまだ知らないんだ。




