第9話 クリスタルへの道
「実はさ、クリスタルまでの地図を秘密の筋から手に入れてたんだよね」
歩きながら、何で迷宮に単身で挑戦するなんて無謀なことをやったんだと訊くと。
霧生が、急にそんなことを言い出した。
「ふぅん……?」
俺は振り返り、怪訝な目を向ける。
ガセじゃないのか? それ。
なんとなく。
別に迷宮の構造をネットで公開するのは違法じゃ無いけど、誰もしないだろ。
面倒だし、何の利益も無い。
だけど
霧生はリュックから畳まれたA4の紙を取り出した。
それを広げながら
「迷宮マニアが集まる掲示板でね、画像で公開されててさ。クリスタルまでの道順ってタイトルだったんだよ。で、思い切って本物の迷宮に入ってみたら、ほんとにこの通りの構造で! このまま進めば絶対クリスタルにたどり着けるって、確信したんだよね!」
霧生の早口の告白。
眼が輝いている。
……ったく、こいつ、ほんとに命知らずだな。
霧生ご自慢の地図。
見せて貰うと霧生の言う通り。
正確な地図だった。
手書きだけど、申し分ない。
俺の見る限り、正確だ。
……だけどさ
「モンスターのことはどう考えてたんだよ。隠れてりゃなんとかなるってか?」
俺は呆れながら問う。
霧生は少し気まずそうに笑って、頭を掻く。
「うん、まあ、そう思ってた。隠れてれば大丈夫かなって……」
「臭いでバレるって考えなかったのか?」
俺はさらに突っ込む。
ゴブリンなんて、視覚より嗅覚で獲物を追う。
隠れたって、汗や体臭でバレるに決まってる。
「え、だって、出かける前にお風呂入ったんだけど……それでもダメなの?」
霧生が本気で驚いた顔で言う。
「……あのな」
俺は盛大に溜息をつく。
「それでなんとかなるなら、3層宝箱で手に入る臭い消しアイテム『デオード』が、1個1000円で売れるわけ無いだろ」
3層で比較的取りやすい消耗アイテム。
身体に振りかけると1時間ほど体臭が一切無くなる。
そういうアイテムなのだけど……
「……ちなみに売値じゃないぞ? 買取価格が1000円なんだ」
店頭販売価格は5000円だったかな。
すると
「……そんなにするんだ」
驚きで霧生の目が見開かれる。
で、すぐにシュンとして、素直に頭を下げる。
「うう、ごめん。甘く見てた。私、ほんとバカだったかも……」
その態度に、俺は少しだけ感心する。
自分の落ち度をちゃんと認められるのか。
あの牝豚なら、こうやって指摘されたら泣きわめいて逆ギレなんだが。
……くそ、なんでまたあのゴミクズを思い出したんだ。
マジで早く死ねばいいのに。
一瞬、胸の奥がムカつく感情で塗りつぶされて、気分が沈む。
そのとき
「……ね、吉常君はどうやってクリスタルまで行ったの?」
話題を変えたいのか霧生が質問して来た。
俺の暗い表情に気づいたのかもしれない。
俺は答える。
「……タダ働きだよ」
俺はタダ働きをすることで、タダでクラスを手に入れた。
どうやったのか?
それは……
「ガイドの迷宮探索者の手伝いで、戦闘要員としてついてった。サポート係を買って出て、ついでにクリスタル触らせてもらったんだ」
「へえ! ガイドって、あの50万円払うやつ?」
霧生が興味津々で訊いてくる。
俺は頷き
「ああ。お客さんは大金払ってるわけだし、俺はもう奴隷に徹したな。荷物持ちから後衛の護衛、モンスターの囮まで、なんでもやった」
俺は苦笑しながら話す。
あのときは、迷宮探索者になるために必死だった。
けど、今こうやって話してると、なんか……ちょっと楽しかったような気もする。
ふと、霧生のニコニコした顔を見る。
……こいつ、なんか楽な奴だな。
霧生に対して、そこまで悪感情がない自分に気づいて、ちょっと驚く。
まぁ、霧生はコミュ力高いヤツだから、そのせいかもしれんけど。
「……無駄話はここまでで。声で気づかれても面倒だ」
俺は剣を握り直し、歩き出す。霧生が「うん!」と元気よくついてくる。
迷宮の1層……つまり1階を抜け、下り階段を下りる。
2階の空気は、1階よりさらに冷たい感じだった。
幸い、モンスターには遭遇しなかった。
そしてしばらく歩き続け
通路の奥に、かすかな赤い光が見えてきた。
……もうすぐだ。
「吉常君、あれ……!」
霧生の声に興奮があった。
赤い水晶──クリスタル。
2階の奥、薄暗い部屋の中央に、静かに輝く半透明の赤い塊が浮かんでいる。
吊り糸なんてどこにも無いのに浮かんでる、謎に満ちた結晶体……!
「……着いた。これがクリスタルだ」
俺は小さく息を吐く。
霧生は顔を紅潮させて、クリスタルを見つめてる。
そして上擦った声で
「ほんとに……ほんとにここまで来れた! やった!」
霧生が小さく跳ねて喜ぶ。
なんか、子供みたいで、ちょっと笑える。
「オメデトサン」
俺は苦笑しながら言う。
「さて、どうする? 触るか?」
俺はクリスタルを顎で示した。
霧生は一瞬真剣な顔になって、ゆっくり頷く。
「うん。触る。私、クラスを手に入れたい」
その目は、さっきの10層の話のときと同じ熱を帯びてる。
……こいつ、ほんとに迷宮の最深部を目指すつもりなのかね?
俺は剣を構え、部屋の入り口を見張る。
「じゃ、さっさと済ませろ。モンスターが来る前に」
「うん、分かった」
そう言って、おずおずと霧生がクリスタルに手を伸ばした。