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3 まったりクリーム鍋

    3 まったりクリーム鍋


 確か、お鍋をするって聞いた。朝、秋良くんは確かにそう言ってた。今夜の歓迎会はお鍋にするって。てか、お鍋のはずよ。何がいい?ってリクエストを聞かれて、お鍋がいいって答えたのが私なんだもの。記憶違いなはずはない。

 でも、学生課に住所変更の届け出をして、それから銀行その他モロモロの手続きを終えてなでしこ荘に戻ってみれば……。

 ダイニングのテーブルの上に並べられた食材はどれも、お鍋と聞いて想像するラインナップからは外れてると思う訳。

「……お鍋?」

 そりゃ、鶏ミンチの肉団子とか、シメジとか、シメジとか、シメジ……とか…………お鍋っぽいものも一部あるけれど。いかにも鍋って感じの具がシメジくらいしかないというのが正直な感想。ニアミスで、家によってはお鍋に入れることもあるかもしれない……みたいなのも混じってるけど。

 たとえば、ベーコンとウィンナーソーセージ。うん、これはご家庭によっては入れることもあるかも? おでんにウィンナーはうちの定番だったし。それに、イカとエビ、ホタテ。ひと口大に切ったタラと鮭の切り身。……うん、これはお鍋でいい。ごった煮っぽいけれど、ちゃんこ鍋ってのもあるし、個別だったら立派にお鍋の具材だわ。お出汁が出そうなものは割に鍋っぽい。問題は、その他の野菜の方かも?

 下茹でしたジャガイモ、ニンジン、ほうれん草。それに、アスパラとブロッコリとスナップエンドウ、ヤングコーンにマッシュルームに春キャベツとエリンギ。何が何だか分からない。これがどうお鍋になるのやら?

 秋良くんは見当たらない。でも、大きな寸胴鍋が弱火でトロトロと沸いているので、遠出はしてないと思う。多分、ちょっと裏に行ってるだけだわ。こっそりフタをずらして寸胴鍋の中を覗いたら、鶏ガラと野菜の切れ端が煮込まれていた。これがお鍋のスープになるのは分かるんだけど。でも、鶏スープなのに水炊きにはならない模様。これ、本当にお鍋になるのかしら?

「ただいまー」

 あ、誰か帰ってきた。でも、千秋さんの声じゃない。

 見れば、銀縁眼鏡のシャープなイメージのお姉さんが姿勢よく立っている。抱えているのは、レトロな感じの紙袋に入った……フランスパン? 袋からパンの端が三本分見えている。

「ありゃ、秋良くんじゃなかった。こんにちは、あなたが桃園さん?」

「こんにちは、桃園春香です。よろしくお願いします」

 そういえば、私、帰ってきたまんまでお台所を探索していたんだった。私もかばんとか部屋に置いて来なきゃ。

「こちらこそよろしく。私は春吉小雪。あっちの、賢人館で修士やってるのね。滅多に戻らないけど、よろしく」

 あぁぁ……確か、昨夜少し聞いた気がする。理系なのかしら? シャキンシュピーンって感じがして、何かかっこいい。

「あ、小雪さん、お帰りなさい」

 秋良くんがパタパタと戻ってきた。手にパセリの束を握っているので、裏庭のを摘んできたみたい。

「おぉ、秋良くん、もしかしてひさしぶり? 今日はアレをやるっていうので、ウキウキして帰ってきたのよ? あと、頼まれてたこれ。ちゃんと確保出来たわ」

「ありがとう!」

 小雪さんから袋を受け取って、秋良くんがにっこり微笑む。そのパン、秋良くんが頼んだものなんだ? ってことは、それ、今夜食べる分? お鍋なのに? ますます訳が分からなくなってきた……。

