第2話「午後3時のガラスの罠」
■Scene 1 —— 富山市ガラス美術館へ
午後2時40分。
富山市の中心街にそびえるガラス美術館は、曇天の下でも不思議な光を宿していた。
外観は幾何学的なデザインで、まるで未来の神殿のよう。館内は静寂に包まれ、ガラスの作品たちが青白い照明に照らされていた。
「安原航平は……この場所に午後3時に来る予定だった。相手は“E”。この空間に何かが隠されてる」
美琴はメモの内容を手がかりに、静かに展示室を歩いていた。
観光客に紛れ、薄いベージュのトレンチコートを着た人物が目に入る。すぐに目を逸らしたが、ただ者ではない気配。
(つけられている……?)
展示室4、光と影のガラスアートが集まる部屋。
その中央に、細身のスーツ姿の男が立っていた。
午後2時59分。
男はスマートフォンを見つめたまま、小さく頷いた。
そして、静かに呟いた。
「——終わらせよう」
■Scene 2 —— 謎の男“E”の登場
美琴は距離を詰め、男の真横に立った。
「“E”さん……ですか?」
男は驚いた顔も見せず、淡々と答えた。
「……誰に聞いた?」
「安原航平さんがポケットに入れていたメモ。彼は今、病院にいます。あなたと会う予定だったのでは?」
「彼が……生きていたか」
一瞬、感情の揺れがその顔に浮かぶ。
「名前は?」
「私は探偵です。“美琴”と申します」
男はため息をついた。そして名刺を差し出した。
“遠山一誠——富山大学大学院 芸術文化研究科 特別研究員”
「“E”とは、“一誠”の“E”……」
「違う」
「え?」
遠山は首を振った。
「“E”は……**エクリチュール(écriture)**のE。これは“記述”を意味する。文字、言葉、つまり“語られなかった真実”の象徴なんだ」
美琴の背筋に冷たいものが走る。
「あなたと安原さんは何を記述しようとしたのですか?」
「真実だ。——5年前に、この美術館の展示室で亡くなった女性について」
■Scene 3 —— 過去の事件
遠山の語る“5年前の事件”——それは表向きには事故とされた、ガラス作品の転倒による死亡事故だった。
亡くなったのは当時大学生だった高瀬真奈。彼女は展示スタッフとしてアルバイト中に、作品の下敷きになって命を落とした。
だが、事故にしては不自然な点が多すぎた。
館内の監視カメラ映像の一部が欠損。目撃者は皆「何も見ていない」と証言。
その裏に、関係者による隠蔽があるという噂があった。
「安原は……彼女の後輩だった。ずっと真実を追っていた。俺もだ」
遠山はポケットから、1枚の小さな写真を取り出した。
そこに映っていたのは、微笑む若き女性。優しげな瞳と、展示作品の前でピースをする姿。
「……この人が、高瀬真奈さん?」
「そうだ。事故のあの日も、午後3時だった。だから安原は今日、午後3時に俺をここに呼んだ。『彼女のために、真実を語る』と」
「けれど、その前に彼は襲われた」
「そして俺にも……メールが届いた。“過去を掘り返すな”と」
美琴の目が鋭くなった。
「そのメール……まだ残ってますか?」
遠山はスマートフォンを開き、件のメールを見せた。
差出人は匿名のフリーアドレス。だが、文面に見覚えがあった。
「……これは、以前テルメ金沢で遭遇した“ある事件”と酷似している」
美琴の推理が静かに動き出す。
⸻
■Scene 4 —— 見え始めた共犯の輪郭
夕暮れ、美琴は駅近くのホテルにチェックインし、ノートPCを開いていた。
照合していたのは、過去の事件と共通する“文体”、“表現”、“タイムスタンプ”。
そして導き出されたのは——
「この警告メール、ガラス美術館の関係者が打った可能性が高い」
つまり、美術館内部に“何か”を隠したい人間がいる。
真奈の死は偶然ではなく、作為の産物。
そして安原航平は、それを暴こうとして狙われた。
「明日、再び美術館へ。もう一度、あの展示室の構造を調べなければ」
—
夜の富山の街には霧が立ちこめていた。
そしてどこかで、ガラスがひとつ、静かに割れる音がした。