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第二話

ここからが新作です。













『そんなに嫌だったなら、もっとはっきり言ってくれれば良かったのに……』



 王太子エドワードが父王と公爵家に頼み込んで実現した元婚約者たちの最後の逢瀬。

 心底哀しそうな溜息と共に呟かれた言葉を鼓膜が捕らえた途端、エドワードの現婚約者として同席していたアリアレインは、目の前が真っ赤に染まるのを感じた。


 なんて……、なんて身勝手な!!


 溢れる怒気による目眩を堪えて隣のマリアンヌを窺えば、彼女は唇を戦慄わななかせた後、溢れる感情を抑えるように唇を噛んで、顔を俯けた。

 太腿の上で握りしめた拳の白さが、彼女が堪えているものを伝えてくる。


 ……ああ、よく判る。


 マリアンヌは何度も言っていた。それを嫉妬だ醜いと切り捨ててきたくせに、今になって、まるで何も知らなかった被害者のような顔で責められて……悔しさと情けなさで、なんと言葉を紡げば良いか判らないのだ。

 彼女の気持ちが手に取るように判るから、アリアレインは握られた拳の上にそっと自分の手を重ねる。微かに顔を持ち上げてこちらを見る緑の目はうっすら濡れていて、その目としっかり見つめて、静かに頷いた。



 アリアレインの胸にも、マリアンヌと同じものがある。

 アリアレインの最愛も、エドワードと同じことを言う。



 その様が簡単に想像出来て、一度強く唇を噛んだアリアレインは顎を持ち上げると、睨み付けるようにエドワードと対峙した。



 そもそも、貴方が最初に一言説明してくれさえいれば、無用な心配などしなかった。

 よしんば、距離の近さに嫉妬したとしても、何か一つ頼りに出来るものがあれば、そこに男女の情はないと信じていられたかもしれない。


 でも何も知らされないまま……気づいた時にはもう、貴方の隣には、あの女がいた。


 そこにいるのがさも当然のような顔をして、あの女は貴方を独占していた。

 しかも、周囲もそれが当たり前のことのように受け入れていて……。


 そんな景色を突然見せられたら不安を覚えるのは当然だろう?


 どういうことなのか知りたくて声を掛ければ、君には関係ない話をしているからと遠ざけられた。

 ならばと、二人きりの時に女の話題を振れば、心底鬱陶しそうな溜息で言葉を遮られ、友人のことにまで口出しするなと強く牽制された。



 歩み寄りの機会すら与えず、寧ろ奪っておいて……それでも貴方は、信じることが出来なかった私だけが悪いと言うの!?



 脳裏に溢れた情景は過去のアリアレインが見たもの。

 胸を支配したのはアリアレインが抱いた感情。

 マリアンヌのものとは違うかもしれない。

 ……でも、黙っていられない!!


 憎悪を込めて睨むアリアレインを、何故この場に貴様までいるのかという顔でただ鬱陶しそうに見てくるエドワード。

 その顔を絶望に染めてやりたいと思うのは、間違ったことだろうか?


 本来ならアリアレインの抱くそれは、オリバーに向けるべき感情で、エドワードは無関係。

 けれど、あまりに……、あまりに似ていた。




 無神経にマリアンヌを傷つけるエドワードは、アリアレインに国まで捨てさせた最愛、オリバーにそっくりだった。






◆◆◆◆◆






 アリアレインの元婚約者オリバー王太子は、正しく王子とも言うべき姿の金髪青い目のエドワードとは違い、小麦色の肌に黒い髪、切れ長のエメラルドの瞳をした、野性味溢れる凜々しい王子だった。

 エドワードを金獅子に例えるなら、オリバーはきっと黒豹。

 共に容姿は整っているが、第一印象に優しい温和な雰囲気を抱かせるエドワードの美とは真逆の、力強さを前面に押し出した美を誇るのがオリバーだ。


 アリアレインが心底惚れ込んで、人生を賭けても良いと思った相手。


 まもなく十八歳になるアリアレインと三歳年下の王子の婚約は、彼が生まれてすぐに整った。

 それにはマリアンヌに語った同盟の強化という理由以上に、オリバーの立場を保護するという意味が大きかった。


 彼は、現国王が四十間近になってやっと生まれた待望の、唯一の嫡出の王子なのだ。


 アリアレインの母国の国王夫妻は、王太子時代を含めて、二十年近く子宝に恵まれなかった。後継を憂う臣下は早くから側妾を持つよう王に勧め、実際何人かの女性が王の子を産んだ。

 しかし、何故かどの子も長く生きられず、このままでは遠からず王位を巡って無用な争いが起こる……と誰もが危惧していた中、やっと生まれたのが、オリバーだ。


 長年待ち望んだ王妃の子、しかも王子。

 彼の誕生に国中が祝福に包まれ、お祭り騒ぎになった。


 しかし、誰もがその誕生を両手もろてを上げて祝ったわけではない。

 手を伸ばせば届く位置まで王位が近付いていたのに、オリバーの誕生によってその夢が潰えた人物が確かにいることが判っていたから……国王夫妻と忠実な臣下は、彼を生かすために考え得るだけの策を講じた。


 そのうちの一つが、他国の王女の血も引く筆頭公爵家の子との婚約だった。血統、地位、資産、どれをとっても国内最強格の家を後ろ盾として用意して、生まれてくる子を守る算段をしていた。