 でも、確かに今夜食べるんだろう。秋良くん、早速パン切りナイフを出してスライスし始めたもの……。

「あのね、秋良くん?」

「何?」

 一本分切って、残りは調理台の隅に立て掛けてる。なくなったらまた切るつもりかな。

「あのね、今夜はお鍋にする……んだよね?」

「そうだよ。春香ちゃん、ちょっと変わったお鍋で、野菜をたくさん食べたいって言ったよね?」

 確かにそうリクエストしたけれど……。

「今夜は、春野菜で洋風の変わり鍋をするよ」

 やっぱりにっこり笑って、それから時計をチラリと見る。六時三分前。階段の方からトタトタと複数の足音がした。初めて見る男の人と女の人一人ずつ。後藤くんと笹尾さんといって、二人共、小雪さんと同じ賢人館大学の学生さんだって。今、就活とバイトと卒論が重なって、なかなか忙しいみたい。それから、玄関の方から千秋さんの

「たっだいまー!」という元気な声と、足音もう一人分?

「梅も連れてきたよー!」

 千秋さんの後ろから、昨日と同じ紅色とピンクの花模様の半纏男が現れた!

「何を偉そうに……玄関前で会っただけじゃねーか」

 梅が何かぶつぶつ言ってる。要は、来たくて来た訳じゃないけれど、誰かに連れられて来たと思われるのもいやな訳ね。面倒くさい男だわ。

「揃ったかな? とりあえず、始めようか?」

「あの、これで全員ですか?」

 舞ちゃんがいないし、五条さんも……。

「あぁ、舞はもうすぐ帰るかな? 五条さんとうちの父さんは仕込みが終わったら、いったん戻るって。あと……曲淵さん……は、八時過ぎるから先に始めてくださいって連絡あったから。曲淵さんはちょっと年上のお勤めのおじさん」

 説明しつつ、秋良くんが卓上コンロの上にドンと巨大土鍋を据えた。そして着火。

「え? まだ何も入ってないのに……?」

「うん、あまり褒められないけど、まぁ……土鍋って案外頑丈だよ?」

 説明になってない説明をして、まず細かく刻んだベーコンが鍋に放り込まれた。

 えええええ? ベーコン? いきなり、ベーコン?

 弱火なのと、鍋が巨大なせいで、ベーコンはじわじわとしか加熱されない。その分、脂がじゅくじゅくに滲みだしてる。その脂をまぶすように、次は刻みニンニク。秋良くんが木べらでかき混ぜる。男性陣は階段下の物置から折り畳み椅子を出して来るし、小雪さんたちは冷蔵庫に用意されていたらしい調味料などを秋良くんの手元に並べる。塩、コショウ、クレイジーソルト、バター、サワークリーム、とろけるチーズにタバスコ、刻みパセリ、それにタルタルソース。ますますお鍋から遠ざかってる気がする。

 あ、でもいい匂い。ニンニクと脂の匂いって、食欲にダイレクトに来るわ。ベーコンはもうチリチリになってて、脂が抜けきって、あれがまた美味しそう。

「では、始めまーす!」

 秋良くんが寸胴からスープを移し始める。大きなお玉で一杯、二杯……。一杯目はさすがにジュワーって大きな音が立ったけれど、その後は音もなく普通にスープが注がれていく。このスープでお鍋にするのね。確かに洋風の変わり鍋になるかもしれない。

 と、スープが土鍋の半分くらい注がれたところで、秋良くんの手が止まった。寸胴にフタをして、次に冷蔵庫から出したものは、生クリームの紙パックが二つと、それに牛乳のパック。まさか……それも入れるの?

 尋ねるまでもなく、千秋さん、小雪さんの手によってクリームと牛乳がドポドポと土鍋に投入されて、スープは見る間に真っ白になった。どういうこと?

