(後編)
伶のもうひとつの「出逢い」です。
時間軸的には、Rapunzel Ⅳが始まる直前あたりです。
※一部、追加、編集させていただきました。(11,8,7)
この身に触れるなんて、何て愚かなのかしら。
けがれて汚れて穢れてケガレテ。
その身が得たものの真意を知らないなんて。
憐れで惨めで酷薄な代償。
悦楽という名と引き換えの「 」。
「あ~頭が痛い……」
二日酔いなどではまったく無く、例の夢を見続けていた私は、頭痛に悩まされていた。
契約中なら、こんなことはなかったのに。
つくづくあの旦那を恨めしく思ってしまう。
こういう時は、彼女の歌声を思い出して眠ってしまうに限る。
甘い音色と、この世のものとは思えない彼女の微笑み。
あの空気に包まれればきっと、この鬱陶しい感覚から解放される。
そう思いついて、重い身体を動かした。
だが今日は、いつものように避難先の教会の扉を開けると、先約が居た。
「……」
「……」
お互いに無言で見詰め合う、いや、見定め合う、の方がしっくりくる。
それくらい、目の前に立つ女性の眼はぼんやりとしていながら、警戒心があった。
私はいつもの調子で笑顔を浮かべると、扉を開けたまま声を掛けた。
「こんにちは、ワタシは伶。お昼寝に来たのだけど、お邪魔だったかしら?」
「……」
やっぱり無言。
かと思いきや、彼女はそのまま真っ直ぐに歩いてきて―――通り過ぎて行った。
思わず呆気に取られてしまい、黙って見送ったけれど、ちょっと違和感がある。
無視というのには多少免疫があるが、あれは「身を引かれた」感じがする。
なんだか久し振りに、ぞくぞくした。
それから何度か顔を合わせていると、会うたびに声を掛ける私に観念したのか、それとも慣れてきたのか、話しをするようになった。
実際は、窓から彼女が歩いて行く姿を確認し、偶然を装って登場していたのだけれど。
だって女性はいくつになってもロマンティストなんだ、て三番目のパトロネスが言っていたもの。
……五番目だったかな……?
とにかく、その間に私は彼女の情報もいくつか入手した。
名前は野篠院 榮。この棗総合病院の創始者の血縁だそうだ。
だからなのか、特別病棟の人目に触れない場所でひっそりと療養している。
理由は忘れたけれど、居場所を極秘にしているらしい。
実際、廊下などでも彼女の姿を目撃したことがなかった。
だからこそ、私の興味も掻き立てられたんだけどね。
新しい出会いは、確実に私にも訪れていたのだ。
「伶」
彼女は私をそう呼ぶようになった。そう長くはない間に。
だから私はにっこりと微笑んで、彼女に寄り添う。
そうすると白く細い指先が、静かにゆっくりと私の髪を撫でる。
――ああ、久し振りの感覚だわ。
目を細めてそれを甘受する私に、彼女はまたやさしく名を呼んだ。
「伶」
「はい。榮さん」
名前を呼ばれて応える。
ただそれだけの時もあった。
言葉を交わすことが不要な時間が流れると、榮さんはいつもほっと穏やかな表情になる。
冷たい指先が体温を取り戻して、形ある存在に変わっていく。
まるで魔法が解けるようであるのに、私には、きらきらと降り注ぐ光の雨が見えた。
「伶」
「はい。榮さん」
「あなた、どうしていつも浴衣なの?」
「う~ん。寝間着代わりだからですかね?」
「ふふ。どうして疑問系なの?」
「ワタシにも分からないんです。どうして浴衣なのか。用意をしてくれたのが誰かは分かるんですけど」
「じゃあ、用意してくれた方はどなた?」
「ハウスキーパーのお婆ちゃんです。でも、縫ってくれたのはハハです」
「まあ。手作りなの? すてきなお母様ね」
「ありがとうございます。もともと和裁が得意な方でしたし、小さい頃は洋装より和装が多かったので、ワタシにはあまり違和感はないんです、コレ」
「そうなの。だからなのね、あなたが着慣れた風であるのは」
「似合ってる、てことですよね? 嬉しいです」
「当然よ。だって最初、サナトリウムの亡霊か、そうでなければタイムスリップしたのかと思ったくらいですもの」
「あら。それだったらワタシだって、マリア像が人の姿になったのかと驚きましたよ?」
ふたりの間で笑いが零れた。
出逢った時に比べれば、榮さんは本当によく笑うようになったと思う。
あの感想は誇張ではなくて、確かに私が覚えたものだ。
