第3話「卯辰山の朝、消えた婚約指輪 ―沈黙のカップルと花菖蒲の誓い―」
■Scene01 朝の風、そして突然の訪問者
「……お願いです。探してほしいんです。あの指輪は、彼の“最後の言葉”なんです」
卯辰山花菖蒲園から戻ってきたばかりの若い女性が、涙ぐみながら玄関に立っていた。
名は村井沙彩、28歳。東京から恋人と旅行で訪れ、テルメ金沢に2泊していた。
「婚約者がプロポーズしてくれて……でも、今朝の散策中に指輪がなくなってしまって」
プロポーズの指輪――
それは、彼女の大切な“思い出”であり、“未来”だった。
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■Scene02 指輪を探すふたり
「つまり、プロポーズのあとに紛失した?」
美琴は状況を聞き取りながら、夫の悠真に連絡を入れる。
「事件じゃないかもしれないけど、気になって」
悠真は捜査一課の案件から戻る途中で卯辰山に立ち寄り、現地を調査。
一緒に訪れた美琴は、花菖蒲が咲き始めたばかりの小道を歩きながら、ふと思った。
「……本当に“なくなった”だけなのかな?」
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■Scene03 すれ違う想い、沈黙の中の真実
婚約者である**三島匠**は、控えめで物静かな性格。
「……あの日から、沙彩は変わってしまったんです。無理して笑ってるような気がして」
1年前、彼の姉が急逝し、結婚話が一度立ち消えになったという。
再び向き合おうとしたのが、この金沢旅行だった。
「匠さんは……私に気を遣ってるだけなんじゃないかって」
沙彩の目には、不安と後悔が混ざっていた。
そんな中、花菖蒲園近くの竹林で、落ちていた小さな布袋が見つかった。中には――
「これ……指輪のケース?」
だが、指輪そのものは入っていなかった。
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■Scene04 思い出の場所、誓いのかけら
「事件性は薄いが、失くしたというより“しまわれた”可能性が高いな」
悠真の分析に、美琴はふと立ち止まる。
「匠さん、昨日“夜の東屋でずっと考えていた”って言ってましたよね?」
2人で戻った卯辰山の展望台。
そこで、美琴は小さな“石のすき間”に指を入れ、慎重に取り出した。
――そこには、確かに婚約指輪があった。
「……やっぱり」
匠は指輪を隠していたのだ。自分が沙彩にふさわしくないと思い込み、気持ちを言葉にできなかったのだ。
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■Scene05 ふたりの時間、そして夫婦の対話
「どうして……どうして渡してくれなかったの?」
沙彩の問いに、匠は震える声で答える。
「怖かったんだ。もう一度失うのが。君を、姉の時みたいに……」
「バカね。私は生きてる。ここにいる」
彼女は涙を流しながら、改めてその指輪を指にはめた。
金沢の風が、そっと2人の間を抜けていく。
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■Scene06 夜、旅館の縁側にて
事件のようで、事件ではなかった。
けれど、それはたしかに“心の迷子”だった。
「指輪って、ただの物じゃないんだよね」
「うん。誰かと未来を歩くための、“鍵”みたいなものかも」
悠真の腕の中、美琴は小さく息をついた。
「私も、鍵……持ってるもんね。先輩の心の、ね」
「……それ、ずるいな」
優しいキスが、静かな夜に溶けた。