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Rapunzel Ⅴ   作者: 智郷樹華
2/2

(後編)

伶のもうひとつの「出逢い」です。

時間軸的には、Rapunzel Ⅳが始まる直前あたりです。

※一部、追加、編集させていただきました。(11,8,7)

この身に触れるなんて、何て愚かなのかしら。

けがれて汚れて穢れてケガレテ。

その身が得たものの真意を知らないなんて。

憐れで惨めで酷薄な代償。

悦楽という名と引き換えの「      」。




「あ~頭が痛い……」

二日酔いなどではまったく無く、例の夢を見続けていた私は、頭痛に悩まされていた。

契約中なら、こんなことはなかったのに。

つくづくあの旦那を恨めしく思ってしまう。

こういう時は、彼女の歌声を思い出して眠ってしまうに限る。

甘い音色と、この世のものとは思えない彼女の微笑み。

あの空気に包まれればきっと、この鬱陶しい感覚から解放される。

そう思いついて、重い身体を動かした。

だが今日は、いつものように避難先の教会の扉を開けると、先約が居た。

「……」

「……」

お互いに無言で見詰め合う、いや、見定め合う、の方がしっくりくる。

それくらい、目の前に立つ女性の眼はぼんやりとしていながら、警戒心があった。

私はいつもの調子で笑顔を浮かべると、扉を開けたまま声を掛けた。

「こんにちは、ワタシは伶。お昼寝に来たのだけど、お邪魔だったかしら?」

「……」

やっぱり無言。

かと思いきや、彼女はそのまま真っ直ぐに歩いてきて―――通り過ぎて行った。

思わず呆気に取られてしまい、黙って見送ったけれど、ちょっと違和感がある。

無視というのには多少免疫があるが、あれは「身を引かれた」感じがする。

なんだか久し振りに、ぞくぞくした。



それから何度か顔を合わせていると、会うたびに声を掛ける私に観念したのか、それとも慣れてきたのか、話しをするようになった。

実際は、窓から彼女が歩いて行く姿を確認し、偶然を装って登場していたのだけれど。

だって女性はいくつになってもロマンティストなんだ、て三番目のパトロネスが言っていたもの。

……五番目だったかな……?

