第四話
『私が貴女を救う』
あの日の誓いを胸に、アリアレインは思いが溢れて何も話せないマリアンヌに代わり、第三者だから言える辛辣な言葉をエドワードに投げかけた。
「殿下は一体マリアンヌ様に何をお求めですの?」
「何とは、なんだ?」
「謝らせたいのですか? 勝手に嫉妬などして申し訳ありませんでした、殿下を信じ切れなくてごめんなさい、と」
「そうではない!」
「では、何をお望みなのです?」
テーブルの下で繋ぎ合った手の暖かさを頼りに、胸に燻る想いを容赦ない言葉に変えた。
「もっとはっきり言えば良かったとおっしゃいますが、マリアンヌ様が何度も殿下をお諫めしていたのは、私でも見たことがあります。あれで足りぬなら、どう言葉を重ねてもお耳に届くことはなかったのではないでしょうか」
己の行動を振り返れと突きつければ、彼は憎たらしげに顔を歪めた。
「もっと、ちゃんと、確かめてくれたらっ」
「いきなり知らない女が婚約者のそばにいて驚いて、それについて問おうにも、彼女に関する話題すべて、嫉妬の一言で切り捨てられて、どうせよと?
そもそも、政略でおそばにおいたなら、マリアンヌ様にも彼女を紹介するのが筋でしょうに……それすらせず、ただ女を特別に侍らせるのを許せと仰れば、誤解を与えるのも当然。だから皆様、気を利かせて殿下の秘密の恋を守ろうとしたのではありませんか」
秘密の恋の話をされて、エドワードの顔に朱が走る。
この男は、その噂について、本当に、何も、思っていなかったらしい。
……笑わせてくれる。
恋にまつわる噂はすべて、下位貴族でマナーに疎いアンナの行動に原因があっての<誤解>に過ぎないのに、婚約者のマリアンヌはくだらない嫉妬によって将来有望なアンナをエドワードから引き離そうとする。
どう説明しても疑いを捨てないマリアンヌの嫉妬深さは本当に困ったものだ……。
そんな言葉を他人がどう捕らえるか、この男は本当に判っていなかった。
エドワード自身の潔白は、自身が一番よく判っていること。だから、堂々とアンナを側近候補として扱い続けていれば、いづれ皆、性差なく人材を登用する自身の慧眼を判ってくれる。
マリアンヌもいつか……。
そう考え、エドワードはマリアンヌに何を言われてもアンナをそばに置き、誹謗中傷から弱い立場のアンナを守っていただけ……というのは既に本人から聞いている。
マリアンヌの心をへし折ったハンカチ事件も、アンナは下位貴族だから淑女教育が足りず、男性に刺繍を差して贈るのが愛情表現にあたると知らないのだろうと思ったそうだ。
それが本気なら、アンナのことも随分馬鹿にした話だが……迷いのない真っ直ぐな目で、きちんと常識を理解している令嬢が、意味を知っていて、婚約者のいる男、ましてや王子に、衆人環視の中堂々と、自分が刺したものを贈るなんて普通は思わないだろう? と真剣に聞かれて妙に納得してしまった。
彼女のマナー知らずに驚きはしたが、アンナなりの精一杯の<厚意>の証なら無碍に断っては可哀想と受け取っただけで、他意はない。
<好意>の証だと判っていたらきっぱり断っていた。
私はマリアンヌを裏切ったことなどない!!
