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変わりゆく世界と拳の記憶  作者: Uta
灰の街にて
7/21

春の灯 ― 小さな食卓 ―

灰の街に、ようやく春の気配が訪れていた。

外の雪は細く溶け、屋根の端からしずくが滴る。

けれど夜と朝はまだ冷たく、

ギルド併設の医療棟では壁際の薪ストーブが赤く灯っていた。


やかんが小さく鳴り、部屋を湿った湯気が包む。

その傍らのベッドで――

男が、ゆっくりとまぶたを開けた。


「……ここは……」


かすれた声。

ナイナが振り返り、思わず小走りに近づく。

「気づいたのね。無理しないで、まだ身体は動かさない方がいいわ。」


男は天井を見つめ、焦点の合わない目で問い返した。

「……俺は、助かったのか。」


「ええ。」オリーブが穏やかに微笑む。

「まだ熱はあるけれど、峠は越えました。」


「お前たちが、運んで……くれたのか?」

僕は小さく頷いた。

「たまたま救護の手伝いに入ってたんだ。

 運がよかった、そう思うよ。」


「運、ね……」

男――ジョニーはかすかに笑った。

「……運じゃねぇさ。

こうして誰かが呼んでくれたから、戻ってこれただけだ。」


その目に、深い感謝と温かさがあった。


傍らにいたギルド職員が、控えめに口を開く。

「……落ち着いたら、詳しいお話を。」


ジョニーは彼女を一瞥し、息をついた。

「……ああ。

 けど、言わなくても分かる。

 あの状況で、生きてるわけがない。」


誰も言葉を返せなかった。

ナイナが視線を落とし、オリーブが両手を胸の前で握る。


ジョニーは少し顔を横に向け、

壁のランプの光を見た。


「……街は? 外のやつらは?」


僕は短く答えた。

「街は無事だ。あなたたちが守った。」


ジョニーの喉が動き、

かすれた声が落ちた。

「……それで、いい。」


しばらく沈黙が続いた。

薪のはぜる音だけが、ゆっくり部屋を満たす。


マイクが、その空気をやわらげるように笑った。

「……なら、祝わなきゃね。

 “生きてる”ってことをさ。」


「祝う?」ナイナが首を傾げる。

「食べるんだよ。」僕が立ち上がった。

「外に屋台が出てた。いい匂いだった。」


市場の路地には、まだ朝靄が残っていた。

肉の焼ける匂い、煮込みの湯気、

あちこちから人の声が響いてくる。


僕は、煮込みスープと焼き芋をいくつか買った。

それから道の端で、何かが倒れているのに気づく。


「……おい、大丈夫か?」


近づくと、

やせた男が石壁に寄りかかって座っていた。

髪もひげも伸び放題で、衣は泥に汚れている。


「……みず……」


僕は慌てて水袋を差し出した。

男は震える手で受け取り、

ごくりと喉を鳴らした。


「……アリガ……ある……」


その声は拙く、どこか馴染みのない抑揚だった。


「言葉、通じる?」

男は首を横に振る。

だが、目は真っすぐに僕を見ていた。


僕は小さく息をつき、

「……しょうがないな。」

と呟いて男を背負った。


医療棟に戻ると、ジョニーが苦笑した。

「おいおい、今度は誰を拾ってきたんだ。」


「放っとけなかったんだよ。」僕は肩をすくめた。

「名前も分からないけど、息はある。」


ナイナが急いで寝床を整え、

オリーブが温かいタオルで顔を拭いた。

マイクは持ち帰った煮込みを小鍋に移して温める。


「……これなら食べやすいはずだ。」


ストーブの火がやわらかく揺れる。

鍋の中でスープが小さく音を立て、

湯気が部屋に広がる。


ジョニーが笑った。

「戦場みたいだな。

 飯を囲んでる間だけが、地獄じゃなくなる。」


「なら、今日だけは平和な夜にしよう。」

僕は椅子を寄せ、木の椀を並べた。


ナイナが分け、オリーブが手を合わせた。

「いただきます。」


その言葉が、穏やかに部屋を満たす。

そして――


ベッドの上で眠っていた男の鼻がぴくりと動いた。

次の瞬間、

かすれた声が聞こえた。


「……わたしも……食べたいある……」


全員が驚いて振り向く。

オリーブがくすっと笑い、ジョニーが吹き出した。


「腹が減ってるやつに悪人はいねぇな。」


マイクが椀を差し出し、

僕はそっとスープをすくって口元に運ぶ。


男――イェンは涙をこぼしながら、

それを飲み込んだ。


「……うまい……ある……」


ジョニーは枕に頭を戻し、

静かに笑った。

「……お前ら、ほんとに変な奴らだな。」


ナイナが答える。

「ええ。だけど、変でいいと思う。」


外では風が通り抜け、

窓辺の光が少しだけ明るくなった。


日が昇ってきたのだ。


五人の呼吸が、静かに重なっていた。

その温もりは、

小さな病室の中で確かに灯っていた。


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