第0話「湯けむりの決意と、あの日のキス」
■Scene01 ドラマと祖母と、運命の始まり
――東京の狭いワンルーム。
その夜、私は珍しく早く帰宅し、テレビの再放送を眺めていた。
《――第7話「加賀友禅の涙」。“テルメ金沢殺人事件 若女将の推理帳”》
懐かしげなナレーションの響きに、私は眉をひそめた。
「テルメ金沢……って、うちの……?」
画面に映った老舗旅館の佇まい。それは間違いなく、私の実家「テルメ金沢」だった。
そして、女優・三宅愛の背後で仲居として動く一人の女性。カメラはぼやけていたが、見覚えがあった。
「おばあちゃん……?」
知らなかった――祖母がドラマに出ていたなんて。
翌朝、運命のように一本の電話が鳴った。
「大女将が倒れたんです。今朝、部屋で意識を……」
仲居の菜摘さんからだった。
私は迷わず、会社に有給届を出し、金沢へ向かった。
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■Scene02 旅館にて、告げられた言葉
「継いでくれないか?」
祖母の枯れた声が、私の心に響いた。
東京の仕事、キャリア、恋愛……全部捨ててまで旅館を継ぐのか?
でも祖母の震える指を握った瞬間、決意は固まった。
「……わたし、ここで生きていくよ」
出版社も、最終的には条件付きで背中を押してくれた。「取材旅行に使わせてくれたらいい」って。
私は修行を始め、昼は女将見習い、夜は帳簿と格闘の日々。そんな生活が三年を過ぎた頃――
ある一人の客が、旅館の暖簾をくぐった。
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■Scene03 再会、そして告白
「……高橋先輩?」
中学の時、隣の席だった先輩。制服姿で笑ってくれた人。
彼は警察手帳を見せてきた。
「石川県警捜査一課。ここで起きた盗難事件、ちょっと話を聞かせてほしい」
大人びた表情。けれど目の奥は、あの頃のままだった。
数日後、事件が解決した夜――私は、湯上がりの廊下で彼を呼び止めた。
「先輩……私、中学の時から好きでした」
彼は少し驚いたように目を瞬かせ、それから優しく笑った。
「じゃあ、待たせた分、ちゃんと返さなきゃな」
そして彼の手が私の頬に触れ、夜風の吹き抜ける廊下の片隅で、唇が重なった。
あたたかくて、静かで、でも心臓が跳ねるような――あのキスを、私は今でも覚えている。
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■Scene04 そして、はじまりの朝へ
4年目の春。
私は「テルメ金沢」の女将に就任する。
その傍らには、刑事であり、私の夫となったあの人がいて――
旅館の裏口から見送ってくれる相棒がいて――
そして、これから数々の事件と真実に立ち向かう私自身がいる。
すべては、あの夜のキスから始まったのだ。