淡い色の夜着に包まれた白い姿態で、生気の薄い瞳はそのまま石膏像のようであった。
人間らしさが希薄で、欲望も煩悩もなりを潜めていたから。
それから言葉を交わすようになって、大人っぽい外見に随分と少女らしい部分を持つ、可愛い人だと知った。
綺麗な人だとは思うけれど、穏やかに微笑む姿は本当にマリア像のようだと感じている。
「もうひとついいかしら、伶?」
「はい。ワタシに答えられるものなら、幾つでも」
「時々ここで歌を歌っているのは、あなた?」
突然の質問に、私は面喰らった顔になる。
此処を訪れているのだから、知っているのは当然かもしれない。けれどまさか、あの歌声の主を私と間違うなんて。
可笑しさに笑いがこみ上げたが、ぐっと我慢する。
「残念ながら、違います」
「そう。私は一度だけ聞いたことがあるのだけど、部屋からだったからその姿を見たことが無いの」
残念そうに溜め息を吐く悩ましげな仕草が妖艶で、私は思わず口を開いていた。
「彼女は精霊なんです。姿を見たらたちまち虜になってしまいますよ」
「そうみたいね。私の妹が、その歌姫にご執心なようなの」
初めて、榮さんの口から家族のことが出た。
私は彼女のことが自分以外に知られていた事実より、そのことに少し驚いた。
「榮さんも、彼女に会いたいのですか?」
「……ふふ。伶が一緒なら、会ってみようかしらね」
白い手が伸びて、私の頭を撫でた。
宥めるような、あやすようなその指先に、私は困惑する。
だから―――
「きっと、彼女に会えますよ」
私らしくない言葉を口にしていた。
「ワタシは、Rapunzelなの」
少し汗ばむ中で、私と榮さんは雨宿りをしながら話をしていた。
正確には、例の如く礼拝堂で話しているうちに、夕立で戻れなくなってしまったのだ。
雨音に紛れながら、どちらからともなく自分の話を始めていた。
ただ私がそう言ったのは、榮さんが、
「あの時、マレーン姫の話が浮かんだの」
と雨の向こうを眺めながら言ったときだった。
「マレーン姫って、童話の?」
「そう。相思相愛の王子と結婚するために塔に入っているうち、王子は別の姫と結婚することになっていた、というお話」
「確か、別の姫との婚礼を身替りになって出席するんですよね」
「ええ。それが元で、マレーン姫は王子と再会することになるのよ」
「……もしかして、訪ねて来た女性がマレーン姫だと思っていらっしゃる?」
「そうね。約束は守られるべきで、運命は変えられないものだと感じたのよ」
俯きかけた榮さんの顔を、私は下から覗き込む。
涙はかろうじて目尻に止まっているようだ。
「私、あの女性が家を訪ねて来たとき、何故か直ぐに分かったの。あの人と関係のある女性だって」
ぽつりぽつりと、雨音に紛れて榮さんは話し始めた。
「学生時代から、付き合いがあったのですって。でも彼女が家の都合で遠く離れてしまって、その間にあの人は私と結婚していた。
彼女は涙の浮かんだ目で「返して」と言ったわ。その瞬間、今までの全てが撃ち抜かれた気がした。
こう見えても私たち、恋愛結婚だったのよ。出会いは家の繋がりもあったけれど、あの人と一緒に食事をしたり、街を歩いたりした。そうして確かに、私自身が決めたことだったの。
この人と歩いて行く。同じ時間を歩く未来、喜び。
あの人の手を取った時に、感じたはずだったのに……もうわからないわ」
震える声に、私はじっと耳を澄まして聞いていた。
そっと指先に触れると、一瞬だけ拒んだ後、手を重ねられた。
ぎゅっと握られた手は、少しだけ痛い。
「明日、父に会うの……。答えを、出す約束なの」
「……悩んでいるの……?」
「そうね。私の一言で、人の一生が決まるのですもの」
「……榮さんは、別れたいの?」
「よくわからないわ。考えたくもない」
「じゃあ、今のままを続けるの?」
榮さんは黙って首を振った。
意外だ。
きちんと現実を見ている。
この人の芯は強いと気付いていたけれど、だから傷が酷いのだと気付いているだろうか。
そして、つけ入る隙ができていることも。
「……相手は、別れたいの?」
これにも首を振って返される。
「私の答えを聞きたいと言っているそうよ」
「別れたくないのかしら?」
「さあ。でも明日、会うことになっているの」
そいつも見抜いているのだろう。
