00 丑満時のこと 1
夜中、ふと目が醒める。
酷く寝汗をかいていて、濡れた布団が肌にまとわり付くのが気持ち悪い。
彼女は、布団を押しのけて起き上がる。
疲れていた。
眠りは彼女の疲労を取り払わなかった。
カラカラに乾いた喉。
水が欲しくて、彼女は立ち上がった。
ドアノブを捻ると、仮締りの金具がカッチャリと音を立てる。
蝶番が軋みを上げ、ゆっくりと廊下の闇が現れる。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
灯りの無い廊下を壁伝いに歩く。
裸足のつま先にフローリングがひやりと冷たい。
すえた臭いがした。
ふと立ち止まる。
目を凝らすが、闇が濃い。
灯りをつけるスイッチが見当たらない。
息がもれる。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
鼻をついた臭いは消えている。
歩を進める。
壁紙の凹凸が掌から伝わってくる。
皮膚を伝う乾いた感触。
垂れ込める静寂が鼓膜を圧迫する。
つばを飲み下す音。
詰まった息を肺から押し出し、荒い呼吸が苦しい。
そう、息が苦しい。
これは夢の続きだろうか?
何をばかな、と彼女はコメカミを抑える。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
廊下を折れる。
ぎょっとして、四肢が凝固する。
いや、単に灯りが漏れていただけだ。
おかしな事ではない。
廊下を折れたところで、薄く開いた扉から漏れる灯りが目に入っただけだ。
おかしな事は、何もない。
数歩、前に進み、ためらいがちに扉に手を近づける。
一瞬だけ触れた指先。
伝わってきたのは木の扉の硬さ。
僅かに扉が揺れた。
だが直ぐにその震動は停まる。
元の通り、薄く灯りを漏らしたままに静止する。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
そっと扉に手をかけて、ゆっくりと隙間を広げる。
こわごわと覗きこむと、そこは見慣れたダイニング。
座る人の居ないダイニングテーブルの上で、灯りが静かに照っている。
灯りはその一個きり。
少し広めのリビング・ダイニングの、全体を照らすには少し足りない。
リビング側の照明をつけようかと、そちらの闇をちらりと見やる。
ポチャンっと滴の垂れる音。
シンクの、薄いステンレスを水道から漏れた水が打つ。
しっかりと閉めなかったのだろうか?
蛇口の淵でゆっくりと滴が膨らみ、落ちる。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
歩を進める。
食器の並ばないダイニングテーブル。
誰も座らないテーブル・チェア。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
すまし顔で佇むダイニングテーブルは、暖色がかった灯りに照らされて闇の中に浮いている。
キチッと、背もたれをテーブルの淵と平行に据えられた椅子。
その横をゆっくりと通り過ぎる。
横目に、静止した空間のなかを、ゆっくりと埃が漂うのが見える。
テーブルの下に、闇が淀んでいる。
喉が乾いている。
早く水を飲まなければ。
まだ湿り気を帯びた、洗われて間もないグラスを手に取る。
ポタリ、ポタリと滴が垂れる。
ハンドルに手を掛ける。
その腕を掴まれる。
冷やりとした血の通わない手が肌に食い込む。
「ねえ。」
耳元でかすれた声がする。
「死なないの?」
バサバサの髪の合間から覗く、真赤に充血した目。
暗転。