祖国に「死んでこい」と言われた王女ですが今日も敵国で元気です
「よいな、ヴィンセント王子を殺してくるのだ」
「はい」
豊かな口ひげを蓄え、頭に王冠を被り、赤いマントを羽織った敗戦国の王にそう言われ、その娘―ベアトリス―はうなずいた。
国王の娘であるということは王女であるはずなのに、ベアトリスの纏うドレスは擦り切れ、色褪せている。
美しいプラチナブロンドの髪は老婆のようにぼさぼさ。
まともな食事は与えられてない身体はやせこけ、唯一まともに見れるのは金に光る瞳のみ。
妾の娘であるベアトリスは、王の血を引きながら王族として扱われず、『何かの時』の予備として生かされていた。
そして、ついにその時が来たのだ。
―――敗戦国の姫として、敵国の王子に嫁ぐ。
それだけではない。
父王は、敗北して属国となった今でも、属国のままでいることを認めてはいない。
そこで父王がベアトリスに指示した内容は、敵国の王子であるヴィンセントの殺害。
そんなことをすればベアトリスは殺されるけど、父王にはそんなことは関係なかった。
戦争に勝つ。そのための些細な犠牲として、自らの血を引く娘を捧げたのだ。
ベアトリスは生まれたときから不遇だった。
母は男爵家の娘で、王城で働いていただけなのを運悪く国王の目に留まり、一晩の情けを与えられてしまう。
それだけでベアトリスを身ごもってしまった母は、荒れ果てた離宮に閉じ込められてしまった。
しかし母は、ベアトリスが4歳の頃に亡くなってしまう。
それに泣き喚いたベアトリスは、ショックで前世の記憶を思い出した。
―――戦争で敗北し、処刑された王妃という前世を。
それからベアトリスは必死に生きた。
王妃であったころの記憶から、妾の娘であろうと、この身に王族としての血が流れているのなら王族として生きなければならない。無駄死になどしてはならないのだと強く決意した。
出される食事が1日に1回しかなくても、その1回すら忘れられることがあっても。その食事内容がパン1個に、野菜くずを入れただけの火も通さない塩水のスープだけだったとしても。
隙間風ばかりの離宮で冬を過ごすために、夜通し火の魔法で体を暖め、太陽が昇ってから寝るような生活を送ったとしても。
決して彼女は生きることを諦めなかった。
そしてベアトリスが15歳になった時。
ホスティス国はソーシアス国に戦争を仕掛け、あっさりと負けた。
軍事力で上回るはずのホスティス国だが、ソーシアス国には随一の才能を持つヴィンセント王子が居たのだ。彼に王城を直接強襲され、敗北を認めざるを得なかった。
そして融和の証として王族の娘を差し出すことになったのだが、それに白羽の矢が立ったのがベアトリスだった。それも、ただ嫁ぐだけではなく、敗北の原因となったヴィンセント王子の殺害という密命を受けて。
(ホスティス国のためにも……ヴィンセント王子は殺さないといけない)
ベアトリスは自分がホスティス国の王族だからこそ、ホスティス国の民を想い、嫁いだ。
祖国のためなら、自分の手が汚れることなどいとわずに。
しかし、嫁いだ先でベアトリスに誤算が生じた。
ヴィンセントがなかなか殺せないのだ。
ベアトリスは国王より、ヴィンセントを毒殺するための毒薬を預かっていた。それを、寝台でヴィンセントの飲む酒に入れて殺せと、そう命じられている。
だが、夫婦となり、共有となる寝室でいくら待ってもヴィンセントは来てくれない。初夜すらなかったが、どうせ殺されるのだからとそっちは気にしない。
ヴィンセントを殺す機会がなかなか訪れず、焦るベアトリスは唐突に思い立つ。
(ソーシアス国をもっと豊かにすれば、それを奪うホスティス国も豊かになれるはずだわ)
いつかはヴィンセントを殺さないといけないけれど、それができる前にソーシアス国を繁栄させておいてもいい。