言い募れば押し切れる可能性が、榮さんにはあることを。
勿論、利益だけを考えている場合もあるけど。
「……ということは、榮さんが思っているほど、例の彼女とは本命関係じゃなく、愛人関係だったのね」
「そうなの、かしら……?」
声が揺れた。
この様子じゃ、本当にいいように押し切られてしまいそう。
「ねぇ榮さん。ワタシ、思うんです。あの物語が言っているのは、「神の前で誓った者同士が結ばれる」ということじゃないかしら。
結婚式を挙げた時点で、榮さんこそがマレーン姫なのでは?」
「だけど、それは……」
「過去は変えられないと言うけれど、変わらないのは事実だけ。視点が違えば出来事の意味も異なります。
それにワタシ、王子に助けてもらおうと待っていてはダメだと思うんです。彼らは所詮【王子】でしかないんですもの。出逢って物語を進めるためには、彼らの興味を引かなくちゃ」
「随分とアクティブなお姫様ね」
「ふふ。ひとつだけのスパイス、魔法の一滴です。榮さん」
秘密の薬を教えるように、私は口許に人差し指を立てた。
顔を上げた榮さんは一度だけ笑って、
「あなたは強いのね。その瞳で相手の心を読んでしまう」
言いながら私の頬をひと撫でした。
その目は水面のように揺れて、ゆっくりと視線を外に向けた。
私は気分を切り替えるように、わざと明るい声を出した。
「ねぇ榮さん。少しワタシの話をさせて」
きょとんと目を丸くした榮さんに、にっこりと笑顔を見せて私は続けた。
「ワタシは、代償に差し出された赤子《Rapunzel》なの」
「……魔女に差し出された子ども?」
「はい。ワタシの母親は、ワタシを産んでお金持ちの家の門前に捨てたの。でもここからがスゴイ。ワタシなのか母なのか、結構な強運が発揮された。だって普通、そんなことがあれば警察に届けるでしょ。世間は騒ぐ訳で、母親は逮捕されるかもしれないし、血縁の身内に子どもは預けられるって流れだわ」
「そうね。常識的には」
「なのにそのお金持ちの主は、通報するどころか子どもを育て始めたの。見ず知らずの赤ん坊で、女の子。跡取りなんかにもならないのに」
「慈善のひとつだったのかしら……」
「いいえ。その主――まぁ当時は女主人だったのですけど、彼女は子どもが、夫が愛人に産ませた子どもだと思ったらしいの。だから悔しくて、憎らしくて、憤りの捌け口とするために、子どもを育てることにしたそうよ。お金持ちの考えることって、面白いわ」
重ねられている手を、私は強く握り締める。
「数年後、家の当主が帰ってきた時には騒然としたわ。留守の間に子どもができて成長もしている。しかも身に覚えの無いことで妻からは罵られ、事態は取り返しのつかないところまで来ていた。だから当主は、その子どもを実子として家に迎え入れることにした。それが、ワタシのお義父様」
「それじゃ…――」
「ええ。義母からは、そりゃあもう恨みつらみの篭もった躾を与えられました」
話の内容から察した榮さんは顔色を変えたけれど、私は変わらず笑みを浮かべている。
嘘偽りのない、本心の言葉を、私は続けた。
「でも、ここまで育ててくれたのは確かに【魔女】で、私はこれ以外の生き方を選べない。
だったら、楽しむ方が何万倍も良いわ。苦しんで、沈んで、嘆いているよりも断然有意義。
どうせ世界が変わらないのなら、自分の気持ちを変えれば良い。そう思ったんです。
だって、ワタシはワタシでしか生きられないのだから。
湿っぽく自己陶酔して、悩んで足掻いて泣いた時だってあります。朝なんて来なくていいのに、て何度も願いました。考えて考えて考えた末に辿り着いたのは、変わらないこの身の存在だけ」
榮さんの眼には、同情、憐れみ、愁いと言った感情が浮かんで消える。
私は抱き締めたい衝動を抑えながら、さらに話を進めた。
「そんなワタシに、ある時一人の老婦人が仰ったんです。「私の子どもにならないか」て。
どうやら噂になっていたみたいで、私を興味本位で訪ねてくる方もいらしたんです。それで、試しにちょっとだけでもって強く言われ続けて、その老婦人の家に行くことになったんです。
最初のひと月は普通だったんですよ。だからもう少し居ても好いかなって気になりました。
そうしたら、綺麗な洋服を着せて可愛いリボンを巻いてレースに包まれた硝子箱の中に入れられたんです。