はっきり言い切る主の背中を見つめ、側近たちが信じられないと顔を引きつらせていたのは正直面白かった。
彼らも主の気持ちを<誤解>していたのだろう。
随分と滑稽な主従関係を見せつけられて、アリアレインはその場で笑わずにいるのが大変だった。
そもそもマリアンヌへの悪意ある噂は、彼の側近たる取り巻きたちから発生したものだ。
彼らは可憐な子爵令嬢を突然側近候補に抜擢をした主の意思を曲解し、勝手に忖度して、暴走した。
嘘にならない程度に、マリアンヌは権力で婚約者に選ばれただけで、そこに本人たちの意思はなく。対するアンナは、努力と才気と美貌で王子自身に選ばれた。
どちらがより彼に寄り添うに相応しいだろうか? と周囲に吹聴した。
他でもない、主のために。
密やかに蒔かれた噂の種は、それぞれの行動を糧にしっかり根を張り、やがて大輪の花を咲かせた。
エドワードの秘密の恋と、真実の愛の相手と、政略で押しつけられた婚約者、という噂の花。
あちこちで咲き始めた虚構の花は、それを眺める者たちが囁く言葉を更なる養分として、枯れることなく咲き続けた。
……その結果がこれだ。
正式に発表された、王太子の婚約解消と、新しい婚約。
全く意図しない結果になり、最初はアリアレインに向けて怒気を露わにしていた側近たちも、自身のしたことの正否を目の前ではっきり示されて、ようやく過ちを知ったようだった。
そんな側近たちを睨み付けながら、アリアレインは、王太子の新しい婚約者としてどうぞよろしくと挨拶したのだ。
未来の王に仕えるべく選び抜かれた側近たちが夢見がちな者ばかりだったのは、確かに気の毒だ。
しかしエドワードには、噂の元を調査し、精査する権力がある。本当にマリアンヌを想い、後ろ暗いものがなかったならば、自身のためでなく彼女のために、行動すべきだった。
その時点で、エドワードもマリアンヌを信じていなかったのだろう?
それとも……嫉妬される事実に優越感でも持って、傷つくマリアンヌを眺めていたのだろうか?
下種め、逃がすものかと、更に投げかける。
「私たちは淑女の教えとして貞節を教え込まれますが、殿方はそうではない。ましてや殿下は尊い血をお持ちの方。お立場として、多くの方を愛でられても何も問題ありません。アンナ嬢を常におそばに侍らせるのが、そういう意味だと周囲が誤解しても仕方ないでしょう」
「違うと言っているっ。……しかし、ならばっ、王族に嫁ぐ者として、そういう女性が現れることも想定して、配慮するべき」
「致しました」
確信を持って即座に切り返したアリアレインを見つめ、エドワードがぽかんと言葉を途切れさせた。そして、小さく首を傾げる。
マリアンヌではなく、アリアレインが断言する違和感をやっと持ったらしい。
多分、彼は未だに、婚約者交換のバックグラウンドについて何も知らないのだろう。
どうして突然現れた見知らぬ女が、長年の婚約者の気持ちを代弁し断言するのか……エドワードは今更やっと、アリアレインを真面に視界に入れた。
そんな彼の変化に、愚かな……と心の中で蔑むアリアレインの手をマリアンヌが握り返す。その手の温もりが勇気をくれた。
まだ、情に訴えれば事実が覆ると思っているエドワードの甘さが憎い。
今はもう、話し合えばやり直せるなんて時期ではない。そんな段階はとうに終わった。
マリアンヌも、アリアレインも。
エドワードも、……オリバーも。
もう今更、何も元には戻らない。
……オリバー様、貴方もきっとこんなふうに言うのでしょうね。
貴方の面影を目の前の男に重ねて、突きつけた。
「何度も、彼女について話し合いをしようとしました。しかしその度、ただの友人、友人に嫉妬するのは醜いと切り捨てたのは貴方。……なのに今更、何も知らなかったような顔をして、言ってくれれば……など、責任転嫁も甚だしいっ。すべては婚約者を軽んじた殿下の咎です」
私の存在を、想いを、軽んじた貴方が悪い。
貴方にも、私へ確かな想いがあったなら、一言、言って欲しかった。
想いは確かに在ると、その存在を示して欲しかった。
目に見えぬものだけを根拠に信じ続けることがどれ程困難か、貴方は知っていますか?
