特別編 「女将と探偵 ―湯けむりとキムチの交差点」 (白石美琴・視点)
■Scene01 あの人は、少し変わっていて、でも…
――初めて彼女を見たのは、うちの旅館にひょっこり現れた時だった。
「テルメ金沢って、本当に素敵な旅館ですね。こんにちは、朴凛奈と申します」
韓国から来た女優であり、探偵だという。
名刺の隅に書かれていた“探偵業兼芸能活動中”という文字に、私は正直少し戸惑った。
でも、目の奥に宿る光だけは、冗談じゃないとすぐにわかった。
この人は、人の心を視る人だ――そう思った。
⸻
■Scene02 金沢港の“塩と血”
事の発端は、金沢港の卸売市場で起きた“魚屋の不審失踪”。
大量の血が残されたまま、被害者の姿が見えないという不可解な事件。
県警からの依頼で、悠真が現場に呼ばれたが、そこに現れたのが――彼女だった。
「こんにちは、刑事さん。それと女将さん、またお会いできてうれしい」
悠真は凛奈を“韓国側の捜査協力者”として丁寧に紹介したが、私にとってはただの“特別な人”だった。
彼女が持ってきたのは――キムチ。
市場の隅に座り、それを一口食べると、彼女の表情が静かに変わった。
「……見えたわ。塩。真っ白な塩の中で、彼が叫んでる。『もう嘘は嫌だ』って」
私は凍りついた。
それは、犯人が“魚の塩漬け倉庫”で被害者を監禁していたという、まだ誰も気づいていなかった真実だった。
⸻
■Scene03 女将として、探偵として
「あなた……本当に見えたの?」
帰り道、私は彼女に聞いた。
「うん。キムチは私の“鍵”みたいなものなの。味と香りの中に“心の記憶”が宿ってる。時々それが見えるの」
「……こわくない?」
「こわいよ。全部が見えるわけじゃないし、外れることもある。でも――助けたいって気持ちは、いつも本気よ」
私は黙ってうなずいた。
それは、私が“女将”として抱える信念と、どこか似ていたから。
⸻
■Scene04 告白の夜、約束の夜
事件は無事に解決し、被害者も救出された。
犯人は、漁業組合との利権をめぐる裏切りの末に暴走していた元部下。
凛奈の力がなければ、間違いなく手遅れになっていただろう。
夜、旅館に戻った私は、彼女とふたり、静かな湯に入った。
「ねえ、美琴さん。あなたは何のために“女将”をしてるの?」
「……きっかけは、おばあちゃん。でも今は――“帰る場所”を守りたいから」
「それ、素敵。わたしも“戻れる場所”がほしかったの。芸能界にも、探偵としても、どこにも本当の居場所はなかったから」
「なら、ここがそうなればいい。……テルメ金沢は、あなたの味方よ」
彼女は一瞬、目を潤ませて微笑んだ。
「ありがとう。次に事件が起きたら、絶対一緒に解決しましょ」
「もちろん」
私たちは湯けむりの中で、静かに“約束のキス”のような視線を交わした。
⸻
■Scene05 そして輪島へ
翌朝。
悠真の携帯が鳴った。
「……ああ、了解。輪島の朝市で事件だって。俺は先に向かう」
「私も、行くわ」
「いいのか?」
「行くって約束した人がいるの。あなたと……そして、あの人と」
私は髪をまとめ、旅館の暖簾をそっと下ろした。
探偵と、刑事と、女将――
それぞれの“想いを守るための仕事”が、今、ひとつに重なろうとしていた。