プロローグ
鼻をつくのはカビの匂い。人の痕跡が消えて十数年経っているそこは、自然が好き放題に勢力を伸ばす無法地帯。
耳に届くは幾人かの足音。音をたてないように訓練されていても、床に散らされた有機物、無機物、あらゆる物の破片を踏んでは、完全に消し去るのは困難である。
眼に映るは一体の標的。天窓から差し込む月明かりを頼りに、乱雑に置かれた資材の隙間から相手の動向を覗く。
壁沿い、床から十メートルほどの位置に設けられたキャットウォークに潜み、息を殺す。
標的はゆっくりとフロアを移動中。予想していた動きだ。
右手は腰もとのシースケースに差し込まれた柄に。左手につけた時計の時間を確認する。
カウントダウンタイマーは十秒を切っていた。
特に、人間の声に敏感な”奴ら”である為、時間で行動を開始するのがチームの鉄則となっていた。
三秒・・・目下の標的に視点をロックする。同時に、肺一杯になるよう息を吸い込んだ。
二秒・・・屈み、折り曲げている両足に力を込め、爆発的に飛び出すだけの力を溜める。
一秒・・・視界の端、標的正面の障害物に隠れているバーディーが火器を構える様子を捉える。
臆することはない。何も、今回が初めての作戦ではないのだから。
屋内に響き渡る重機関砲の爆発音。暗闇を照らす、オレンジのマズルフラッシュ。それらを皮切りに、彼はキャットウォークから飛び跳ねた。
身体を投げだす。その真下では、二つの人影が真正面から銃撃戦を演じていた。
左手、二十メートル程先でライフルを構えているのはバーディー。組んでから三年になる、気心の知れた野郎だ。
そして、飛び降りる着地点でバーディーと撃ち合っているのが標的だ。
サラリと流れるブロンドに小柄な体。それらは、身に付けた真っ黒なプロテクタースーツと、片手で扱うアサルトライフルとはとてもアンバランスで、忌々しく映る。
「アルト! 降りるよ!!」
『おうよ! 頼んだぜ!』
インカムからの声でバーディーからの銃撃が止む。同時に、右手で掴んでいた柄を引き抜く。
チリチリと大気との摩擦音を上げる青白いナイフ。
落下のスピードと勢いを持って、それを標的の背中に突き立てる。
バチン! と大きな火花を散らし、標的はまるで糸の切れた人形のように地面に倒れこんだ。
まずは一体。
「一撃とは見事だねぇ。そんじゃあ、他の連中のバックアップに行くぜ、リョウゴ」
「オーケー。さっさと終わらせて帰ろう」
バッテリー切れを嫌い、すぐにナイフをケースにしまう。リョウゴにとって、これが唯一の武器であり、命綱だ。
二百×二百メートルの敷地面積を誇るこの廃工場では、四体の標的を相手取っての作戦が展開されていた。
リョウゴとアルトのチーム、”ガルム”は工場の一番南側。そこから北に等間隔に三つのチームが広がる、という構図だ。
「ガルムクリア。繰り返す、ガルムクリア。各員状況は!」
錆だらけで、所々が朽ちている巨大なラック群をすり抜け、発砲音の鳴り響く場所を目指す。
『こちらスピアー、救援を頼む! 緊急だ!』
「ガルム了解! 急行する!」
要請を受け、アルトにアイコンタクトを送るとリョウゴが先行する。
崩れる心配の無さそうなラックを視認すると、足と手を引っ掛けて一気に駆け上る。野生動物もかくやという動きは弛まぬ訓練の賜物だった。
ラックからラックへ飛び移り、一番北側で行動中のスピアーの元に駆けつける。
その最中、飛び越えてきた他のチームは順調に作戦をこなしているようであった。
最後、ラックから壁に張っているパイプに飛び移ったところで、目標を確認する。
ショートカットに、スラリとした長身。右手には、凶々しい鉄塊であるミニミ。とても厄介なタイプの標的であることを瞬時に察知する。
作戦はさっきと同じ。気付かれる前に近づき、頭上から飛び降りてコアを一撃。
早速行動に移ろうと、ナイフに手を伸ばした・・・その時だった。
「逃げろ、リョウゴ!」
危険を知らせる声がフロアから向けられる。
理由ははっきりとしていた。
完全には視認できていなかった、標的の左腕がリョウゴの方に向けられていたからだ。
握られているのは、グレネードランチャー。十分に射程距離である。
「っ!」
リョウゴがその場から飛び降りた直後、今しがたへばりついていた壁は爆炎に巻かれ、粉々に吹き飛んでいた。
転がり込むように遮蔽物に身を隠すと、そこにはアルトとスピアーの片割れの姿があった。
「間一髪だったな。ちょっとは俺に感謝しろよ、リョウゴ」
「あ、ああ、感謝するよ。マジで・・・」
心臓がバクバクと全身を打ち鳴らす。あれだけ死線に近づいたのは、ここ最近ではさっきのが一番だった。とにかく、落ちつけようと深呼吸を一つついた。
「ヘビーガンナーだ。おまけにフィールド装備で、手持ちの武器じゃあ手に負えない」
「ちぃ! 電磁フィールドで弾丸が逸れるなら、ゼロ距離戦闘の一択だな。そういや、おたくのストライカーはどうしたんだ?」
「あそこで寝てやがるよ! しくじりやがって、そのまま掴まって一撃だ!」
標的の足元に転がっている人影を一瞥する。
リョウゴと同じ装備品。ストライカーという役回りの証である。
「俺が近づいて仕留める。援護を頼む」
「おいおい、冗談だろ? グレネードとミニミ装備のじゃじゃ馬だぜ? 他の連中がバックアップに来るまで待った方が賢明だろう」
「その通りだ。数で押せば、安全に倒せる相手だろう。ムリする必要はない」