 小雪さんががお匙で掬って味見する。

「うん、オッケー。すでに美味しいスープになってるわぁ……」

「それはどうも」

 秋良くんが続けて冷蔵庫から取り出したのは赤い液体が入ったピッチャー。

「乾杯したいけれど、春香ちゃんはまだ未成年だから、紅いオレンジのジュースで。アルコールが欲しい人は、白ワインで割るよ」

 それぞれの前に据えてあったグラスに注いでくれる。それに、緑の小瓶から透明な液体も。あれが白ワインらしいわ。

「けっ! ビールないのかよ?」

 梅がまた何か言ってる。

「ビールねぇ……この鍋にビールは合わないと思うよ? それに……梅もまだ未成年……」

 ぶふっ!

 思わず吹き出してしまった。いえ、まだ乾杯前だから飲み物は口に含んでなかったけど!

 未成年? 梅が? ってことは同じ歳? ……よね、まさかこの春からの新入生って訳じゃないだろうし。でも、それにしても、こんな態度でかい十代がいていいものかしら? というか、前世紀の遺物みたいな……。

「あ、沸いてきた」

 小雪さんはもう興味がお鍋に行ってるようで、梅なんか相手にしていない。グラスを持って、乾杯を待ちきれないようにそわそわしてる。奥から舞ちゃんも出て来て、そっと卓につく。笹尾さんが舞ちゃんのグラスにジュースを注いでる。

「じゃあ、始めますね」

 秋良くんが立ったままで私の方を見た。

「桃園春香さん、なでしこ荘へようこそ。乾杯!」

「かんぱーい!」

 グラスが掲げられ、隣り同士でカチンと触れ合わせて、飲み干す。紅いオレンジジュースって、ちょっと酸味と苦味が混じってて、大人のオレンジジュースって感じがする! 高校生の頃からちょっと憧れていたけど、カフェだと普通のよりちょい高かったから、手が出せなかったの。数年越しの野望がひとつ実現したわ。

 満足してグラスを置くと、もうお鍋の中ではお魚と肉団子が沸々と煮えていた。それにお芋とウィンナーも。

「どれも下茹でしてるから、特に野菜はあっためるだけのつもりでね」

 アキラくんがてきぱき指示を出しながら、すっかりお奉行様になってる。

「はいはい、春香ちゃん、これこれ」

 小雪さんがお玉で色々入れてくれる。鶏団子にエビに鮭。上からきのこもたっぷり。それにスープも。

「味は薄目にしてるから、色々足して食べてみて。チーズやバターを落としてもいいよ」

 …………美味しい。これは、妙に美味しいわ。クリームスープ味なんだけど、スープとも違う。お鍋とも全然違うけれど、じゃあ何かと言われれば、お鍋としか言いようがない気がするわ。

 鶏団子は下味がしっかりしてる。お箸で二つに割って、クリームスープをしっかり吸わせてから口にいれる。スープのまろやかさと、お肉から出る肉汁の滋味が合わさって、本当に優しい味。二口目にはタバスコを一滴。これもまた美味しい。

「春香ちゃん、この食べ方がとてもいいのよ」

 千秋さんもあれこれ教えてくれる。丸ごとのジャガイモが小鉢に入れられた。

「これを崩しながらね、まずはバターでジャガイモの美味しさを楽しんで……」

「あ、これ好き!」

「でしょでしょ? で、次にスープを足して、ジャガイモを伸ばしながら……」

 アスパラとスナップエンドウとブロッコリが追加。

「野菜につけながら食べるとサイコー! 溶けるチーズも混ぜて混ぜて」

 これは……本当に美味しい。まったり濃厚ミルクチーズ味のおじゃがとしゃきしゃきな春野菜の取り合わせは、味の対比も食感の対比も際立ってる。重くなりそうだけど、野菜から溢れるかすかな苦味が口の中を洗ってくれて、次のひと口が欲しくなるわ。