とにかく、その間に私は彼女の情報もいくつか入手した。

名前は野篠院のじょういん さかえ。このなつめ総合病院の創始者の血縁だそうだ。

だからなのか、特別病棟の人目に触れない場所でひっそりと療養している。

理由は忘れたけれど、居場所を極秘にしているらしい。

実際、廊下などでも彼女の姿を目撃したことがなかった。

だからこそ、私の興味も掻き立てられたんだけどね。

新しい出会いは、確実に私にも訪れていたのだ。



「伶」

彼女は私をそう呼ぶようになった。そう長くはない間に。

だから私はにっこりと微笑んで、彼女に寄り添う。

そうすると白く細い指先が、静かにゆっくりと私の髪を撫でる。

――ああ、久し振りの感覚だわ。

目を細めてそれを甘受する私に、彼女はまたやさしく名を呼んだ。

「伶」

「はい。榮さん」

名前を呼ばれて応える。

ただそれだけの時もあった。

言葉を交わすことが不要な時間が流れると、榮さんはいつもほっと穏やかな表情になる。

冷たい指先が体温を取り戻して、形ある存在に変わっていく。

まるで魔法が解けるようであるのに、私には、きらきらと降り注ぐ光の雨が見えた。

「伶」

「はい。榮さん」

「あなた、どうしていつも浴衣なの?」

「う~ん。寝間着代わりだからですかね?」

「ふふ。どうして疑問系なの?」

「ワタシにも分からないんです。どうして浴衣なのか。用意をしてくれたのが誰かは分かるんですけど」

「じゃあ、用意してくれた方はどなた?」

「ハウスキーパーのお婆ちゃんです。でも、縫ってくれたのはハハ(・・)です」

「まあ。手作りなの? すてきなお母様ね」

「ありがとうございます。もともと和裁が得意な方でしたし、小さい頃は洋装より和装が多かったので、ワタシにはあまり違和感はないんです、コレ」

「そうなの。だからなのね、あなたが着慣れた風であるのは」

「似合ってる、てことですよね? 嬉しいです」

「当然よ。だって最初、サナトリウムの亡霊か、そうでなければタイムスリップしたのかと思ったくらいですもの」

「あら。それだったらワタシだって、マリア像が人の姿になったのかと驚きましたよ?」

ふたりの間で笑いが零れた。

出逢った時に比べれば、榮さんは本当によく笑うようになったと思う。

あの感想は誇張ではなくて、確かに私が覚えたものだ。

淡い色の夜着ナイト・ウェアに包まれた白い姿態で、生気の薄い瞳はそのまま石膏像のようであった。

人間らしさが希薄で、欲望も煩悩もなりを潜めていたから。

それから言葉を交わすようになって、大人っぽい外見に随分と少女らしい部分を持つ、可愛い人だと知った。

綺麗なだとは思うけれど、穏やかに微笑む姿は本当にマリア像のようだと感じている。

「もうひとついいかしら、伶?」

「はい。ワタシに答えられるものなら、幾つでも」

「時々ここで歌を歌っているのは、あなた?」

突然の質問に、私は面喰らった顔になる。

此処を訪れているのだから、知っているのは当然かもしれない。けれどまさか、あの歌声の主を私と間違うなんて。

可笑しさに笑いがこみ上げたが、ぐっと我慢する。

「残念ながら、違います」

「そう。私は一度だけ聞いたことがあるのだけど、部屋からだったからその姿を見たことが無いの」

残念そうに溜め息を吐く悩ましげな仕草が妖艶で、私は思わず口を開いていた。

「彼女は精霊なんです。姿を見たらたちまち虜になってしまいますよ」

「そうみたいね。私の妹が、その歌姫にご執心なようなの」

初めて、榮さんの口から家族のことが出た。

私は彼女のことが自分以外に知られていた事実より、そのことに少し驚いた。

「榮さんも、彼女に会いたいのですか?」

「……ふふ。伶が一緒なら、会ってみようかしらね」

白い手が伸びて、私の頭を撫でた。

宥めるような、あやすようなその指先に、私は困惑する。

だから―――

「きっと、彼女に会えますよ」

私らしくない言葉を口にしていた。



「ワタシは、Rapunzelなの」


少し汗ばむ中で、私と榮さんは雨宿りをしながら話をしていた。

正確には、例の如く礼拝堂で話しているうちに、夕立で戻れなくなってしまったのだ。

雨音に紛れながら、どちらからともなく自分の話を始めていた。

ただ私がそう言ったのは、榮さんが、

「あの時、マレーン姫の話が浮かんだの」

と雨の向こうを眺めながら言ったときだった。


「マレーン姫って、童話の?」

「そう。相思相愛の王子と結婚するために塔に入っているうち、王子は別の姫と結婚することになっていた、というお話」

「確か、別の姫との婚礼を身替りになって出席するんですよね」

「ええ。それが元で、マレーン姫は王子と再会することになるのよ」

「……もしかして、訪ねて来た女性がマレーン姫だと思っていらっしゃる?」

「そうね。約束は守られるべきで、運命は変えられないものだと感じたのよ」

俯きかけた榮さんの顔を、私は下から覗き込む。

涙はかろうじて目尻に止まっているようだ。

「私、あの女性が家を訪ねて来たとき、何故か直ぐに分かったの。あの人と関係のある女性だって」

ぽつりぽつりと、雨音に紛れて榮さんは話し始めた。

「学生時代から、付き合いがあったのですって。でも彼女が家の都合で遠く離れてしまって、その間にあの人は私と結婚していた。

彼女は涙の浮かんだ目で「返して」と言ったわ。その瞬間、今までの全てが撃ち抜かれた気がした。

こう見えても私たち、恋愛結婚だったのよ。出会いは家の繋がりもあったけれど、あの人と一緒に食事をしたり、街を歩いたりした。そうして確かに、私自身が決めたことだったの。