そこでベアトリスは、孤児院への支援を始めることにした。
最初はどうせ死ぬんだからと着てないドレスを売ってお金を作ろうと思ったのに、侍女に止められた。
「ねぇ、ドレスが売れる場所はどこかしら?」
そう聞いたら、侍女に思いっきり怪訝な顔をされた。
「…ベアトリス王子妃殿下、付かぬことをお聞きしますが、まさか衣裳部屋のドレスを売るつもりですか?」
「ええ。着てないもの」
着ていないからいいじゃないと思ったのに、ダメなようだ。
ベアトリスは王子妃だからその分の予算をあてがわれていると聞き、早速それを寄付に回した。
さらに、お金だけでは孤児院の子どもたちのお腹を満たすのは難しい。
食材も調達し、護衛の騎士を使って炊き出しを行い、自分は配膳を行った。
寄付金で徐々に孤児院は立ち直っていき、孤児たちはどんどん肉付きが良くなっていく。
それに満足していると、ふとベアトリスは自分の魔法の力が向上していることに気付いた。
(この力があれば、もっと民を助けることができるわ)
ホスティス国にいた時は、出せてもろうそくよりマシという程度の火しか出せなかった。それが今では、こぶし大の火球を生み出すことすらできる。
ベアトリスは正体を隠し、王城を抜け出して魔法の力で人助けに邁進した。
盗賊を退治したり、土砂崩れで埋もれた畑から土砂を撤去したり。
正体を隠したのは、いずれ王子殺しの汚名を被ることになる自分に助けられたのでは、民に迷惑がかかると思ったから。
しかし、連日魔法を使い続けたベアトリスの身体は限界を迎え、倒れてしまう。
そんなベアトリスの見舞いを、これまで姿を見せることすらしなかったヴィンセントがしてくれたという。
ヴィンセントはベアトリスを警戒し、彼女の前に姿を現さなかった。
だが、彼女が孤児院への寄付に始まり、人助けに取り組んでいることを聞き、彼女に興味を持ってしまった。
ここでベアトリスは致命的なミスを犯した。
倒れ、意識がもうろうとしている彼女は、ヴィンセントを毒薬で殺そうと彼の目の前で毒薬を取り出してしまったのだ。
それを目の前で見ているヴィンセントは、当然彼女の行動に疑問を持つ。
(一体、彼女は何をしている?何を取り出したんだ?)
「ベアトリス、それは何だ?」
ヴィンセントの質問に、ベアトリスはフラフラとした頭で答える。
「毒…薬……あなた……殺す……ため……」
「……」
ベアトリスの答えに、ヴィンセントは顔をしかめた。
だが、それにベアトリスは気付かない。
「あなた……これ……飲む……死ぬ……私…も…死ぬ……そう……言われ……」
「…分かった。あなたは、これを私に飲めと?」
ヴィンセントの問いに、ベアトリスは小さく頷いた。
ベアトリスの細い指が毒薬をつまみ、それをヴィンセントの手のひらに乗せた。
しかし、次の瞬間にその意識は途切れ、ヴィンセントの腕の中に力なく頭を横たえた。
「……すー……すー……」
ベアトリス、ひいてはホスティス国王の狙い。
そのすべてを理解したヴィンセントは、目の前でようやく眠りについたベアトリスの顔を、悲痛な表情で見つめていた。
(やはり彼女は、私を殺すために送られて来たんだな。しかも、その後に彼女が殺されることを彼女自身も知っていて、その上でそれを実行しようとしている)
ヴィンセントは彼女の悲しい宿命に涙を流した。
ソーシアス国に来た時、ベアトリスは明らかに栄養不足が見て取れた。それだけで、彼女が王族でありながら冷遇されていたことを察することができる。
にもかかわらず、それでも父王の命を健気に実行し、役目を果たそうとする。
その時、ヴィンセントの心に、ベアトリスを死なせないという強い決意が生まれた。
ヴィンセントはそれから、ベアトリスと食事を共にし、時にはお茶の休憩時間も設けて一緒に休むようにした。
彼女に触れ、魔法の使いすぎで倒れないようにと気遣う。