「くたっとなったキャベツでウィンナーくるんでも美味しいよね」

「ほうれん草とエビイカも意外と……」

「タルタルとって!」

「あ、ホタテ入れたら、スープの味が変わった!」

 わいわいと好みの組み合わせを披露しあってる。聞けば試したくなるし、このお鍋、恐るべし。

「何か肉っ気が足りねぇな……」

 離れた席に座った梅だけが何かぶつぶつ言ってるわ。その割に、一番多く食べてるように見えるけど。

「春香さん、これもどうぞ」

 舞ちゃんがフランスパンが入った鉢を回してくれた。紙ナプキンの上にちょい厚めにスライスされたフランスパンが並んでいる。

「これね、お椀にたまったスープに浸して……」

 笹尾さんを真似てひと口分をちぎってスープを吸わせる。ついでに底に残ったおじゃがのカケラも乗せて、ぱくり。……ジュワッと滲みだすスープは直に飲むのとはまた違った風味。それに、このパンがこれまた美味しい!

「すっごいすっごい! 何これ? どれも美味しい、全部美味しい」

 この嬉しさをどう表現していいか分からなくて身悶えちゃう。音を立てないよう気を付けながらも脚をパタパタと動かしてしまうわ。

「ねぇ? カロリー考えると恐ろしいけれど、このパンがこれまたねぇ……。止まらなくなるわよねぇ」

 秋良くんはすでに二本目のパンを切り分けている。そうだ、パンにバター塗って、スープと交互に食べるのも美味しいかもしれない。

「あのね、パンにバタ……」

 言いかけた時、玄関の戸がカラリと開く音がした。

「あーっ! あたしの分、ちゃんと残してくれてるぅー?」

 ん? ものすごい低くて渋くてハスキーな声。でも、お姉喋り。

 そして、そこに立つのは、百九十近いんじゃないかって巨漢。肩幅あって、胸板厚くて、首もぶっとい。顔だって、精悍な感じのマッチョ系男顔。でも、着ている服は婦人物っぽい! この人、男? 女?

 いやいやいやいや、悩むほどのこともなく絶対に男性の身体なんだけど! ただ、中身が男性とは限らないけど! てか、あんなサイズの婦人服ってあるんだっ!

 入り口に近いとこにいた梅が腰を浮かして少し後ずさった。

「出たな、化け物!」

「やっだ、梅ってばご挨拶ぅぅー」

 やたら渋いいい声でお姐さんはきゃらきゃらと笑い、大きな手で梅の背中をパーンと叩いた。梅が軽く吹っ飛ぶ。いい気味。ところで……この人がまさか曲淵さん?

「もー、お父さん遅刻―」

「まだいっぱいあるよ、間に合ったね父さん」

 お……父さん?

 そう呼びかけたのが舞ちゃんと秋良くんなので、つまり、そういうことなんだろう。お父さん…………ということは、このお姐さんがここ、なでしこ荘の正管理人で家主で……。

「あー、あなたが春香ちゃん? はじめましてー。あたしがこの二人の父親の田主丸勝之、もとい幸江ちゃんでーす」

 Aラインのニットの裾をつまんで、カツユキさん……もといユキエさんが実に女の子らしく脚をクロスして腰を落とす。お姫様みたいな身のこなし!

「あ……えっと……」

 どう挨拶していいのか分からない。普通にはじめましてでいいんだろうけれど、でも!

 パパと学校の先生以外で大人の男の人と話すことなんて滅多にないし、この場合、男の人として接していいとも思えないし……。

 と、満面の笑みのユキエさんの後ろから五条さんも現れた。五条さん……も、妙にユニセックスな服を着てる? 昨日挨拶した時は、地味目のポロにジャンパーにスラックスだったけど、今日は細身のパンツ……スキニーかもしれない、それに上はフリルが段々になったすごく可愛いブラウス? シャツ?

