特別編 『テルメ金沢殺人事件簿 ―再会と覚醒の冬編―』
■Scene1:再会の朝と、静かな来訪者
新年が明けて間もない金沢。
白石美琴が戻った旅館には、穏やかな朝日と温かな湯気が立ちこめていた。
「お姉ちゃん、おはよう」
仮女将として数日を務めあげた白石美羽が、制服を脱ぎ、再び“妹”の顔で立っていた。
美琴が笑う。
「いい顔してる。……立派だったよ、仮女将さん」
そんな姉妹のもとに届いた、一本の電話。
それはかつて失踪した常連客――夏目理沙からのものだった。
「102号室……今でも、開けずにいるの?」
美琴の手が、一瞬止まる。
「私、あの部屋に、もう一度入りたいの。……“彼”の声が、まだ聞こえるから」
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■Scene2:封印された102号室と“あの事件”
102号室。
それは数年前、“ある男の自殺”が起きた部屋であり、
以後「客室としての使用を凍結」された“封印の部屋”だった。
夏目理沙は、その夜、恋人の死を目の前で経験した唯一の人物だった。
理沙の希望を受け、美琴は菜摘と相談の上で、特例として理沙にその部屋を一晩だけ開放する。
菜摘がぼそりと呟く。
「女将、あの部屋だけは、今も掃除してないのよ。
誰も手をつけられなかった。“何か”が、いるみたいで」
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■Scene3:“眠っていた記憶”が動き出す
102号室に入った理沙は、どこか懐かしそうに窓際に立った。
「ここで……最後に見たの、雪だったの。
でも、あの夜のこと、よく思い出せない。
名前も、顔も……ただ、“優しい声”だけ、耳に残ってるの」
その夜、理沙は部屋で静かに横になった。
深夜――
102号室の前を通った仲居が、**部屋の中から“男性の低い声”**を聞いたという。
「……理沙、起きて。君は、まだ“眠ってる”」
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■Scene4:夢に現れる“もう一人の私”
翌朝。
理沙は朦朧としながら美琴にこう呟いた。
「……私、“あの人”のこと、思い出しちゃいけない気がしてた。
でも、夢の中で言われたの。“思い出せ”って」
さらに不可解なことがもう一つ。
**理沙の記憶にはなかった“白い指輪”**が、ベッドサイドのテーブルに置かれていたのだ。
それは、理沙が“プロポーズを断ったはずの彼”が選んでいたものと一致していた。
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■Scene5:再び動き出す冬の謎
片桐刑事が旅館に顔を見せたのはその夕方。
「久しぶりだな。……女将、ちょっと変わったか?」
「色々あったから、少し“女将らしく”なったのかもね」
美琴は理沙の記憶と指輪の件を伝える。
「“覚えてはいけない記憶”が、今になって戻ってきてる。
もしかすると、あの事件――自殺じゃなくて、他殺だった可能性もある」
片桐の表情が変わった。
「……だったら、本気で調べるしかないな」
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■Scene6:現れる、黒い手帳の持ち主
102号室の押し入れから、黒い手帳が見つかる。
それは恋人だった男性――三枝圭介のものだった。
《“眠ってるだけで幸せだと思っていた”彼女に、
最後に何を贈るべきか、わからなかった。
でも、もしも僕が消えた後で彼女がこれを読むなら……
どうか“本当のこと”を知ってほしい。》
手帳には、理沙の実家に関する記録や、彼女の周囲で起きた不可解な事象が詳細に記されていた。
そこに記された一つの名前――
「**“秋庭誠司”」
理沙の元上司であり、当時事件に関与していた疑いがありながら、証拠不十分で捜査が打ち切られた人物だった。
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■Scene7:現れた元上司、秋庭誠司
その夜――
旅館のロビーに、コート姿の男が姿を現した。
「お久しぶりですね。夏目理沙さんが宿泊されていると聞いて……少し、お話を」
名乗ったのは、秋庭誠司。
理沙の元上司であり、三枝圭介の死後、最も疑惑を持たれていた人物だった。
「なぜ今、理沙さんに?」
美琴の問いに、秋庭は柔らかい口調で答える。
「彼女が“何を思い出すか”、私も確かめたいと思って」
その目には笑みすら浮かべていたが、背後にあるものは――明らかに“監視”の意図だった。
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■Scene8:理沙の覚醒と、封じられていた記憶
その夜、理沙は再び102号室で、強い幻聴のような“声”を聞いた。
「……秋庭に、気をつけろ」
「思い出せ。君は、“見た”はずだ」
突如、理沙の脳裏にフラッシュバックする“あの夜”。
――彼の部屋に、秋庭が入ってきて、何かを無理やり飲ませた。
――彼は苦しそうに倒れ、その後の記憶は真っ白。
――でも、確かに“秋庭は部屋を出るときに鍵をかけた”。
「わたし……見てた。圭介を、殺したのは……」
翌朝、美琴のもとに理沙が泣きながら駆け込んできた。
「思い出したの。全部……見てたのに、ずっと忘れてた。
忘れようとしてたの……!」
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■Scene9:警察の捜査再開と、美琴の進言
白石美琴はすぐに片桐刑事に報告し、秋庭誠司の再捜査を要請。
「理沙さんの証言が確かなら、これは自殺ではなく明確な他殺。
しかも、彼女の記憶が消されていた可能性もある」
「“薬物による記憶障害”……そうか。
それなら、あのとき証拠が出なかった理由も説明がつく」
片桐はすぐに警察本部へ連絡を入れ、秋庭の取り調べが開始される。
理沙は証言の場に立つ決意をし、再びあの部屋へ足を踏み入れる。
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■Scene10:灯籠の光、そして決意の朝
事件の進展が報じられる前の静かな朝――
美琴と美羽は、庭の灯籠の前で立ち止まっていた。
「……この灯り、また誰かの“迷い”を照らしてくれたね」
「うん。わたしも、やっと“仮女将”じゃなくて、“妹としての私”に戻れた気がするよ」
その時、美琴のスマートフォンが鳴った。
画面には、ある名前。
――朴凛奈(韓国)
「“また何かあったら呼んで”って言ってたよね……。
……もしかしたら、彼女の力も、また必要になるかもしれない」
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■Scene11(終):すべてを話す、その日まで
事件の真相は間もなく報道され、秋庭誠司の逮捕とともに、理沙の名前も再び世間に出ることになった。
だが彼女は、美琴の前でそっと微笑んだ。
「私はもう、逃げない。
あの夜、“一度死んだ私”は――今日、やっと生き返った気がするの」
美琴はその言葉に、深く頷いた。
そして旅館の暖簾を見上げながら、心の中で呟いた。
「どんな夜でも、朝は来る。
ここは――帰ってこられる場所なんだって、そう思ってもらえるように……
私は、女将として、ここに立ち続けたい」
金沢の冬の空に、静かに陽が昇っていく。
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―新章『再会と覚醒の冬編』 完―