第198話 裏切りとは
「えっ」
俺は言葉が出なかった。
夏海に、俺の奥さんにそんなことを言われることは全く予想なんてしてなかった。
だから俺は
「いきなりなんだよいきなり。わけわかんないだろ」
早口でまくし立てるように、そう返した。
まるで都合の悪いことをかき消すように。
だけど夏海は
「……確かキリスト教で、最も重い罪として裏切りが設定されているって話を聞いたことがあるの」
そう、穏やかに話す。
俺は何も言えなかった。
「その理由を、思い知ったよ……1度裏切られたことがある人間は、他人を信じられなくなるからなんだね」
裏切られる、ということを想定するようになるから。
そう、何かを感じているような響きすらある夏海の言葉。
マズイ気がした。
俺は
「俺はお前が他の男に抱かれたなんて全く思ってない!」
「……その証拠は?」
慌てて口にした俺の言葉に、冷静な夏海の言葉が続く。
俺はその言葉に
「お前は俺のことをずっと庇ってくれたし、支えてくれて、愛してくれて……」
必死で返したけど
「そんなの根拠になんないよ。気の迷いがあるかもしれないじゃん」
夏海はそう、斬って捨てた。
そして
「この子、女の子だから多分私に似ると思う。……経験則だけど、お兄ちゃんはお父さんそっくりだし、私はたまにお母さんのクローンなんじゃないかと思ってしまうくらい、似てるところがある」
客観的事実は顔である。
血縁関係の証拠になり得るのは顔の類似か、DNA鑑定しか無い。
……そりゃそうだ。
否定できない……
何も言えなくなった俺に彼女は
「だからDNA鑑定をしましょう。そうしないと、あなたはこの子を我が子として愛せないでしょ」
……酷く優しい声で言った。
そのまま娘に視線を落とし、愛おしそうに見つめて
「大丈夫。この子はまだDNA鑑定なんて理解できないし、私たちが黙っていれば知られることも無い……それに」
そこで言葉を切り。
夏海は笑顔のまま
「……あなたがそうなのは、別にあなたのせいじゃない。全部、あの恥知らずの生ごみが悪いのよ」
今まで聞いたことも無いくらい、冷たくて。
呪詛の籠った声で言った。
「平気で托卵なんて、良心の完全欠如した最低の行為を選択した生ごみ……! 地獄に堕ちろ……死ね……!」
それは俺への呪詛じゃない。
彼女からは、俺への敵意なんて何も無い。
ただ、悲しみの感情があるだけで。
だけど
「お陰で私の旦那は、女が裏切るという可能性を学んでしまった。そのせいで今、こうなってる……! ちくしょう、今からでもあいつをアマゾンに捨ててやろうか……! 猛獣の前に放り出してやろうか……!」
その口にしている呪詛は本物で。
彼女に抱かれている俺たちの娘は
うわああああああん!
突如、泣き始める。
本能的に、母親が殺人者の精神状態になっていることを察知したんだろうか。
それに恐怖を覚え、俺は思わず言っていた。
「やめろ!」
……ただそれは。
その場しのぎの衝動的な、空っぽな言葉では無くて。
たった今、気づいたことがあったから出た言葉でもあった。