「ちぃーっす。ちょっと抜けて来たっす」

「え? え?」

 はわはわする私を余所に、他の人はこのノリに慣れてるみたい。ガタガタと椅子を移動させて狭いながらも空きを作り、そこに折り畳み椅子を割り込ませている。小雪さんに至っては、全く関せずに悠々とお鍋に取り組んでる。

「さぁって、あたしたちも腹ごしらえするわよぉ! あ、秋良、こっちにも小鉢とビールちょうだい、ビール」

「父さん……この鍋にビールは合わないよ」

「そうぉ? じゃあ、いいわ、秘蔵のシャンパン開けちゃう」

 幸江さんは思いっきり身体を捻って伸ばして冷蔵庫の戸を開ける。奥の方をごそごそして、緑のボトルをとりだした。

「飲みたいひとー!」

 小雪さんと五条さんと後藤さんが即座に手を上げてグラスを差し出す。梅もちゃっかりグラスを出したけれど、それには秋良くんがジュースをどぼどぼと注いだ。空になったピッチャーをさっさとすすいで、ついでに小ぶりの寸胴にお水を満たして沸かし始めた。まだ、何か出るんだ。

 私はもうお腹いっぱいかも。あんまり美味しいんで、調子に乗って勢いよく食べ過ぎたみたい。普段はもっとゆっくりまったり食べるんだけど、周りの活気にもあてられたのかもしれない。

「あら、春香ちゃんはもうお腹いっぱい?」

 タンブラーになみなみ注いだシャンパンをグーッとやって、幸江さんが猛然と食べ始めた。さすがに持て余すだろうと思っていた食材がみるみる減ってく。五条さんもかなり食べているんだけど、幸江さんの迫力と比べたら小鳥みたい。

「だったら、あたしたちがこれ片付けるまで休憩しててね。このお鍋、シメがすっごく美味しいから、その分のお腹の余裕は開けておくのよ?」

 三本目のフランスパンを手で二つに引き裂いて、幸江さんはモリッとかぶりつく。なんという豪快さ!

 周りもいったん手を止めて……もしくは手持ちのパンをちびちび齧って幸江さんプラス五条さんの食事を見てる。あ、エビにタルタル乗せて食べるの試してなかった! 鉄板の組み合わせなのに、抜かったわ。こんなにお腹いっぱいなのにまだ未練があるだなんて、私、すごくいやしんぼだわ……。

 コンロではお湯が沸きはじめてる。秋良くんがさりげなく立って、お湯に塩をひとつかみ、それから……あれは……スパゲッティーニ? 黄色っぽい麺みたいなのを今入れた!

「茹ではじめましたー! 三分でシメに突入するから、鍋に残ってるのさらってしまって!」

 号令一過、男性陣が網のお玉でスープから固形物を掬い上げて……幸江さんの小鉢に入れた。

「やっだもぉあんたたち、団結し過ぎぃー」

 言いながらも、幸江さんは余裕で残りを平らげながら指示出しする。

「はーい、火を強くして。千秋ちゃん、そっちの溶けるチーズ、全部入れちゃいましょ。チーズが焦げ付かないよう、混ぜながらね」

「はーい」

 お鍋のクリームスープはぼこぼこと大きな泡を立てて沸き立ってる。秋良くんが麺を茹でてる鍋からお玉半分くらいの茹で汁をクリームスープに足した。何かのおまじない?

スープはお湯が少し足されたくらいではあんまり薄まらなかったようで、すでにクリームソースみたいな煮詰まり方。心持ちトローッとしてきた。秋良くんが麺をザルに空けて、流しでもうもうと湯気が立つ。

「行くよ!」

 大きなザルを抱えて秋良くんが振り向く。ドサリと鍋に投入されたのは、かなり細目のスパゲッティー。千秋さんの木べらとザルを交換して、秋良くんが勢いよく麺を混ぜる。

「…………!」

 はじめ、とろとろのソースの中で麺が泳いでいるようだったのに? 一分ほどかき混ぜる内に、ソースはもったりと麺に絡んで液体という感じがしなくなる。なんで? 固まったの? それとも、水分を麺が吸った?