アハハ! 今でも笑ってしまいますけど、本当にガラスケースに入れるなんて、信じられます? ホント、面白い体験をしました」
「それで、どうしたの……?」
「一週間くらい経ってましたかね……遊びに来た女性が、偶然ワタシを見つけて外に出してくれました。穏便に」
「そう。良かっ―――」
「でも、類は友を呼ぶんです。彼女も、自宅に連れ帰ったワタシを化粧箱に入れました。足枷を付けたのも、彼女が最初でしたね」
「………」
さすがに引いたかな。
榮さんの眼に虚ろな影が揺れている。
「三人目の女性は、先の女性からレンタルしたって言ってました。彼女は画家でもあったらしくて、いろんな拘束具を付けさせて絵を描く方でした。花に埋もれた時は、メルヘン世界に入り込んだかと錯覚するほどでした。
そして契約が終わった時に現れたのが四人目。ここでワタシは家に連れ戻されることになります」
「何が、あったの……?」
「お話ししたいのは山々ですが、残念ながら、ワタシもよく覚えていないんです。
ただその時、初めてこの病院に入れられたんですが、直前に義父に言われた言葉は覚えています」
「この犬が!」
「おそらく、家名を汚したワタシに怒り心頭だったんでしょう。でも確かに的を射てますよね。
だってワタシを囲った人たちは、【お人形】が欲しくてあんな行動に出ていたんですもの。言い換えれば【愛玩具】感覚でワタシに接していたんです。
義父は、ワタシが逃げ出さなかったことで、甘んじてその生活を送っていたと考えたようでした。
常識で考えたら、当然ですよね。逃げるチャンスなんて、きっと何度もあった筈だもの」
「でも、逃げられない理由だってあったのでしょ? 彼女たちが、あなたを手放したくないと思っていたなら」
「やさしいですね、榮さんは。だけどきっと、あの生活がワタシの性には合っていたんです。あ、言っておきますけど、自虐趣味があるとかじゃありませんよ。ただ純粋に、求められていることが嬉しかったんです」
私は一度目を閉じて、正面から榮さんを見つめた。
「こんなことを話したのは、榮さんに知っておいて欲しかったからです」
「………?」
「ワタシという存在。それを、榮さんの胸の片隅に置いて欲しくて」
「………」
「榮さんがどんな答えをだそうとも、ワタシは変わらず側にいます」
「……伶」
「榮さんが望むなら、ワタシはいつだってこの身を差し出しますよ」
「りょ、う……!」
繋いでいた手を引かれて、私は榮さんの胸に包まれる。
肩に、雨ではない雫が触れる。
私は自由な方の手でその背中をさすった。
ああ、本当に脆いヒト。
こんなんじゃ、また傷ついて苦しんでしまうわ。
私にしては気の迷いとしか言いようがないのだけど。
自分で誘導しておいてなんだけど、やっぱり誰かが側にいないとだめなのね。
身代わりでも良いと思うのなら、この手を取ったらいいわ。
「あなたのこと、何て紹介したら良いかしら?」
「何でも構いませんわ。Pupe? それともHaustier?」
おどけた調子で言うと、榮さんはくすくすと面白そうに笑った。
少女のように、愛らしい笑い方だ。
「さ、着いたわ。行きましょう」
丁度良く車が玄関前に停車した。
私は車を降りて榮さんに手を引かれながら、何て紹介するのか楽しみに思う。
エントランスホールに立った私たちを、数人の男女が迎えた。
顔馴染みの主――榮さんと、その横の振袖姿の小娘を見て、彼らの目は点になる。
予想通りの反応に笑い出したくなる。
半歩前に立つ榮さんは、軽く一瞥してその唇を開いた。
「Sie ist meine Libe.」
耳を疑った。
“Libe”? “Geliebte”ではなく?
榮さんの口から出た言葉に、私は表情を作ることを一瞬忘れた。
私だって驚くことはある。
その反応がお気に召したのか、颯爽と二階に案内する榮さんの顔には、少女のような笑顔が浮かんでいた。
私は手を引かれながら、「今回は負けを認めるわ」とその背中に囁いた。
――この身にいくら傷痕を残そうとも、私はあなたの愛を忘れない――
伶の物語はいかがでしたでしょうか?
これで全ての謎が解けた形では無いと思いますが、これまでの主人公たちと伶の関係が大体これで見えた筈です。
※Rapunzelは一応この回で終幕となります。
ありがとうございました。




