第1話「黒部の谷に落ちた男 ―偽りの転落と、“最後の声”―」
■Scene1:届いた知らせと“転落死”の違和感
ある朝、テルメ金沢の帳場に一本の電話が鳴る。
「白石美琴さん……以前、妹がお世話になった者です。
実は、兄が黒部ダムの展望台から転落死したのですが……どうしても“納得できない”んです。
事故じゃない気がして……せめて、姉として何かできることがあればと思って……」
話してきたのは、**佐々木咲**という若い女性。
亡くなった兄・佐々木崇史は、観光旅行中にひとりで展望台に向かい、そのまま滑落したとされていた。
「でも兄は高所恐怖症でした。
しかもその日、“自撮り棒なんて持ってなかった”のに、事故の報告書には“自撮り中に誤って…”とあるんです」
その言葉に、美琴の背中が静かにこわばる。
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■Scene2:黒部の空に、風が鳴く
美琴はすぐに片桐刑事と連絡を取り、現地へ向かう。
富山県警の調査協力を受けつつ、事故現場である黒部ダム展望台に足を運ぶ。
あまりに急な谷、強い風。
落ちれば即死――まさに“事故死”としては最も自然な形に見えた。
だが、美琴の視線がある一点で止まる。
「……この柵、支柱の外側に“誰かの靴跡”がついてる」
さらに、ダム下の岩陰にあった小石には、マジックで書かれたメッセージがあった。
「“風じゃなかった”
“後ろに誰かいた”」
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■Scene3:同行者“なし”の旅と、不在の証人
崇史は“ひとり旅”でダムを訪れていたはずだった。
だが、宿泊していた富山市内のビジネスホテルでは、ふたり分の朝食が注文されていたことが判明する。
「誰かが、チェックアウトのときに“部屋を空に見せるよう工作”していた」
さらにダム周辺の防犯カメラには、崇史の背後を歩く帽子を深くかぶった人物の姿がかすかに映っていた。
その帽子――同日、現地売店で“1点のみ”販売された限定カラーと一致。
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■Scene4:“偶然を演出する技術者”
片桐刑事が追跡した購入記録から、ある人物の名前が浮上する。
柴田隼人
崇史の元同僚であり、数ヶ月前に“会社を辞めた彼の退職金”に関する口論の音声が残されていた。
「なぁ、もう一回だけ……あいつに会ってくるよ。
“友達”としてさ」
その日、柴田は確かに富山入りしていた。
事故直後、携帯の電源を切って失踪していたが――
駅のロッカーから、“展望台で使われた自撮り棒”が見つかる。
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■Scene5:静かな谷底と、亡き兄の声
現地に残されていた崇史のスマホのクラウドに、未送信のボイスメモが保存されていた。
「咲へ。
もしこれが届く頃には、俺はいないかもしれないけど……
“柴田にだけは、二度と騙されるな”。
最後に言うよ。
“ありがとう”って、ちゃんと伝えたかった。
……あの時、君が支えてくれたから、俺は生きてこれた。
それだけは、忘れないでくれ」
涙を流す咲を、美琴は静かに抱きしめる。
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■Scene6:旅館にて、灯の向こうにある“未練”
金沢へ戻る夜、美琴は帳場でひとり、手紙を読む。
「……美琴さん。
兄が“事故”じゃなかったとわかったこと、
本当はつらかった。
でも、“誰かが信じてくれた”ことが、何より救いでした。
兄が最後に誰かに想ってもらえていたこと――
それを知れて、本当によかったです」
片桐が差し入れのまんじゅうを手にぼそりとつぶやく。
「谷の風ってのは、時々、答えを運んでくるんだな」