リョウゴの提案に対して、二人は断固反対の様子。
影から覗き見ると、標的は何やらリョウゴ達の頭上を見渡している様子だった。
「たぶん、そんな時間は無い。上を見渡して角度算出してるみたいだから、グレネードを撃ち込まれるぞ」
「マジかよ!? ・・・仕方ない、強硬突破といくか。アンタは俺と援護射撃だ。リョウゴ、ステルスの効果時間はどれくらいだ?」
「ヘビーガンナー相手だったら、二秒ってところかな」
腕時計のモード選択スイッチを押す。
”Stealth”という表示に切り替えれば、あとは実行を押すのみだ。
「良し、そしたら合図で飛び出せ。弾は散らさないように気をつけるが、出来る限り壁際を走れよ」
「うわさ通り、無茶をする二人だな。ガルムは」
それぞれが位置につく。
アルトとスピアーは銃を構えて遮蔽物の淵へ。
リョウゴは壁際、一直線に目標に向かえる位置へ。
準備が整ったのを確認すると・・・
「行け!!」
アルトの号令で一気に飛び出す。同時に、腕時計の実行スイッチを押した。
姿勢を低くとり、全力で地面を蹴飛ばす。
ほんの数センチ横は、味方の銃弾と敵の銃弾が交差する死の淵。生きた心地はしないが、それはいつものことである。感覚はもうとっくに麻痺していた。
二秒の時間で、標的との距離は三歩のところまで詰めていた。ここまでくれば、相手の姿をはっきりと視認することができる。
色白で、顔立ちの整ったグラマラスな肢体の女性だった。けれども、美貌を纏ったその顔に張り付いているのは、まるで能面のように冷たい表情。
感情というものが”無い”故に、それらには表情というものも存在し得なかった。
突然、思い出したようにリョウゴに顔が向けられる。
ステルスというのは、電子策敵を無効化する装置のこと。機械を相手取ったときにのみ有効なステルス装置。
それの効果が切れて、ようやく相手はリョウゴの存在に気がついたのである。
リョウゴはナイフの間合いに入っている。そこは、もうミニミの懐。銃撃を受ける危険はないが・・・決して油断できる間合いではない。
右腕が薙ぎ払われる。横腹をめがけて襲いかかる砲身に左手をかけて、凶器をかわすと共に一気に身体を宙に跳ね上げる。
焼けた砲身を触ったせいで左手に激痛が走るが、今は気に留めている場合ではない。
ムーンサルトの要領で身体をひねり標的の背後へ。
引き抜いていたナイフを、さっき仕留めた標的と同じ場所に突き立てた。
「回収できたのは三体か。そのうち二体は俺たちの手柄、と。今日もご苦労だったねぇ」
「最後のはちょっと危なかったけどね。まぁ、お互いに無傷で良かったよ」
作戦を終え、輸送用トラックに揺られながら、互いの無事を喜び合う。
目の前の担架には、先程リョウゴが機能停止させた二体の人型が、まるで眠るように横たわっている。
”ドール”と呼ばれる戦闘機械との戦争が始まってから、もう十年近い歳月が経過していた。
もともと、ドールというのは人間が開発したアンドロイドであり、当時は人間の生活補助を目的とした製品として製作、販売されていたものである。
それが人間に反旗を翻し、無尽蔵に製造されたドールが武装して襲いかかってくる正確な理由を、リョウゴはもとより、こうして戦っているものの大多数は分かっていない。
戦争の当事者は全員いなくなってしまい、相手側に問おうにも、その相手がどういったもので、何が目的で、ドールがどこから攻めてきているのかも良く分かっていないのだ。
生産ラインを統括していたAIの暴走。大陸の掌握を狙う何者かの陰謀。所説は様々であるが、どれも確証はない。
ただ、襲いかかってくる敵を迎え撃つ。そうして、少しずつでも情報を集めて状況の打開に努める。
それが、今生き残っている人々にできる唯一の事だった。
「ヘビーガンナーを仕留めたのは大きかったよな。こいつをリプログラムしてバーディーにすれば、かなり心強い味方になるぜ? 見た目も、まぁイケてる感じだしな」
「アルトはドールと組むのに抵抗とかないのか? 急に襲いかかってきたらどうしよう、とか」
「そりゃあ、無いこともないけどな。でも、戦力としては一級品だろう? 暴走事例も今のところは無いし。上層部も、これからはドールとのペアに切り替えていく方針みたいだから、いつまでも疑ってられないぞ」
人間がペアを組み、一体のドールを相手取るというのが今の状況であるが、人員確保を見越して確保したドールを改修、人間と組ませるのが段々と浸透してきている。
先程、リョウゴとアルトのチームであるガルムと共に出撃していたチームは実績を伴っている為に後回しにされていたが、もうまもなくドールとのペアに再編される予定だった。
「お前とのコンビも長かったよな。ドールと組んでからも俺のこと忘れないでくれよな」
「忘れない、忘れないから! 気持ち悪いからくっつくなって!!」
先の見えない戦い。明日は命が無いかもしれない。
しかし、失うものなど何もなく、自分がいなくなって悲しむ者もいない。
そういう状況もあって、リョウゴはストライカーという立ち位置を選んでいた。
・・・つまり、早く死ねる場所を無意識に探していたのかもしれなかった。
思いつきで、本当に思いつきで書いてしまった作品です。
どんだけの内容になるのかは神のみぞ知る世界!
好き勝手やってしまったが後悔はない!!
更新ペースは遅くなってしまうかもしれませんが、
それなりに楽しんでいただければ幸いです。