この人と歩いて行く。同じ時間を歩く未来、喜び。

あの人の手を取った時に、感じたはずだったのに……もうわからないわ」

震える声に、私はじっと耳を澄まして聞いていた。

そっと指先に触れると、一瞬だけ拒んだ後、手を重ねられた。

ぎゅっと握られた手は、少しだけ痛い。

「明日、父に会うの……。答えを、出す約束なの」

「……悩んでいるの……?」

「そうね。私の一言で、人の一生が決まるのですもの」

「……榮さんは、別れたいの?」

「よくわからないわ。考えたくもない」

「じゃあ、今のままを続けるの?」

榮さんは黙って首を振った。

意外だ。

きちんと現実を見ている。

この人の芯は強いと気付いていたけれど、だから傷が酷いのだと気付いているだろうか。

そして、つけ入る隙ができていることも。

「……相手は、別れたいの?」

これにも首を振って返される。

「私の答えを聞きたいと言っているそうよ」

「別れたくないのかしら?」

「さあ。でも明日、会うことになっているの」

そいつも見抜いているのだろう。

言い募れば押し切れる可能性が、榮さんにはあることを。

勿論、利益だけを考えている場合もあるけど。

「……ということは、榮さんが思っているほど、例の彼女とは本命関係じゃなく、愛人関係だったのね」

「そうなの、かしら……?」

声が揺れた。

この様子じゃ、本当にいいように押し切られてしまいそう。

「ねぇ榮さん。ワタシ、思うんです。あの物語が言っているのは、「神の前で誓った者同士が結ばれる」ということじゃないかしら。

結婚式を挙げた時点で、榮さんこそがマレーン姫(主人公)なのでは?」

「だけど、それは……」

「過去は変えられないと言うけれど、変わらないのは事実だけ。視点が違えば出来事の意味も異なります。

それにワタシ、王子に助けてもらおうと待っていてはダメだと思うんです。彼らは所詮【王子】でしかないんですもの。出逢って物語を進めるためには、彼らの興味を引かなくちゃ」

「随分とアクティブなお姫様ね」

「ふふ。ひとつだけのスパイス、魔法の一滴です。榮さん」

秘密の薬を教えるように、私は口許に人差し指を立てた。

顔を上げた榮さんは一度だけ笑って、

「あなたは強いのね。その瞳で相手の心を読んでしまう」

言いながら私の頬をひと撫でした。

その目は水面のように揺れて、ゆっくりと視線を外に向けた。

私は気分を切り替えるように、わざと明るい声を出した。

「ねぇ榮さん。少しワタシの話をさせて」

きょとんと目を丸くした榮さんに、にっこりと笑顔を見せて私は続けた。

「ワタシは、代償に差し出された赤子《Rapunzel》なの」

「……魔女に差し出された子ども?」

「はい。ワタシの母親は、ワタシを産んでお金持ちの家の門前に捨てたの。でもここからがスゴイ。ワタシなのか母なのか、結構な強運が発揮された。だって普通、そんなことがあれば警察に届けるでしょ。世間は騒ぐ訳で、母親は逮捕されるかもしれないし、血縁の身内に子どもは預けられるって流れだわ」

「そうね。常識的には」

「なのにそのお金持ちの主は、通報するどころか子どもを育て始めたの。見ず知らずの赤ん坊で、女の子。跡取りなんかにもならないのに」

「慈善のひとつだったのかしら……」

「いいえ。その主――まぁ当時は女主人だったのですけど、彼女は子どもが、夫が愛人に産ませた子どもだと思ったらしいの。だから悔しくて、憎らしくて、憤りの捌け口とするために、子どもを育てることにしたそうよ。お金持ちの考えることって、面白いわ」

重ねられている手を、私は強く握り締める。

「数年後、家の当主が帰ってきた時には騒然としたわ。留守の間に子どもができて成長もしている。しかも身に覚えの無いことで妻からは罵られ、事態は取り返しのつかないところまで来ていた。だから当主は、その子どもを実子として家に迎え入れることにした。それが、ワタシのお義父様」

「それじゃ…――」

「ええ。義母からは、そりゃあもう恨みつらみの篭もった躾を与えられました」

話の内容から察した榮さんは顔色を変えたけれど、私は変わらず笑みを浮かべている。

嘘偽りのない、本心の言葉を、私は続けた。

「でも、ここまで育ててくれたのは確かに【魔女(義母)】で、私はこれ以外の生き方を選べない。

だったら、楽しむ方が何万倍も良いわ。苦しんで、沈んで、嘆いているよりも断然有意義。

どうせ世界が変わらないのなら、自分の気持ちを変えれば良い。そう思ったんです。

だって、ワタシはワタシでしか生きられないのだから。

湿っぽく自己陶酔して、悩んで足掻いて泣いた時だってあります。朝なんて来なくていいのに、て何度も願いました。考えて考えて考えた末に辿り着いたのは、変わらないこの身の存在だけ」

榮さんの眼には、同情、憐れみ、愁いと言った感情が浮かんで消える。

私は抱き締めたい衝動を抑えながら、さらに話を進めた。

「そんなワタシに、ある時一人の老婦人が仰ったんです。「私の子どもにならないか」て。

どうやら噂になっていたみたいで、私を興味本位で訪ねてくる方もいらしたんです。それで、試しにちょっとだけでもって強く言われ続けて、その老婦人の家に行くことになったんです。