アリアレインの強い言葉の後、長く沈黙があった。
初めて真っ向から非難されて狼狽えたように視線を彷徨わせたエドワードは、何度も口を開きかけては閉じ、必死に言葉を探している。
探しているのが謝罪なら良いのに……。
しかし、願って待っていた少女たちに降り注いだのは、予想を裏切らない怒声だった。
「……なら、ならばっ、マリー、君はどうなんだ!? 私にも非があったとして、相談もなく突然婚約者の交代など、一時の感情で勝手に決めて!! 君には、王家に嫁ぐ覚悟が足りなかったのではないか!?」
やっと見つけた相手を非難する糸口。
立ち上がって声を荒げ始めたエドワードを見上げ、反射的に腰を浮かしたアリアレインを、ぐっと強く手を握ったマリアンヌが引き留めた。
「君と違って、私の、王太子と言う立場は、簡単に投げ出せるものではないんだぞっ。それなのに、君は嫌になったからと、簡単に投げ出すなんてっ。その程度の覚悟しかないからっ……」
尚も言い募ろうとする声を遮るように、はぁ……と深く息を吐いたアリアレインは、立ち上がったエドワードを下から睨めつけて、低く言った。
「確かに。彼女がただ婚約者を辞退してその大役を他の令嬢に押しつけたなら責められもしましょう」
しかし……と続けたアリアレインは静かにマリアンヌの手をほどくと、ゆっくり立ち上がって、真っ直ぐ胸を張って宣言した。
「彼女の代わりに嫁ぐのは、この私。両王家の血を引く、この私なのですから、婚約という契約にはなんの問題も生じません」
この私、と胸に手を当て、微塵の揺らぎもない自信に満ちた態度で告げれば、王子は明らかにたじろいだ。
瞬きもせず見つめ合う二対の青い目。
公女として、王太子の婚約者として、未来の王妃として、幼い日から培ってきたものは、国が代わろうと、相手が代わろうと揺らがない、アリアレインの確かな財産。
それを簡単に得たなどと思ってもらっては困る。
<私>の代わりはいないと、私たちはちゃんと知っていた。
だから悩んで、泣いて、そして……貴女に出会って覚悟を決めた。
血統と努力によって裏付けられた自信に胸を張って、アリアレインはエドワードに挑む。
そもそも貴方は、いつまで自分が選ぶ立場だと思っているの?
貴方こそ、婚約者として、夫として、未来の王として、マリアンヌに選ばれなかったことを自覚なさい。
そして貴方はこの先一生、彼女への償いを抱いて、私と共に、この国のためにつくし生きるのよ。
明確な意思に彩られた蒼海の瞳の強さは、蒼天の瞳を圧倒した。
じりっと微かに後退ったエドワードは、逃げ出そうとする足を必死に踏ん張って、震える声を出す。
「そうだ、マリーは君にも、迷惑」
「ご心配なく。私も我が婚約者の振る舞いに愛想を尽かしていたところでしたから、このお話は渡りに船でした」
「……愛想を、つかす?」
「ええ、オリバー殿下も学び舎にて出会った、私ではない女に寵愛を与えていますの……貴方様と同じように」
「私はアンナに邪な気持ちなど向けてない!!」
「その言葉を一体誰が信じるのですか? マリアンヌ様一人信じさせることが出来なかったのに……誰に聞いても、殿下はアンナ嬢を酷く寵愛なさっていると評判です」
「そんなつもりは全くない!! 無礼だ!!」
「では、彼女をお見捨てになるのですか? 殿下のこれまでの振る舞いの所為で、彼女にはもう殿下の情けを受ける以外生きる道はないのに。お可哀想なこと」
「なに?」
事実だ。
あれほど噂になったのだ、近い世代の子を持つ親も当然今度の婚約者交代についての事情を知っている。
誰が、王子の愛妾候補のお手つきをわざわざもらい受けたいと思う? 今更噂を否定し相手を探しても、真面な貴族家には嫁げないだろう。
それでもいいというのは後妻や余程の訳ありか、もしくは噂を知らぬ裕福な平民……いずれにしろ、彼女が夢見ていただろう輝かしい未来は訪れない。
すべて、エドワードの独善的な考えと行動の所為だ。
自分の行いが目の前の少女たちだけでなく、アンナの人生も乱したことを今更知り、エドワードの身体を震えが襲う。
青くなって震え始めた男の愚かさに零れた嘲笑を淑女の笑みで取り繕って、アリアレインは慈悲が在るように殊更優しく言った。
「以前も申し上げたとおり、殿下が望まれるのでしたら、今後も彼女がおそばにいられるよう私が取り計らって差し上げます。ですから、今更見捨てるなど情のないことを仰いませんよう」
「僕はっ……そんなこと望んでいないっ。そもそも君と結婚するつもりもない!!」
妻に望むのはっ……縋るような目をマリアンヌに向けたが、彼女は俯いたままこちらを見ることもしていなかった。
そして気付く。
最後に彼女と見つめ合ったのがいつか、思い出せない。
最愛の彼女との婚約の解消を知って話したあの日以降、まったく会えなくなって……父王を拝み倒してやっと掴んだ最後の機会。
今覆さなければ永遠にマリアンヌを失ってしまうと意気込んでやってきたのに、この場に来てからも前面に出て話すのはアリアレインばかりで……。
そういえば、今日マリアンヌは一度でも口を開いたか?