朦朧としていたベアトリスは、自分が犯したミスを覚えていない。ヴィンセントの変化に戸惑い、彼の優しさに絆されながらも、毒殺するチャンスをうかがった。
そしてついにその時が来る。
ヴィンセントが寝室に訪れたのだ。チャンスとばかりにベアトリスは彼の飲む酒に毒薬を仕込んだ。
彼が酒の入ったグラスを手に持ち、中身の液体が傾く。
それがもうすぐ、ヴィンセントの口の中に入る。
その瞬間、ベアトリスの身体は動きだしていた。
「だめぇぇぇぇーーー!!」
彼女は立ち上がると、今まさに飲もうとしていたヴィンセントのグラスを弾き飛ばした。
グラスは床に落ちて割れ、中の液体が床にこぼれる。
弾き飛ばすために、ヴィンセントに飛び掛かるよう形になってしまったベアトリスは、彼の胸の中に飛び込んでいた。それをヴィンセントはしっかりと受け止め、目を瞬かせている。
「どうしたベアトリス?」
彼からすれば、ベアトリスの行動は意味不明なものに映るだろう。
しかし、力の限りグラスをはじき飛ばした彼女の息は荒く、その上黄金の瞳には大粒の涙を浮かべている。
「はっ、はっ、はっ……うぅ……ぐすっ……」
ベアトリスは何も答えない。
ただ、飛び込んだヴィンセントの胸の中で、こらえきれない感情を押し殺すように泣き始めた。
(無理。私には、殺せない)
ベアトリスは見たくなかった。彼が毒にもがき苦しみ、死ぬ様を。
今こうして触れられるぬくもりを失いたくない。
泣きながらベアトリスはヴィンセントに自分の目的を伝えた。
それにヴィンセントはもう知っていると伝え、ベアトリスはきょとんとしてしまった。
さらにヴィンセントはホスティス国は困窮しており、その原因が王族にあると話した。仮にヴィンセントを殺し、ホスティス国が勝利したとしてもそれは民のためにはならない。
それに気付いたベアトリスは、怒りをあらわにした。
ヴィンセントはベアトリスに協力を持ち掛け、ホスティス国の現王族を排除し、ホスティス国を立ち直らせようと言う。
それにベアトリスはうなずき、彼と共に、ホスティス国を立ち直らせるために奮闘した。
ベアトリスは目覚めた魔法の力で持ってホスティス国を制圧。自らの父や、異母兄弟たちを排除した。
新たな指導者の下で立ち直っていくホスティス国の将来に期待していると、ヴィンセントからささやかなお願いをされる。
「私のことを、愛称で呼んでほしい。私も、あなたのことを愛称で呼びたいから」
「愛称…」
なんて可愛らしい頼み事なんだろう。
言った本人は、少しだけ頬を染めている。恥ずかしいという自覚はあるようだ。
「……ヴィン?」
短くしただけだが、それにヴィンセントは破願した。
「いいな。なら私は、あなたをリスと呼ぼう」
「はい」
なんだか小動物のリスを思わせるけれど、なんだか自分でもそれが合うような気がした。
「ヴィン」
「リス」
互いに愛称を呼ぶ。
それだけでくすぐったい気持ちになり、どちらからともなく、笑い声が漏れた。
かつて殺すはずの相手だったはずなのに、今では名実ともに夫で、とても大事な人となったヴィンセント。
彼と見つめ合っていると、ゆっくりと彼の顔が寄ってくる。
それが何を意味するのか、知らないわけではない。
ベアトリスは目を閉じると、数秒後に唇にそっと触れる感触があった。
「ん……」
少し乾燥してて、でも思ったよりずっと柔らかい、彼の唇。
名目だけだった夫婦が、ようやくここで夫婦らしい、心が通じ合った行為をした。
それがベアトリスにはとても嬉しい。
「ヴィン」
「ん?」
「愛しています」
そう言って、今度はベアトリスから顔を寄せる。
ヴィンセントが目を閉じ、すぐに小さなリップ音が響く。
離れると同時に互いに目を開き、小さく笑い合った。
「私も、リスが好きだ。愛している」