 カチリと火を止めたけれど、土鍋の余熱でソースは沸き続けてる。ぼふんぼふんという音はあれだ、ホワイトソースが沸くのと同じ音だわ。

 仕上げに、刻みパセリをどさりと投入して、あとはザッとかき混ぜて完成みたい。

「ふぅっ。 さ、どうぞ。シメのクリームソースパスタ」

「いやっふぅー!」

 全員が一斉に鍋に群がる。あっけにとられた私も半瞬後には我に返って遅れて参戦。煮詰まったソースは麺にもったり絡んで、お箸で持ち上げると一緒にたっぷりついて来る。お腹いっぱいだからたくさん取れないのが無念……と思いつつ、ひとつまみを小鉢にとって、ふぅふぅしながら口に入れる。

 ………………何、これ?

 具なしの、刻みパセリだけのクリームパスタ。なんだけど、ものすごく複雑な味が溶け込んでる。そりゃそうだわ。お鍋のスープだったんだもの。シンプル極まりないパスタなのに、クリームに合うあらゆる食材が溶け込んでいる味! 魚介の滋味と野菜の甘さ、それを受け止めて支える鶏スープとミルク、全部をまとめあげるチーズの存在感。

 たまんない。

 夢中でおかわりしてしまった。ヤバい、確実に食べ過ぎてる。でも、後悔はない。皆して、気怠い満腹感に浸りながら空になったお鍋と器をぼんやり見つめていたわ。しみじみ、すごいお鍋だった。男性をも組み伏せる食べ応えと、女性受けする素材と演出。シメがスパゲティっていうのも初めてだわ。

「ふふっ。あー満足!」

 しばし虚脱して、それから小雪さんがさもおかしそうに笑った。

「今度こそは自重しようと毎回思うのに、気が付くとバゲット食べ過ぎてるし、シメもガツガツ食べちゃうし……。秋良くんは悪魔だわ」

「え、何ですかそれ? 酷い」

 笑いながら、秋良くんが今度は冷凍庫を開けた。

 ひぃぃぃぃぃっまだこれ以上何かあるの?

「悪魔ついでに、こういうのもありますが?」

 差し出されたバッドには半透明の白い凍った何か。

「空いたお皿、流しに入れてください。それと、これを盛り付けるグラスと……」

「はい、お匙」

 五条さんが率先して男性陣を促してお皿を積み上げて流しに運んでる。私は台拭きをゆすいで絞って、笹尾さんが卓上コンロを撤去した後のテーブルを拭き上げた。千秋さんがお匙を配膳し、小雪さんが人数分のガラス小鉢を並べる。

 それに、カレースプーンで掬ったそれを秋良くんが少しずつ盛り付けて……。ふわりとリンゴの香りがした。

「あ、リンゴだ?」

「当たり」

 秋良くんが笑う。

「リンゴをすりおろして、はちみつをちょっと足して、それだけのものだけど。濃厚なお鍋の後はさっぱりしたソルベがいいと思って」

「あん? ソルベって何だ?」

 梅が興味津々で秋良くんの傍らにぺったり貼りついてる。

「えっと……つまり、シャーベット?」

「なんだよ、ならシャーベットって言えよ」

「はいはい、リンゴのシャーベット。ちょっとずつだけど、お口直しにどうぞ」

 促されてひと口含めば、さらりと甘くてスッと溶けて、何とも儚くて心地いい。

 でも、明日からは節制しよう。ひそかに決意する。どう考えても一回の食事で二食分のカロリーを摂ってしまった気がするわ。問題は、秋良くんのごはんで節制が出来るかどうかなんだけどね。

 シャーベットも食べ終えて、一同揃ってごちそうさまして、小雪さんは数日ぶりの帰宅だからゴメンと部屋に上がっていった。洗濯とか、掃除とか、他にもいろいろあるんだろうな。後藤さんはバイトに、笹尾さんは履歴書を十何枚か書かなくてはならないらしいわ。千秋さんも課題があるって言って、秋良くんゴメンって言って上がってしまった。聞けば、千秋さんは大学生じゃなくて専門学校生だって。マンガとイラストの勉強していて、課題をこなすのはかなり大変なんだって。