挨拶はしたか?
……覚えてない。
今日一度も彼女の声を聞いた覚えがなくて、そして、やっと自覚した。
こうやって自分は、何度もマリアンヌの声を、意思を、気持ちを、踏み潰してきたのだ。
見ているふり聞いているふりだけして、いつでもいつまでも彼女は必ずそこにいるからと、その存在自体を蔑ろにし続けていた。
言ってくれれば……一番最初に発した言葉が返ってきて、胸に突き刺さる。その痛みに呻いて胸を押さえたエドワードの上、アリアレインの静かな声が覆い被さってきた。
「判りませんか? 今ここでだだをこねているのは殿下だけ。私もマリアンヌ様もとっくに覚悟を決めています。今更心変わりなど、あり得ませんよ」
突きつけられて、呼吸が乱れる。浅い呼吸を繰り返しながら、こちらを見ないマリアンヌへ向けて絞り出した。
「そうなのか、マリー? ……君はもう僕のことを好きではないのか?」
蔑ろにしていた事実を自覚したエドワードが縋れるものはもう、彼女の想いだけ。
長年の婚約者で、あれほどしつこく諫めてきたのだ。情がないわけない。
欠片でもそれが見えたら、今度こそ間違えないから。
今度こそ君を見て、君の想いにちゃんと応えるから……。
マリー、応えてくれ。
祈るように待つエドワードの気配を感じながら、唇を噛んだマリアンヌは零れそうになる涙を必死に堪えていた。
そんな切ないお声で聞かないで……。
好きではないのかと聞かれれば、はっきり否定出来る。
まだ好きだ。大好きだ。
でも……どんなに好きでも、もう耐えられない。
未だ、無意識に傷つけてくる貴方を信用出来ない。
果てしなく愛しているのに、一欠片も信用出来ない男と茨の道など歩けない。
妻となって、王妃となって、一生支え続けるなど、無理だ。
感情があるからこそ、……もう無理だ。
声を出せず、黙って首を縦に振ったマリアンヌを見たエドワードの顔が絶望に染まる。
愛しい彼女から明確に示された拒否が、まだ間に合うと思っていた気持ちを急速に萎ませ、すべてを打ち砕いた。
ぐうの音も出ない程叩きのめされ帰って行くエドワードの背中を見送ったのはアリアレインだけ……見えなくなった王子の背中に向けてぽつりと零す。
「せめて、好きだから嫌だと言えば可愛げもあるのに」
下らぬ建前など捨てて、ただマリアンヌが好きだからそばにてくれと跪いて請えば、まだ……零したアリアレインに、やっと顔を上げたマリアンヌは緩く首を横に振った。
「そんなこと殿下はおっしゃらないわ。それに、今更言われても、……もう信じられない」
エドワードが去った方を見つめ、切なそうに瞳を細める。
「……そうね、私も無理だわ。ごめんなさい、マリア」
「何故貴女が謝るの?」
「この話を貴女に持ちかけたのは私だもの。私がいなければ」
「あの日貴女に会わなかったら、私はここにいなかったかもしれない」
怖いことを平気で言う彼女の方を慌てて向けば、マリアンヌは少し頬を緩めてこちらを見ていた。
「心配しないで、アリア。私は私の意思で、殿下に見切りをつけた」
「マリア……」
「私が自分で、殿下と私を繋ぐ縁を断ち切った。それは誰に強制されたものでもない、私の意思よ」
貴女もそうでしょう?
笑って同意を求めた、緑の瞳から一筋涙が落ちる。
零れた涙は、未練ではない。
実らなかった恋へのはなむけ。
今も確かにある想いを抱いて、でも、私は貴方ではない人へ嫁ぐ。
想いは貴方だけに……。
それ以外のすべてを、これからゆく国の未来のために捧げよう。
「貴女の国は私に任せて。この国をお願いね、アリア」
静かに涙を落としたマリアンヌがひっそり国を離れたのは、それからすぐだった。
第一部完、といった感じでしょうか。
今更ですが、タイトルに王妃が入ってるのにここで終わるのは変なので、ちゃんと二人が王妃になるまで書こうと思います。