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ノロイコウモノノ哀歌  作者: 七節曲
第一夜
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03 友達

 清水(しみず)春香(はるか)がぼんやりとした寝起きの頭を巡らせてあたりを見回すと、そこには誰も居ないということに気づいた。

 整然と並ぶ、学習机と椅子の群れ。

 シンとした、静止した空気に、鼓膜に僅かな圧迫感を覚える。


 どうして誰も居ないのだろうか?

 そんな疑問を抱く。


 教室の最後列の窓際の席。

 彼女が座るそこからは、教室の全体が見渡せた。


 時計を見れば、もう大分遅い。


 教室のガラス窓の向こうは、もう黒々と暗かった。

 教室の中も、すでに薄暗かった。


 教室から誰もいなくなった時、まだもう少し明るかったのだろう。

 誰も明かりをつける事なく、ただ時間ばかりが過ぎていったのだろう。


 頭は、まだぼんやりとしている。

 思考に霞がかかったように、不明瞭。

 思考が泥に囚われたように、鈍い。


 昨晩、寝付きが悪くて、あまり眠れなかったからだろうか。

 ひどく疲弊している気がする。


 昨日、先輩をひどく怒らせてしまった事が気にかかって仕方がなかったのだ。


 どうしてあんなに怒ったのだろうか?

 よくわからない。

 普段は物静かで、大人びた雰囲気の先輩なのだが、それがあんなに感情を露わにして、自分を睨みつけた。

 どうしてだろう。


 そんなに大切なものだったのだろうか。

 そんなに壊れやすいものだったのだろうか。


 ただの石なのに。


 そうだ、石だ。

 私が石に触ったから、先輩は怒ったのだ。


 普通の石に見えた。

 ただ角が落とされ、綺麗に丸くなった石だった。

 それに触ったら、先輩が怒って、私からその石をひったくって、私を睨んだ。


 ああ、石か。


 でもどうして、その石がそれほど先輩を感情的にしたのだろうか。

 いや、どうして私はその石に触ったのだったか?


 ただの石なのに。

 どうして気にかかったのだろうか。


 春先の強い風が教室のガラスをガタガタと鳴らす。

 その音にハッとして、思考を打ち切る。

 いつまでも教室に居るわけにはいかない。

 あまり居残っていると見回りの先生に注意を受けてしまう。

 机の傍に引っ掛けているカバンに手を伸ばす。


「もう良いの?」


 後ろから声が掛かる。

 後ろを見ると、そこには女生徒が立っていた。


 肩まで届くつややかな黒髪。

 白く透き通る様な色の肌。

 真っ黒なセーラー服に映える白いネッカチーフ。

 この娘はいったい誰だっただろうか?


「どうしたの?」


 そう言って、少女は首をかしげる。


「まるで、私が誰かわからないみたいな顔してるけど?」


 そう言って、少女は頬を膨らます。

 機嫌を損ねてしまったようだ。


 ああ、わからないといけないのだ。


 ああ、わかっているはずなのだ。


 ああ、わかっていないとおかしいのだ。


 ああ、わかった。


 この娘は今日友達になった娘だ。


 それは忘れていたら怒る。

 誰だかわからないという顔をしていたら不機嫌にもなる。


「思い出した?」

「…うん。ごめんね」

「寝起きで少しボンヤリしていたのかしら?」

「そうみたい。」

「もう、忘れないでね?」

「うん。もちろん。」

「約束だよ?」

「うん。約束。」


 きっと私が起きるまで、待っていてくれたのだろう。

 待たせてしまって申し訳ないことをした。


「ねえ、もう部活は決めたの?」

「うん。剣道部。中学でもやってたから。」

「そうなんだ。強いの?」

「どうかな。中学の時は、試合出させてもらえなかったし、先輩から一本も取れた事なかったから。」


 二人並んで廊下を歩く。

 薄暗い廊下。

 窓は風が吹きつけた雨で濡れている。


「先輩は強かった?」


「うん。とても。部活以外でも、道場に通っててね、そこでも一番か二番くらいなんだって、そんな噂を聞いた事があるよ」


「先輩に勝ちたかった?」


「勝つのは、諦めてたな。だって、私とは全然違ったから。筋は良いって、言ってくれたけど、でもそんなの社交辞令みたいなものだし。」


「そう。」


 雨は音もなく降り続く。


「でも、そうだね。中学の内に、一本くらい取りたかったな。」


 小さく呟くように、彼女はそう言った。


 薄暗い廊下がずっと続く。

 薄く、黒いモヤがかかった様に、暗闇は次第に濃度を増している。

 左手側には教室が並び、右手側は窓と柱。

 変わらな風景が続いている。

 廊下の奥は、モヤが濃すぎて何も見えない。


 ポツリと光る非常口の緑色の光。


 二人の足音だけが聞こえてくる。


 二人手をつないで歩いている。


 冷たい手だ。


 手の冷たい人は心が温かいなどという噂があるが、本当のところどうなのだろうか。


 不意に彼女が振り返って私を見つめた。

 深く黒い双眸が私を見つめる。


 笑いかけようとしたが、うまくいっただろうか。

 彼女が笑い返した。

 だから、ああ、きっとうまく笑えたのだろう。

 三日月のようの笑う彼女を美しいと思う。


 廊下が続く。

 どこまでも続く。

 黒いモヤはますます濃くなっていく。

 静かだ。

 頭蓋を締め付けられるような痛み。


 コーンと、木槌を打つような音がした。


 ふと、思う。

 学校の廊下は、こんなに長く続いている物だっただろうか?

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