最初のひと月は普通だったんですよ。だからもう少し居ても好いかなって気になりました。

そうしたら、綺麗な洋服を着せて可愛いリボンを巻いてレースに包まれた硝子箱の中に入れられたんです。

アハハ! 今でも笑ってしまいますけど、本当にガラスケースに入れるなんて、信じられます? ホント、面白い体験をしました」

「それで、どうしたの……?」

「一週間くらい経ってましたかね……遊びに来た女性が、偶然ワタシを見つけて外に出してくれました。穏便に」

「そう。良かっ―――」

「でも、類は友を呼ぶんです。彼女も、自宅に連れ帰ったワタシを化粧箱に入れました。足枷を付けたのも、彼女が最初でしたね」

「………」

さすがに引いたかな。

榮さんの眼に虚ろな影が揺れている。

「三人目の女性は、先の女性からレンタルしたって言ってました。彼女は画家でもあったらしくて、いろんな拘束具を付けさせて絵を描く方でした。花に埋もれた時は、メルヘン世界に入り込んだかと錯覚するほどでした。

そして契約が終わった時に現れたのが四人目。ここでワタシは家に連れ戻されることになります」

「何が、あったの……?」

「お話ししたいのは山々ですが、残念ながら、ワタシもよく覚えていないんです。

ただその時、初めてこの病院に入れられたんですが、直前に義父に言われた言葉は覚えています」


「この犬が!」


「おそらく、家名を汚したワタシに怒り心頭だったんでしょう。でも確かに的を射てますよね。

だってワタシを囲った人たちは、【お人形】が欲しくてあんな行動に出ていたんですもの。言い換えれば【愛玩具ペット】感覚でワタシに接していたんです。

義父は、ワタシが逃げ出さなかったことで、甘んじてその生活を送っていたと考えたようでした。

常識で考えたら、当然ですよね。逃げるチャンスなんて、きっと何度もあった筈だもの」

「でも、逃げられない理由だってあったのでしょ? 彼女たちが、あなたを手放したくないと思っていたなら」

「やさしいですね、榮さんは。だけどきっと、あの生活がワタシの性には合っていたんです。あ、言っておきますけど、自虐趣味があるとかじゃありませんよ。ただ純粋に、求められていることが嬉しかったんです」

私は一度目を閉じて、正面から榮さんを見つめた。

「こんなことを話したのは、榮さんに知っておいて欲しかったからです」

「………?」

「ワタシという存在。それを、榮さんの胸の片隅に置いて欲しくて」

「………」

「榮さんがどんな答えをだそうとも、ワタシは変わらず側にいます」

「……伶」

「榮さんが望むなら、ワタシはいつだってこの身を差し出しますよ」

「りょ、う……!」

繋いでいた手を引かれて、私は榮さんの胸に包まれる。

肩に、雨ではない雫が触れる。

私は自由な方の手でその背中をさすった。


ああ、本当に脆いヒト。

こんなんじゃ、また傷ついて苦しんでしまうわ。

私にしては気の迷いとしか言いようがないのだけど。

自分で誘導しておいてなんだけど、やっぱり誰かが側にいないとだめなのね。

身代わりでも良いと思うのなら、この手を取ったらいいわ。




「あなたのこと、何て紹介したら良いかしら?」

「何でも構いませんわ。Pupe? それともHaustier?」

おどけた調子で言うと、榮さんはくすくすと面白そうに笑った。

少女のように、愛らしい笑い方だ。

「さ、着いたわ。行きましょう」

丁度良く車が玄関前に停車した。

私は車を降りて榮さんに手を引かれながら、何て紹介するのか楽しみに思う。

エントランスホールに立った私たちを、数人の男女が迎えた。

顔馴染みの主――榮さんと、その横の振袖姿の小娘を見て、彼らの目は点になる。

予想通りの反応に笑い出したくなる。

半歩前に立つ榮さんは、軽く一瞥してその唇を開いた。


「Sie ist meine Libe.」


耳を疑った。

“Libe”? “Geliebte”ではなく?

榮さんの口から出た言葉に、私は表情を作ることを一瞬忘れた。

私だって驚くことはある。

その反応がお気に召したのか、颯爽と二階に案内する榮さんの顔には、少女のような笑顔が浮かんでいた。

私は手を引かれながら、「今回は負けを認めるわ」とその背中に囁いた。



――この身にいくら傷痕を残そうとも、私はあなたの愛を忘れない――


伶の物語はいかがでしたでしょうか?


これで全ての謎が解けた形では無いと思いますが、これまでの主人公たちと伶の関係が大体これで見えた筈です。


※Rapunzelは一応この回で終幕となります。

ありがとうございました。

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