第6話「マウンドの影に沈む声 ― 木場潟に倒れた投手」
■Scene1:静かな朝、駆ける女将
六月、朝の金沢。
「いっちゃんリレーマラソン」に向けてトレーニングを始めた白石美琴は、
清々しい空気の中でひとり、木場潟公園の遊歩道を走っていた。
テルメ金沢の女将としての日常に、事件のない穏やかな時間――
そんなひとときを味わいながら、美琴は時折汗を拭き、足を進める。
だが、ふとした瞬間。
前方の芝生の上に、人影が倒れているのが目に入った。
「……! 誰か……倒れてる?」
急いで駆け寄ると、それは10代の男子中学生だった。
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■Scene2:暴かれた痕跡
男の子はかすかに意識があり、呻くように呼吸している。
「救急車を呼びますね……!」
「……う……うん……」
美琴は即座にスマートフォンで119番へ。
だがその直後、少年の顔や腹部にはいくつもの殴打痕があり、
地面にはべったりと指紋のついた金属バットが落ちていた。
腕や脚にはほとんど傷がない――
それは“相手が手加減した”のではなく、
狙って攻撃部位を絞っていた証拠のように思えた。
美琴はすぐに警察へも通報した。
「これは……ただの事故じゃありません。暴行の可能性があります」
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■Scene3:有名投手の名
現場に到着した警官たちによって、
倒れていた少年の名前が判明する。
「彼は、地元でも有名な中学3年生。金沢市内の野球部に所属していて、将来を嘱望されたピッチャーらしいです」
「星稜高校に進学予定だったって話もあります」
意識が戻った少年は、美琴の手を掴み、こう訴えた。
「……部活……で、いじめられてた……でも、先生も、誰も……助けてくれなかった」
そして、ぽつりと呟いた。
「……俺のボールが、速すぎたから……目立ったのが、いけなかったのかな……」
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■Scene4:チームメイトの裏切り
警察の捜査と、被害者の証言により、
犯人は同じ野球部の3人のチームメイトであることが判明した。
・1人目:控えの投手(彼の実力に嫉妬)
・2人目:チームの4番(自分の地位が脅かされることを恐れる)
・3人目:主将(監督に相談されることを恐れ、黙認)
少年はいじめを受け、1年以上も苦しみ続けていた。
一度、監督に相談したが「競争の一環だろ」と言われ、
誰も守ってくれなかった。
2日前から行方不明になっていたことも、
母親がようやく訴えて警察が動いた矢先だった。
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■Scene5:謝罪と拒絶
事件が表沙汰になり、
加害生徒3人は学校を自主退学。
その後、3人の母親がテルメ金沢まで謝罪に訪れた。
「うちの子も反省してます。本当にすみませんでした……」
「息子がまさか、そんなことを……」
だが、被害者の母親は冷たく言い放った。
「謝られても、あの子の心の傷は消えません」
「……あなたたちが守らなかったから、うちの子は今、グラウンドに立てない」
それは母としての怒りであり、
“他人の子”ではなく、“自分の子”に向けられた無関心への絶望でもあった。
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■Scene6:それでも走り続けるために
事件の処理がひと段落し、美琴は再び木場潟公園を訪れた。
その日は、病院を退院したばかりの少年が母親と散歩していた。
美琴に気づき、小さく会釈をする。
「……あのとき、助けてくれて……ありがとうございました」
「……ううん、私はただ“走ってた”だけよ。でも……これからも、君には走り続けてほしいな」
少年は少しだけ笑い、言った。
「うん……。次は……違うチームで……また、投げたい」
青空の下、風が木々を揺らす。
マウンドは遠くても、希望の地面はすでに足元にある――
そう、美琴は感じていた。