02 時を待つ
窓の外では雨が降り続いている。
春の柔らかな雨。
窓ガラスの上を伝って落ちる雫達。
カッシャっと、機械式シャッターの落ちる音。
「う〜ん。」
カメラの背面モニタを睨みながら、光史燈弥は首をひねる。
「なんか、違うんだよな。」
カシャリと、またカメラの中でミラーの跳ねる音。
「何かが違う。それは分かる。しかし、何が違うのかが分からない。」
ブツブツと、一人で喋っている。
そして「う〜む。」と、首を捻る。
「おい、燈弥。」と、呆れたような声が響く。
「遊んでないで少しは手伝ったらどうだ?」
書類を睨む目線を上げて、塚森樹はそう言った。
コツ、コツと万年筆で机を突く音。
少しばかり苛立たしげな調子でそれは響く。
「そうは言ってもね、先輩、そのレポートを提出した時点で、もう俺にできることって、な〜んも無い気がするのだよ。」
机の上に散乱する書類。
ところどころに付箋が挟まれ、メモが書き込まれている。
「まあ、そうだな。」と、樹は視線を書類に戻す。
クルクルと、器用な動作で手の上を、万年筆と赤鉛筆が入れ替わる。
そして書類の下に広がっている紙に彼は赤鉛筆で線を書き込む。
紙面をうねる等高線。
それは、山間の盆地の地図だった。
多分、学校周辺の地図なのだろう。
縦横に走る街路。
幾何学図形を描いて区切られる市街。
細い林道は山に根を張るように広がり、インターチェンジの見当たらない高速道路が、山を南北へ突き抜けている。
ややズレて南北に通り抜ける鉄道路線と、一つきりの駅。
町の中心部を走り抜ける国道は、大きな川沿いを通っていた。
町を3つに分かつ川は、大地をうねる蛇の様。
その川に囲まれた区画が中洲の町。
川で周囲から切り離され、9つの橋でしか行き来ができない。
その町の辺りに、赤い印がいくつも書き込まれていた。
「ひどいね、これは。」と、樹は目を覆う。
「まあ、時期が時期だからな。」と、燈弥は相変わらずカメラをいじりながら言う。
「今年の桜は散るのが早かったしな。」
「とりあえずは、祭までの辛抱だろう。」
「その準備にも駆り出されるのだがね、僕は。」
「そうかね先輩。手伝って差し上げられないのが誠に心苦しいよ。」
白々しくそんな台詞を吐く後輩を、彼は睨めつけた。
カチリと、壁掛けの時計の針が動く。
「…頃合いか?」
「いや、まだだろう。」
カシャリとシャッター音。
光史燈弥は書棚を撮っている。
「校内でカメラなんぞいじっていたら、うるさ方に取り上げられるぞ?」
「ああ、大丈夫、大丈夫。部活の備品ってことで許可は貰ってる。」
「なんだ? 写真部に入っていたのか、君?」
「そ、そ。2、3日前にね。」
「その割に、放課後写真部に通っている様子が見受けられないのだが。」
「うむ。基本的に顔を出していない。」
「おいおい。それで部員が務まるのか?」
「写真部員なんだから、写真とっていれば部員は務まるさ。気が向いたら数枚活動結果ということで、作品を提出すれば充分だろう。」
ふう、一つ、嘆息する樹。
「そもそも、どうしたんだ、そのカメラ?」
彼が手にしているカメラは、中級のデジタル一眼レフカメラ。
半年前にモデルチェンジした最新機の一世代前の機種とは言え、高校生の小遣い程度で手を出せる代物ではない。
よほどアルバイトでもして貯めこまなければ、手がとどかない代物だろう。
「うん。水守の婆様に貰った。新型買ったとかでな。」
「気に入られているのだな、君は。」
「孫のようにとは行かないだろうけどね。」
「どうだか。」
カチリと、壁掛けの時計の針が動く。
「…頃合いか?」
「いや、まだだろう。」
ジジジと、蛍光灯が鳴く。
「そう言えば、燈弥よ。」
「なんだね先輩。」
「卒業の件、どうなった?」
「ああ。」
彼の視線が中空を漂い、ポリポリと項を引っ掻く。
「どうやら無理らしいね、やっぱり。」
「そうか。」と樹は短く答えて、天上を見やる。
ジジジと、蛍光灯が僅かに鳴く。
「仄香には、もう言ったのか?」
「いんや。」
「黙ってるつもりなのか?」
「期を見て話すよ。そう心配しなさるな。」
「だといいがな。…あまりアイツを悲しませてくれるなよ。」
「大丈夫だよ。アイツは強いから。」
「そうだといいがな。」
カシャリと一つ、シャッターの音。
「…なんだよ。」
「いや、なかなか画になる表情をしていたもので。」
そして背面モニターを確認する。
「…う〜ん。もう少し望遠のレンズがよかったかな。」
「レンズはそれ一本なのか?」
「さすがに何本もねだれんよ。」
「…単焦点のようだね。」
「うむ。ズームは自分が使うとかってんで譲ってもらえなかった。ズームリングいじる前に、体動かすのを覚えろと、まあ、そんなことを言っていたよ。」
「スパルタだね。」
「まあ、嫌いな画角じゃないから良いのだがね。注視の画角といった所か。60ミリは難易度が高いらしいけど。」
カチリと、壁掛けの時計の針が動く。
「…頃合いか?」
「うん。そのようだ。」
ジジジと、蛍光灯が鳴く。