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ノロイコウモノノ哀歌  作者: 七節曲
第六夜
32/45

31 出掛けでのこと

「仄香、ちょっと来なさい。」


 母の呼び声に、塚森仄香はビクリと肩を震わせる。

 それは少し浮かれた様子でスニーカーに手を伸ばした丁度その時だった。

 白のチュールスカートに、淡藤色のカットソー。

 肩口に、薄桜のフリルネックが覗く。

 

「…なんでしょうか?」


 居間に居た母にそう言うと、母は無言で向かいに座るように手で指し示す。

 座卓に置いてある書類を一瞥して、何の話か概ね悟った。

 浮いた気分が一気に沈む様だった。

 彼女は母の真向かいに腰を下ろす。

 座布団が柔らかいのは、多少気分を良くしてくれた。


「どういうことか、説明してくれる?」


 指先で押して、塚森香苗は書類を滑らせる。

 進路希望調査だった。


「貴女の成績なら、もっと上位の高い大学を目指すべきだと、以前話したわよね?」


 その語気は強く、言葉の節々に怒りが滲んでいる様だった。

 彼女の娘は黙って項垂れているだけで、何も言わない。

 

「ちゃんと将来の事を考えなさい。もう少し頑張れば早稲田だって、慶応だって選択肢に入るじゃない。現状に妥協して努力を怠るつもり?」


 そう言って、ジッと娘を睨めつける。

 娘は、恐縮した様子で縮こまり、何も言わない。


「どうなの?」


 母の声は、鋭く、やはり怒気をはらんで聞こえる。


「…決して、そんなつもりは、ありません。」


 塚森仄香は消え入りそうな声で答えた。

 視線は、ずっと座卓の上をさまよっている様だった。

 両の手をギュッと寄せ、膝の上に押し付けて、肩を(すぼ)め、自分の体を小さく、小さく見せたいようだった。


「そう。」

 言って、母は茶を一口すする。


「じゃあ、書き直しなさい。」


 そう言って、席を立つ。


 塚森仄香は、母が居間から出て行ったのを確かめて、座卓に置かれた書類を拾う。

 そこに書かれた國學院大學と皇學館大学の文字。

 それをしばらく眺めて、小さく嘆息。

 立ち上がろう腰を上げたとこで、背後に人の気配を感じる。

 振り返ると、兄が立っていた。

 心配そうに、妹を見ている様だった。


「…どうかしまして?」

「いや、別に…。」


 少しきまり悪そうに、塚森樹は応ずる。


「…その格好、燈弥に会いに行くのか?」


 立ち上がった妹の様子を幾らか観察するように眺める。


「そうですよ。それが何か?」


 語気を強めて、妹は応じた。


「……いや。」


 何かいいたげな様子だった。

 少し、言葉を待ったが、なかなか話始めない。

 彼女は苛立たしげに、兄の横を通り抜ける。


「……燈弥に、負担を掛けるな。」


 歩き去ろうとする妹の背に塚森樹はそう言った。

 その言葉を受けて、塚森仄香は、立ち止まる。


「私が燈弥に負担を掛けているというのですか?」


 振り返り、叱責する様にそう言った。


「そう言っている。」


 兄は毅然とした態度で彼女に応じる。


「そんなわけがないでしょう。」


 妹は、更に語気を強める。


「私がどれだけ燈弥を気にかけているか、兄様にはわかっていません。」

「確かにお前はあいつを気にかけてる。それは知っている。だが……。」


 塚森樹は、自分が言おうとしている言葉を、言うべきか否か迷っているようだった。

 視線は彼の妹と、虚空の間を幾度も往復する。

 しかし、やはり言うべきだと決心した様子で、彼は妹の目をしっかりと見る。


「お前は燈弥に甘えている。」


 無理に言葉を押し出している様な調子だった。


「それの何がいけないというのです?」

「それが燈弥の負担になると言ってるんだ。」

「燈弥がそう言ったんですか?」


 塚森仄香は兄に詰め寄る。

 兄は気圧された様に、半歩後退る。

 頭一つ、兄のほうが背が高く、彼女が見上げる形になったが、それで彼女の威勢を削ぐ事はなかった。


「違いますよね? 兄様が勝手に言ってるだけですよね?」

「そうだが……。」

「だいたい、私が燈弥に甘えていると言うのなら、兄様はどうなのですか?」

「それは……。」

「私以上に、兄様の方が甘えて、負担になっているじゃありませんか!」


 塚森仄香は、言いよどむ兄を睨むと、踵を返し、床を踏み鳴らすように廊下を歩く。

 自室の引き戸を掴んでガラリと開けて肩越しに兄を見る。


「私は、燈弥の負担になんかなりません。」


 そう言うと、彼女は自室の戸を乱暴に閉めた。


 閉じた一室の中で、しばし彼女は瞑目する。

 戸板に体重を預け、深く呼吸する。

 気分が酷くささくれて居た。


「燈弥…。」


 早く、彼に会いたかった。


 進路希望調査表を机に叩きつける様に置くと、今度は誰にも声が掛けられないよう、彼女は急ぎ足で家を出た。

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