 私は……うん、何となくまだ残っていたくて、後片付けを手伝うことにした。秋良くんは遠慮するんだけどね。

 お皿やお鍋をどこに収納するのが分からないので、私が洗って、幸江さんがゆすいで、秋良くんがそれを拭いて水屋に戻すの担当。大変なようで、お鍋のおかげで器の数は案外少ない。幸江さん……というか、お父さんがすぐ横に立つと、その迫力に改めて気圧されちゃう。私より三十センチくらい高い。まさしく見上げないと視線が合わせられないわ。

 椅子を片付けていた五条さんが、

「じゃ、先にお店行ってまーす」と幸江さんに挨拶した。お店……。勝之パパが幸江さんと名乗ってるってことは、つまり、そういうお店なのかな?

「はーい、じゃあお願いねー。あたしも片したらすぐ行くわー」

 せっかく並んで皿洗いしているんだから、何か私も話した方がいいよね。そう考えながら黙々と小鉢を洗い続けてる。幸江さんとの距離感がよく分からないわ。女性として接していいのかな?

「ふふっ混乱してるでしょ?」

「えっ?」

 幸江さんの方から話しかけてくれた!

「あたし、心はすっかりオトメなんだけど、身体はしっかり男だから、好きなように接してくれていいわよー。元々、しっかり男やってたし。奥さんもいて、息子娘もちゃんといるしー」

 そうだ、秋良くんと舞ちゃんのお父さんなんだから、お母さんがいるはずだわ。でも、話題に上らないってことは、つまり……。

「奥さんが幸江さんだったの。元々はここ、奥さんの実家。学生専門のもっとこぉ……学生寮みたいな下宿でねぇ。奥さんはあんまし身体丈夫じゃなかったから、あたしがリーマンしながら義理の両親の手伝いもやっててねぇ。そうこうしてる内に家事に目覚めて、オトメ心に目覚めて、もうちょっと稼がなきゃってピンチの時があって、出来る事ないかなぁ?って探して、スナックを始めたのよ。そう、オカマバー」

「五条さんも?」

「あの子はバイト。税理士資格取るために学校行ってるわー。あの子、意外とノリがいいから、普段とのギャップを楽しんでるみたいよ。オカマバーはね、主な客層は若い女性なのよ、知ってた?」

「え、そうなんですか?」

 それは知らなかった。そういうお姐さんを好きな男の人のためのお店かと……。

「お酒飲んで楽しくおしゃべりしたい時はオカマバーよ。ホストクラブみたいにぼったくらないし、何より、女心が分かってあげられるじゃない? それでいて、男の気持ちも解説してあげられるのよ?」

「あぁ……そうですね!」

「ただ、秋良には悪いなぁとは思ってるの。あの子が適性あって文句言わずに色々してくれるもんだから、すっかり甘えちゃって……」

 秋良くんが何かを片付けに奥へ向かったのを確認して、幸江さんがこそっと呟く。

「大学も講義に出るだけで、終わったらすぐうちに帰って管理人業務でしょう? あたしも出来るだけこっちに顔出そうとしてるけど、こっちとお店の会計業務とか色々……」

 秋良くん、学生やってたんだ? まぁ、今は年度の境目だから、講義もないだろうし。

 でも、ちょっと意外。

「あたし見て、あぁやっぱりって思った?」

「え?」

「ほら、あの子、男っぽくないというか、どこかなよっちぃでしょ? あたしがこんなだから影響受けちゃったのかなぁって……。どう見える?」

 幸江さんはちょっと困ったような顔をして首を傾げているけれど、私には意味がよく分からなかった。なよっちい……のかな?

