第195話 単に自分が楽になりたいだけですよね?
「パパ、このベビー服どう思う? 色が男の子っぽいかな?」
「別に気にしなくて良くないかママ? 赤ちゃんのうちは色なんか関係ないだろ」
そして俺たちは親になる準備をはじめた。
子供のためのグッズ類を東京の大手の店に買いに来て、ついでに引っ越しのために不動産屋を回っていた。
……さすがにあのワンルームだと、ベビーベッドを置くスペースが無いからな。
そこに気づいて動かざるを得なくなったんだ。
もうちょっと早く動くべきだったよ。今更だけど。
新居を決めて、その足でベビー用品を購入。
新居には即日入居できないから、とりあえず嵩張らないものを。
服とか。玩具として小さいゴムまりとか。
一緒に意見を出しながら、生まれて来る子供のことを思って話し合うのは幸せで。
終始俺は笑顔だった。
だけど。
ベビー用品店を出て、少し休憩できる喫茶店を探して歩いているときだ。
東京の人の群れの中。
俺はアイツに再会してしまったんだ。
……俺と似た顔をした男に。
四戸天将……
およそ3年ぶりに出会ったその男は。
見た感じはまだ若かった。
だけど……
覇気が驚くほど無くなっていた。
目に、ギラギラした生命力のようなものが無くなっていたんだ。
気に入らないヤツはブチ殺す。
俺は何一つ間違っていない。
そういった、良くも悪くも、強さと自信……
俺は目が離せなくて、思わず固まった。
そしたら――
向こうも、気づいた。
その表情は、老人のような表情に思えた。
「……よぉ、久しぶりやな」
そしてアイツは
そう、力の抜けた声でそう言って。
そのまま――
俺の目の前で土下座したんだ。
「ちょっと待てよ!」
さすがに動揺した。
周囲の人々も、足を止めてこの異常事態に注目している。
何であの若い男、あの男の人を土下座させているの?
ひょっとして、ヤバい人間なのでは?
そんな憶測めいたヒソヒソ話が聞こえて来る。
焦りと動揺で俺は動けない。
そこに
「悪かった!」
叫ぶように、四戸天将は俺に詫びて来た。
「お前にした俺の仕打ちは最低やった! 俺はだんだんそれが分かって来たんや!」
そのまま、四戸天将は
最近夢に見る。
自分が他人を苦しめて来た悪いヤツだと皆に非難される夢を、とか。
自分が世界最強だと思っていたことが、実はただの思い込みだと皆に嘲笑われている夢を、とか。
自分がいかに苦しんでいるか、悩んでいるかを口にして。
許して欲しいと言っている。
――こいつ。
俺に負けて、しかもエンマもクビになったショックで。
自信を失って、心の強さを失ってしまったのか。
四戸天将の生き方は、心の強さが無いと無理なのか。
だからこうなってしまったのか。
そこに気づいた。
俺はこの男にどう言うべきかを悩み
口を開きかけたとき。
「――今更何ですか? 帰って下さい」
……俺の奥さんが、とても冷たい目で四戸天将を見下ろして。
そう一言、言い放った。
そのまま続ける。
「あなた、単に自分が楽になりたいだけですよね? 償いたいんじゃ無くて、許されたいんでしょう?」
奥さんの目は、俺に向ける愛情に満ちたもんじゃ無かった。
氷のように冷たかった。
四戸天将は動かない。
……図星なのかもしれない。
顔が見えないから、確信はできないけど。
「あなたの軽率な、自己中心的な行為のせいで、私の旦那は散々苦しんだんです。そこのところは、私は旦那以上に憎んでいます。許しません」
奥さんはそう、強い声で言い放つ。
そこに、容赦というものは一切なかった。
「悪いと思うなら、ここからすぐに消えてください。……あと1年以内に私たちの子供が生まれて、ここで子育てをする予定ですので。この辺に居られるとハッキリ言って迷惑です」
何故迷惑なのか。
口には出さないけど、分かる。
……俺たちの子供が、遺伝上はコイツの孫になることを万が一にも知られたくない。
そんな、夏海の母としての危機感だろう。
その言葉に
「……分かった。本当に悪かった。消えるわ」
四戸天将は覇気のない声で返し
「じゃあな」
そう言って、立ち上がり。
アイツは再び、人ごみの中に消えて行った。
周りで遠巻きに見ていた人たちは
あの人たち、何があったのかな?
ひょっとして色恋沙汰?
何か、そんな勝手なことを言っていたけど。
俺はそれは意識的に聞かないように努めた。




