特別編『出生の真実と再訪者の謎』
Scene1:仮女将、美羽
金沢・早春。
旅館テルメ金沢では、若女将・美琴が“ある重要な知らせ”を受け、急遽、館外の調査に出ることになった。
その朝――
「……というわけで、しばらく旅館を離れます。その間のこと、お願いできるかしら?」
朝のミーティングで、美琴はスタッフ全員の前に立ち、妹・美羽をそっと前に出す。
「仮の女将として、美羽に私の代わりを務めてもらいます。至らない点も多いと思いますが、支えてあげてください」
スタッフの間にどよめきが走る中、すっと一歩前に出たのは仲居頭――佐藤菜摘。
「支配人業務や厨房との連携は、私が責任をもって担います。
……そのかわり、美羽ちゃん。女将の名を背負うってこと、甘く見ちゃだめよ?」
軽く睨むような視線に、美羽はびくっとしながらも、小さく頷いた。
「……はい。やってみます」
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Scene2:美琴の出立、そして美羽の試練
見送りの時間――
美琴は旅館の玄関で、美羽の肩を優しく抱いた。
「私も最初は怒鳴られっぱなしだったの。
でも菜摘さんは、ちゃんと“中身”を見てくれてる。信じて、頑張って」
「……美琴、絶対戻ってきてよね。
帰ってきたら、“女将が育てた旅館”、って言ってもらえるようにしとくから」
そう言って笑った美羽に、美琴は少しだけ驚き、そして微笑んだ。
その数分後、美琴を乗せたタクシーは、雪解けの金沢の街へと走り出した――
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Scene3:扱かれる仮女将、試される責任
「美羽さん! お客様のお部屋、襖の開け方が逆です!」
「ちょっと! ご挨拶の角度、何度だったか言ってみて!」
「お抹茶の温度、誰が測ったの!?――仮女将の目で確認して!」
美琴の不在――それは旅館全体に緊張をもたらしていた。
そしてそのしわ寄せは、すべて仮女将の美羽に降りかかる。
菜摘の言葉は厳しく、時には突き放すようにも感じた。
それでも、仲居たちの視線の中には、「見守りたい」という温かさもあった。
夜。帳場で一人、日報を確認している美羽に、菜摘が一言。
「……茶道具の片付け、最後まで手を抜かなかったね。
あんた、やればできる子じゃない」
「……ありがとう。怒られてばっかりで、ちょっとヘコんでた」
「当然よ。女将を名乗るなら、それくらいは我慢なさい。
でも――成長はしてるわよ。あんたに、素質はある」
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Scene4:一通の電話と、姉妹の距離
夜、遅く。
厨房と大浴場の点検を終えた美羽に、フロントからの内線が入る。
「仮女将さま、お姉さまからお電話です」
「……美琴? 今、どこにいるの?」
『今は能登。……ちょっと、思ったよりも深い話になりそう。しばらく戻れないかも』
「……ふーん。じゃあこっちは、まだまだ仮女将でいないとね」
電話越しの姉の声に、いつもより少しだけ強い口調で答える美羽。
『……頼りにしてる。ありがとう』
「帰ってくるまでに、菜摘さんに“褒められる女将”になっとくから。ちゃんと、見ててよ」
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Scene5:母の面影と、灯る想い
深夜。誰もいない中庭で、白湯を片手にぼんやりと立つ美羽。
雪の積もった灯籠に、ふと祖母の声を思い出す。
「この灯りはね、女将の覚悟を照らすためにあるのよ。
迷ったときは、立ち止まって、ここで深呼吸してごらん」
仮女将という重圧の中で、少しずつ芽生えていく“自分の足で立つ覚悟”。
美琴の不在は、美羽にとって“姉の影”ではなく、“自分の光”を見つける機会となっていた――。
Scene6:能登の村へ ― もう一人の“母”を追って
白石美琴は、小雪が舞う能登半島の小さな村へと降り立っていた。
道案内をしてくれたのは、元仲居の岸田志乃とその娘・瑠海。
山あいの細い坂道を抜けると、古びた一軒家が姿を現す。
「ここです。詠子さん……かつての“山岡詠子”さんが、今もひっそりと暮らしている場所です」
美琴の胸は、知らず高鳴っていた。
彼女が探しに来たのは、自分と妹・美羽の出生の真実――
そして、もう一人の母と呼ばれる存在。
ドアの前に立ち、深く息を吸って、インターホンを押した。
……返事はない。
「……留守?」
ふと足元に目をやると、花の鉢植えが、昨日水をやったばかりのように湿っている。
「中には、誰かいる」
志乃が静かに頷くと、美琴はもう一度ノックした。
「失礼します――白石美琴と申します。
……山岡詠子さんに、お話したいことがあります」
そのとき、中から小さな足音と、鍵を開ける音が響いた。
ゆっくりと開かれた扉の奥には――
灰色の髪を後ろに束ね、どこか似た目元をした、ひとりの女性が立っていた。
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Scene7:詠子の記憶、美琴の問い