「秋良くんって、なよっちいんですか?」

「あら、そんな風には見えないんだ」

 た、確かに、最初に会った時は女性か男性か迷ったけれど。でも、迷った理由はなよっちかったからじゃないわ。それは確か。美人さんだから迷ったんだもの。

「なよっちくなんかないです! 秋良くんはかっこいいです!」

 思わず力をこめて言ってしまった!

 ドサリと何かが落ちる音がした。

 まさか……。振り向けば、秋良くんが動揺した様子で立ち尽くしていた。足元に甘夏が入ったカゴが転がっている。

「秋良! あんた、こんな可愛いお嬢さんにかっこいいって言ってもらえたわよ、やったね!

 幸江さんが豪快に手をプルプルしてピースサインを出し、最後にテヘッとつけた。この人、見かけと渋い声を真っ向から裏切って、本当にお茶目だわ。

「あ、ありがとう……。そういう風に言われたことないんで、ちょっとびっくりした」

「かっこいいよ! ま、まぁ、私も……その……男の子って小学生の頃しか知らないけど……」

 最後のグラスを幸江さんに渡して、改めて向き直る。

 うん、やっぱりかっこいい。柔らかくて、ほわっとして、一緒にいて優しい気持ちになれるかっこよさってのがあってもいいと思う。男の人はとっつきにくいって身構えてしまう私にとっては、秋良くんのごく自然に人と接する丸さはとても素敵に見える。私もこんな風になりたい。秋良くんは私の目標だわ。

「いいわねぇ、青春」

 あら、幸江さんが何かに浸ってる。

「さって、片付け、このくらいでいい? あたし、あっちに戻るわー。…………今日のごはんも美味しかったわ、ありがとう。ごちそうさま」

 幸江さんが静かに丁寧に頭を下げる。それを受けて、秋良くんもきちっと頭を下げた。

「どういたしまして。お粗末様でした」

 いいなぁ。なんか、いい。改まってありがとうやごちそう様って言える親子ってすごく素敵。そういえば私、ママに真正面からごちそうさま、ありがとうって言えていたっけ? 言ってるつもりではいたけど、こんな風に心から言えてたかは……どうだろう? 習慣になってた気がする。

「あ、私も! 今日、すっごく美味しかった! ありがとう、ごちそうさまでした」

 ぺこんと頭を下げたら、幸江さんも秋良くんもふふふと笑い出した。

「ありがとう。美味しいって言ってもらえるのが一番うれしいよ」

「うん。歓迎会を開いてくれたのも、ありがとう。…………でも、食べるのに夢中になって、挨拶を忘れてたわ。こんなんだからダメね、私」

「あーっ」

 またも、幸江さんと秋良くんが同時に斜め上を見る。

「まぁいいよ。毎回、集まってごはんを食べる会になってるし。そうやって食卓を囲むうちに少しずつ仲良くなっていくのが、それがいいんだと思うよ」

 あ、こういう時の秋良くんの笑顔、本当にいい。失敗したなぁって思ってても、何故かまぁいいやって思えてくる。

「じゃ、あたしはお店に行くねー」

 幸江さんがローズピンクの華やかなコートを腕にかける。

「あ、父さん、甘夏を少し持って行って。皆さんでどうぞって」

「サンキュー!」

 落としてしまった甘夏を五つレジ袋に入れて、幸江さんがぶんぶん揺らす。

「じゃ、ね」

「あ、幸江さん!」

 ん?って顔で幸江さんが微笑む。あぁ、最初は似てない親子って思ったけれど、表情と間の取り方はそっくりかも?

「いつか、お友達つれてお店に行っていい?」

「大歓迎! でもね」

 幸江さんがシャキンと背筋を伸ばす。

「成人まではお酒は出さないから、そこはお友達にも言っとくように」

「はーい」

 颯爽と出勤していく幸江さんを見送って、秋良くんが玄関にカギをかけて戸締りした。

 私もおやすみの挨拶して、部屋に上がる。

 まだ二日目の、馴染みのない部屋だけど、少しずつ仲良くなれそう。

 それに、ここはとても面白いわ。


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