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変わりゆく世界と拳の記憶  作者: Uta
灰の街にて
6/21

灰の街の灯 ― 名も知らぬ男 ―

訓練の午後は、静かだった。

午前中の喧噪が嘘のように、灰の街は鈍い光に包まれていた。

僕たちはギルドの仕事を手伝っていた。

訓練生は交代で雑務を受け持つのだという。


「……地味な仕事だな。」

僕が倉庫の埃を拭きながらつぶやくと、ナイナが笑った。

「埃のない街なんて、滅びるわ。積み重ねが生活を作るの。」

「そうかもしれない。」


マイクは食堂の机を拭きながら、小さく息をついた。

「でも、剣を握るより難しいね。

 身体が……思うように動かなくて。」

「焦らないで。」オリーブが優しく言う。

「一緒に動けるようになればいいんだから。」


その時だった。

「救護班! 人手が足りねぇ、誰か来てくれ!」


声が訓練場から響いた。

空気が一瞬で張り詰める。


僕らは顔を見合わせ、走り出した。


医療室は血と薬草の匂いで満ちていた。

床には赤い跡が続き、

中央のベッドでは男がうめき声を上げている。

顔は土埃で汚れ、腹を押さえながら息を荒げていた。


「……ひどい傷だ。」

マイクの声が震える。


職員が怒鳴った。

「誰か、押さえてろ! 止血を――」


僕は言われるまま男の肩を押さえた。

手のひらの下で、脈がかすかに打っている。

血が熱い。

命が、逃げていく音がする。


「どうすれば……」

オリーブが震えながら呟いた。

「お願い……助かって……」


その瞬間だった。

彼女の手のひらが、淡く光った。

まるで月の光が降り注いだように。


「な……なにこれ……?」

オリーブ自身が驚いていた。

光が傷口に触れると、血の流れが少しずつおさまっていく。


ナイナが息を呑み、そっと隣に膝をついた。

「……なら、私も。」

彼女は男の足元に手をかざす。

たらいの中の水がふるえ、浮かび上がって

ゆっくりと男の身体の血を洗い流していった。


「水が……動いてる……」

マイクの声がかすれる。


僕は二人の光に照らされながら、

ただ男の手を握った。

冷たい。まるで氷のようだった。


(死ぬな。

 まだ、知らないだろ……この街の光も、飯の匂いも。

 お前の居場所は、まだ消えてない。)


「大丈夫だ……大丈夫だから。」

僕は、そう言葉をかけた。

気づけば、

僕の手も淡く温かく光っていた。


まるで、

二人の魔法の光と重なるように。


誰もそれに気づかなかった。

職員たちは外で叫び、

走り回っていたからだ。


けれど、握られた男――

その人だけは、確かにその温もりを感じていた。


微かに開かれた目。

焦点の合わない瞳が、こちらを見た。


「……おまえ……ら……」

その唇が、わずかに動いた。

言葉の形は掠れて、消えた。


けれど僕には、聞こえた気がした。

――ありがとう。


夜、医療室は静まり返っていた。

外の灰の空には、二つの月。

その光が窓を通って床に淡く落ちている。


「……少し顔色が戻ってきた。」

オリーブが小さく呟く。

「そうね。もう峠は越えたわ。」

ナイナが頷いた。


マイクは椅子に座りながら、

静かに拳を握っていた。

「僕、思ったんだ。

 戦うことよりも、こうやって誰かを救う方が……

 ずっと怖いけど、尊いんだね。」


僕は窓の外を見上げながら言った。

「たぶん、どっちも同じだよ。

 戦いも、救うことも――誰かのためにやるなら、きっと。」


誰も何も言わなかった。

ただ、静かな呼吸と月の光だけがそこにあった。


ベッドの上の男の指が、かすかに動いた。

そして、ほんの少しだけ、唇が笑った気がした。


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