室内には、火の入ったストーブと、落ち着いた和紙の香りが満ちていた。
「……まさか、本当にあなたが来るとは思わなかったわ。
あなたは、あの子――“律子さん”にとても似ているのね」
山岡詠子は、静かに語り始めた。
「私は、美琴さんと美羽さん、ふたりを同時に“託された”の。
だけど私には、育てる覚悟も環境もなかった……だから、律子さんが引き受けてくれたのよ」
「じゃあ、美羽は……」
「……私の娘です」
はっきりとした言葉だった。
詠子の手は震えていたが、その瞳には後悔と誠実さがにじんでいた。
「でも私は、ふたりを分け隔てなく愛していたの。
――“血がすべてじゃない”って、あの人が教えてくれたから」
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Scene8:戻らぬ夜と、揺れる旅館
その頃、テルメ金沢では――
白石美羽が仮女将として、忙しい夜を迎えていた。
宴会場では地元企業の新年会が行われ、大浴場ではタオルの補充に追われる仲居たち。
「美羽さん! すみません、お客様の部屋に薬をお届けしていただけますか?」
「あ、はいっ!」
そしてその背後では、佐藤菜摘がしっかりと見守っていた。
「ふふ……なんとか、形にはなってきたわね。でも――」
美羽が向かった客室のドアが、ほんの少しだけ開いていたことに、彼女は気づいていなかった。
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Scene9:能登と金沢、二つの揺れる夜
【能登・詠子の家】
白石美琴は、掘りごたつに座り、山岡詠子と向き合っていた。
詠子の手元には、一冊のノート。古びた皮表紙には「律子へ」と書かれている。
「これは……?」
「昔、あなたのお母さんが書き残してくれたものよ。私宛に。“二人の娘”を守ってほしいと」
ページをめくると、そこには“美琴”と“美羽”に宛てた言葉が記されていた。
「どちらも、私にとってはかけがえのない子。
血がつながっていなくても、抱きしめたぬくもりに、嘘はない。
私は女将として、そして母として、二人を愛する。
だから、どうか後悔しないで。選んだ道は、きっと正しかったと信じたい」
美琴の目に、涙がにじむ。
「……ずっと、怖かったんです。“血の事実”が、私たち姉妹の絆を壊すんじゃないかって」
「でも、あなたはもうわかってるでしょう? 絆は壊れない。
むしろ、“事実を知ること”で、より強くなるものもあるのよ」
詠子の声は、どこか懐かしく、美琴の胸に優しく染みこんでいった。
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【テルメ金沢・客室102号室前】
一方その頃――
仮女将・白石美羽は、ある部屋の前で立ち止まっていた。
「……ドアが、開いてる?」
先ほど薬を頼まれた部屋。
けれど、中からは物音ひとつしない。恐る恐る扉を押すと――
「……っ!」
そこに倒れていたのは、若い女性客。
白い浴衣のまま、冷たい床にぐったりと横たわっていた。
「誰か!誰か来て!!」
美羽の声に、仲居のひとりと菜摘が駆け寄る。
「すぐにAEDを!厨房から氷枕も!」
緊迫した中で、美羽は震える手で女性の額を支えた。
鼓動は微か――でも、まだ“生きている”。
「絶対、大丈夫。……私が、ここを守らなきゃ」
目に涙を浮かべながら、美羽は“女将の覚悟”をにじませていた。
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Scene10:二人の帰路、繋がるもの
翌朝、能登では小雪が止み、詠子の家の前には陽が差し込んでいた。
「……ありがとう。あなたに会えて、よかったわ」
詠子がそっと差し出したのは、律子の遺した帯留め。
それは美琴が幼い頃に大事にしていたものと、同じ模様だった。
「これは……」
「きっと、美羽さんにも渡してあげて」
別れ際、美琴は小さく頭を下げた。
「いつか――妹と一緒に、また会いに来ます」
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その頃、金沢では救急隊が到着し、倒れた女性客は一命を取り留めていた。
仮女将として奔走した美羽の姿を見て、佐藤菜摘はぽつりとつぶやいた。
「立派になったわね……あんた、いつの間にか“女将の顔”してるよ」
美羽は真っ赤な顔で、厨房へ走っていった。
「やめてくださいよ、もうっ!」
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Scene11(最終):帰還と報告、そして姉妹の約束
午後、美琴が旅館に戻ると――帳場には、美羽が立っていた。
どこか背筋の通った、立派な姿。
「おかえり、美琴」
「……ただいま。仮女将さん、ちゃんと旅館、守ってくれた?」
「……うん。めっちゃ怒られたけど、なんとか。
でも……この仕事、ちょっとだけ好きになったかも」
美琴は、笑いながら詠子から預かった帯留めを見せた。
「……“家族”って、ちゃんと“つなげていける”んだって、思ったよ」
ふたりは無言で見つめ合い、そっと手を重ねた。
白石姉妹の物語は、過去と未来をつなぎながら、静かに歩み出した。