第196話 あり得ない疑念
夏海のお腹は日に日に大きくなっていき。
俺は夏海と同様に、産休を取って彼女のサポートをした。
夏海のお母さんがたまに来てくれるけど、毎日じゃ無いしな。
夏海は「パパはいつも優しいけど、赤ちゃんができたらもっと優しくなってくれて、得した気分」なんて言って笑っていた。
そして運命の日がやって来た。
家で俺が掃除機を掛けているとき。
「イタタタタ!」
夏海の苦痛の声が聞こえて来たんだ。
行くとソファでお腹を押さえて苦しんでいる。
すぐ分かった。
陣痛だ……
「救急車呼ぶ、ちょっと待って」
俺が自分のスマホを取りに行こうとすると
「ううん、救急車じゃなくていい。病院に電話してパパ!」
夏海はそう言って、痛みで顔を歪ませながらも、ベッドの脇に置いてあった「入院準備リスト」を指差した。
そこに電話番号が大きく書かれている。
何で救急車じゃないんだ!?
気になったけど
産むのは夏海で、夏海は賢いから理由があるはず。
俺は即座に
「分かった!」
決断して行動開始。
俺は自分のスマホを持って来て、書かれている番号にダイヤル。
途中でそれがお世話になってる産婦人科だと気づいたけど、念のためそのまま番号をタップする。
そして応対に出た職員さんに
「もしもし、すみません。妻が、陣痛が始まったようです。今、21歳で初産です。はい、原間産婦人科でお世話になっております、頼朋です」
応対に出た職員さんに状況を伝え、すぐに来てくださいと言われた。
電話を切ると、夏海が「早く、早く」と小声で催促する。
だいぶ焦ってんな。
当たり前だけど。
「よし、行くぞ! これ持って!」
俺はバッグと、夏海が指差したリストに書いてあるものを確認して、すぐに持ち出せるように用意していた「入院セット」を掴んだ。
夏海の手を取ってソファから立ち上がらせ、ゆっくりと玄関に向かう。
「ふぅ……大丈夫、少し治まった」
玄関で靴を履かせるとき、夏海は一瞬、穏やかな顔になった。
陣痛の間隔がまだ長いんだろう。
「焦らなくていいよ、ママ。俺が全部やるから」
慎重に夏海を俺たちの自家用車に乗せた。
ブルーのハイエースバンだ。
形状に頑丈さを感じたのと、将来的に多人数が乗れるので選んだ車。
夏海は「無駄に終わらないように頑張ろうね」なんて言って笑ってたけど。
自家用車に乗り込み俺は、病院までの道を慎重かつ素早く運転した。
事前に確認していたルートだ。
実際はそれ以前の問題だったんだが万一、救急車が出払っていたら俺が行かなくちゃならないと思っていたからね。
なるべくトラブルが少なく、安全に到着できるルート……
病院に着き、陣痛の間隔が短くなってきた夏海を車椅子に乗せ、出産フロアへ。
すぐに分娩室へと案内された。
長い、長い時間が流れた。
その間に夏海の両親と、俺の親に連絡を入れる。
いよいよ生まれるって。
俺たちの親は、すぐに行くと言ってくれた。
陣痛の波が来るたびに、夏海はうめき声を上げる。
俺は彼女の手を握りしめ、背中をさすり、ただひたすらに励まし続けた。
助産師さんたちの指示に従って、夏海は必死にいきむ。
「頑張れ、夏海! もうちょっとだ!」
「……痛いよぉ……でも頑張るよぉ……」
夏海の顔は汗と涙でぐしょぐしょだったが、それでも彼女は諦めなかった。
俺の手を力いっぱい握り返して来る。
そして、ついに。
「はい、頭出たよ! もう一息!」
助産師さんの声が響き渡った直後
おぎゃああああ!
……力強い泣き声が分娩室に響いた。
「生まれたよ、夏海! よく頑張った!」
俺は涙が止まらなくなった。
夏海もぐったりとしながらも、顔中に喜びの色を浮かべている。
「元気な女の子ですよ」
そう言って、羊水と血に濡れた小さな赤ちゃんが夏海の胸に抱かれた。
「ああ……」
夏海が小さな声で呟き、優しく赤ちゃんの頭を撫でる。
その小さな命が、俺たちの娘だ。
小さくて、弱々しいけれど、確かに俺たちの宝物。
「ようこそ、パパとママのところへ」
夏海の言葉はとても優しかった。
母親の言葉だと思った。
俺も娘の小さな手をそっと握り、夏海にキスをした。
「ありがとう、夏海。お疲れ様だな」
俺たちの最初の子供は女の子……
俺は嬉しかったし、夏海には感謝しかない。
はずなのに。
そのとき頭の片隅で、ありえない疑念が湧いたんだ。
――その証拠は?




