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ノロイコウモノノ哀歌  作者: 七節曲
第一夜
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01 桜のなかりせば

 春の長雨の事を、催花雨(さいかう)と呼ぶそうだ。

 花を(もよお)す雨。

 つまり、花を咲かせる雨、という意味だそうだ。

 しかし、今年の催花雨は、ようやく花開いた桜を、早々に、軒並み散らしてしまった。


 アスファルトにできた水たまりは、散った桜の花びらで覆い尽くされている。

 見上げれば、葉もまだ生え揃わぬ内に、無数の花柱だけを残す姿に、みぐるみを剥がれた様な寒々しさを感じる。

 冬場の、枝だけ残した姿はまだ堂々として見えるのに、なんだか今はとても見窄(みすぼ)らしい。


 また、視線を落とす。


 路の側溝に張り付いた花びらは、少し汚い。

 命に滲む死のように、腐敗の兆しを漂わす。


 そんな事をぼんやり考えながら、佇んでいた刀川(たちかわ)美空(みそら)


 音一つ立てず、傘の上に降り続ける雨粒。

 その傍らを傘を差した老婆が、「おお、怖い、おお、怖い」などと呟きながら足早に通り過ぎる。


 一体何が怖いと言うのだろう?


 遠ざかるにび色の傘を見送りながら、彼女は首を傾げる。


「クーちゃん!」と呼びかける声。


 ”美空(みそら)”の”(そら)”を音読みして”(くう)”。

 捻りのない呼び方だが、彼女のアダ名だ。

 もっとも、その呼び方をするのは、今しがた彼女を呼んだ葉沼(はぬま)千秋(ちあき)以外に皆無なのだが。


「お待たせ!」


 朗らかに笑いながら、彼女は差している傘をクルクル回す。


「お前! こら! 雨粒飛ばすな!」

「あ、ごめんごめん。」

「制服濡れるだろう。止めてよ、もぉ。」


 言いながら、彼女はスカートについた雨粒を払う。

 布に染みるまでは至っていない様だ。


 もっとも、この天気。

 布の湿った感触が、人を気鬱にさせる。

 春の雨だろうと、濡れて粋を感じる心地ではない。


「大丈夫? ハンカチいる?」

「あ〜。まあ、大丈夫だよ、千秋。こんくらいなら。」


「なんなら、私の家に寄って乾かして行きますか、刀川さん?」

 と、別の声。


「ん。大丈夫。そこまでじゃないよ。ありがと、仄香(ほのか)。」


 葉沼千秋の背後に佇むその少女にそう応じた。

 塚森(つかもり)仄香(ほのか)


 真っ直ぐな印象を覚える容姿。

 キチッとアイロンの当てられた、ブラウスとスカート。

 シワのないブレザー。

 学校案内のモデル見たいな出で立ちだ。


 少し着崩し気味な刀川や、今後の成長を見込んでか幾分ブカブカな千秋の格好とは印象が酷く異なる。

 同じ制服なのだが。

 同じ、私立玉津川(たまつがわ)高校の制服。

 この春から、同じ2年。


 もともと家が近い事もあって、以前から交流があった3人だ。

 特別仲が良いというほどではないが、学校から一緒に帰るくらいはする仲だ。


 そして本日はこちらの校門前で待ち合わせていたわけである。


 同じ高校なのだから昇降口で待ち合わせた方が濡れずに済むし良い気がするが、待つ立場の刀川が暇を持て余した末、校門前で雨垂に溜まった桜の花びらを眺めて過ごす事を選んでしまったのだから仕方がない。

 ちょうど読んでいた文庫本を読み終えて、活字を見ずに余韻に浸りたい気分だったのだ。

 待ち合わせ場所が多少変わったところでメール一本、電話一本で伝えれば済む話。

 合流にさしたる苦労はない。


 もっとも、塚森に関しては若干予定外ではあった。


「今日は光史(みつじ)の奴と一緒じゃないのか?」


 などと、些か下卑た笑みを浮かべながら刀川は塚森に問う。

 彼女が大抵帰路を共にする男子生徒が見当たらない。


「ほんとだ。トウくんいない。何かあったのホノちゃん?」


 キョロキョロ辺りを見回す葉沼。


「いつも一緒に帰る見たいに言わないで下さい。心外ですね。今日は兄と話がある様でしたので。」

「ふぅん? 家族ぐるみのお付き合いか?」

「ええ。昔なじみですので。」


 塚森は慣れた調子でそう応じる。

 その様子に「へ〜。」とつまらなそうにする刀川。


 別に光史(みつじ)燈弥(とうや)と親しいわけではない。

 ただ、友人が随分仲良くしているらしいとの目下の噂だったので、その男子生徒のことが幾らか気になっただけのこと。

 ひょっとすると色恋の話の一つでも聞けるかと期待したのだが、当てが外れたようである。


 肩を竦めていると、同じく肩透かしを食らわされた葉沼が背後の水音に振り返り「あ、シーちゃんだ。」と声を上げる。


 二人も振り返ると、雨野(あまの)寧音(しずね)が傘を差して、彼女たちの方へやや足早に近づいて来るのが目に入る。


「あれ、雨野も今帰り?」

「ええ。図書室で本を読んでいたら、もう人が疎らになり始めたの。」

「まあ、こんな天気だし、ささっと帰るに越したこたぁないさ。」

「そうね。この空じゃ、すぐ暗くなってしまうし。」


 言いながら、空を見上げる雨野。

 薄く雲間から陽の光が仄かに見えるものの、雨が晴れる様子は一向に無い。

 雨に濡れるのを避けてか、彼女はカバンをギュッと開いた手で抱きしめるようにして持っている。

 それでも濡れるのを避けきれずに、カバンに付けた少し草臥れたビーズのストラップが雫をまとっている。

 他の三人は、肌に触れるわけではない学生鞄の扱いは制服に比べると幾らかぞんざいで、普段以上に取り立てて気を使っていない。


 多少濡れたところで、中身が濡れる事はない。

 お陰で随分雫まみれである。


「雨野さんも、中洲(なかす)の人でしたね。ご一緒なさいます?」


 ”中洲”というのは、彼女らが住まう辺りの俗称で、文字通り、川の中州の事である。


「ええ。助かるわ。ぜひご一緒させて。」


 人心地ついたように微笑む雨野。

 そして4人、誰と無く雨降る路を歩き出す。


「ねね、またあの夢見たんだよ! 仮面の人!」

「また? 千秋、その夢月一で見てない? なんか憑かれてるんじゃない?」

「むぅ! 違うよ! 仮面の人はいい人だよ! 仮面の人の夢みたら一月は怖い夢見ないんだから!」

「ああ、また最近うなされるとか言ってたっけ。」

「うん! これで明日からまた寝覚めすっきりだよ!」


 シトシトと、暖かな雨は降り続ける。

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