 オリバーが王子だったためアリアレインと婚約を結んだが、万が一女児だったならば、アリアレインの兄が王配となる予定だった。


 そうやって結ばれた縁。

 アリアレインは物心つく前からずっと言い聞かされていた。


 オリバー殿下を愛し守りなさい、と。


 言われるがまま、アリアレインはオリバーをひたすらに愛した。

 <愛>が何かも知らぬ時から植え付けられたものだったが……幸いにもアリアレインは彼を、一人の男として好いた。

 殆ど一緒に育ったと言ってもいい二人は、幼い頃から仲睦まじく。

 母国では珍しい青い瞳を晴れた海の色と称え、何処までも真っ直ぐな長い黒髪にとても似合うと褒めてくれた彼を、本当に愛していた。

 彼以外誰にも心奪われることはないと無条件に信じられる程、愛している。


 でも彼は……違った。


 子供の頃から家族のようにそばにいた婚約者を、<女>として意識するのは難しかったのかもしれない。

 思春期を迎えたオリバーは、婚約者であるアリアレインを遠ざけて、学び舎で出会った同級生の伯爵令嬢を常にそばに侍らすようになった。互いに敬称抜きで呼び合い、彼女と特に親しい様を隠さない彼に、アリアレインははっきり傷ついた。


 ただでさえ自分と彼は政略で結ばれた婚約者で、三つも年上という引け目もある。

 しかし、彼が確実に王位を継ぐには公爵家の後ろ盾が絶対に必要だ。

 アリアレインの個人的な想いを抜きにしても、この婚約に綻びがあると思われるような行動は慎んだ方が良い。


 貴方の未来のために!!


 想いを伝えると共に、何度も忠告した。

 未だ危うい立場と婚約の意味を伝え、口頭でも手紙でも自制を求めた。

 けれど、アリアレインが必死になればなるほど、彼の対応も、周囲の視線も冷たくなる。

 いつの間にかアリアレインは学び舎で、オリバーが友人と話すことも許さない独占欲の塊のような婚約者と噂されるようになっていた。

 発生源の判らない誹りは、敵対勢力による攻撃であったのかもしれない。

 しかし、実際にアリアレインはそれに類する行動をとっている。

 政略の真実を知らず、噂だけを耳にした同世代の令嬢令息は、アリアレインを年下の婚約者を逃がさぬよう執着し、周囲を牽制してつきまとう女と信じてしまった。

 根拠のない噂を元にした冷たい視線に晒されても、アリアレインはオリバーを諫め続けた。


 愛しているから、心配している。

 愛しているから、他の女と親しくしているのを見るのが辛い。

 愛しているから、私以外の女を近くに置かないで欲しい。


 愛しているから……貴方を守りたい。


 しかし、アリアレインの嫉妬と横暴を原因にした婚約者たちの不仲の噂と比例するように広がっていくのは、オリバーの秘密の恋、真実の愛の話。


 寵愛する伯爵令嬢をアリアレインの嫉妬から守るため、王子は常に彼女をそばにおいている……。

 そこまでの愛があるならばいっそ婚約者を取り替えてしまえば……。

 いや、そんなことをすれば、それこそアリアレインはもっと暴走する……。

 相手は王家すら気を遣う筆頭公爵家の姫、王子といえども迂闊なことは出来ない……。


 お可哀想な、殿下……。

 お可哀想な、伯爵令嬢……


 憎たらしい、公爵令嬢!!


 アリアレインは、耳を塞いでも聞こえる話に精神を削られながらも、ひたすら唯一の愛と与えられた使命ために、耐えていた。

 しかし……この婚約を用意し、彼を愛せ守れと唱えた家族にすら呆れた顔をされたとき、心が折れた。


 詳しく調べれば件の伯爵令嬢は、オリバーの政敵である王弟に連なる家の子どもたちともつながりがある。何を企んでいるのか判らない、どうか彼女と距離を置いて欲しいと懇願した手紙を、何故か兄が持ってきた。


『アリア、何処からこんな情報を手に入れたのか知らないが、こんな真似しなくても、殿下の婚約者はお前しかいない。……まったく、ただの友人相手にここまで嫉妬するなんて、これじゃあ先が思いやられる』


 自分が書いた手紙を見せながら苦笑する兄の顔が歪んで見えたのは、羞恥のためか憤怒のためか、もう判らなかった。


 違う違う、そうじゃない!!

 ……いいえ、そう、嫉妬はしている!!

 それは認める。


 でも、それだけじゃない。


 巧妙に隠して、あの女はオリバー殿下の敵とも繋がりを持っている。それは嫉妬など関係ない事実なのだ。

 だから……!!


 迸る悲鳴は声にならず、蒼白になって震える妹をどう思ったのか、嫉妬も程々にしないと本当に殿下に愛想を尽かされてしまうよ……と、畳んだ便箋を手に握らせた兄は、子供にするようにアリアレインの頭を撫でて出て行った。


 それは間違いなく、アリアレインが彼に送った信書だった。

 なのに……兄とはいえ、彼以外に内容を見られ、窘められた。

 酷い屈辱に、その場に崩れ落ちて蹲る。


 それ程私はおかしなことをしているのだろうか?

 あの女が危険な存在に思えるのは、全部嫉妬のせい?

 私はただ愛と嫉妬に狂って、ありもしないものを見て、愚かな醜態を晒しているだけ?


 幼い日、婚約の意味をやっと理解したオリバーは、婚約者が大好きなアリアレインで嬉しいと言ってくれた。そして二人で、良き王に、良き王妃になって、ずっと一緒に国を守ろうと誓った。


 幼子の言葉を馬鹿正直に信じ続けた私が間違っていたのだろうか?


 もう何も信じられなくなって、溢れる出る涙を止める方法が判らなくなった。





◆◆◆◆◆





 数日後、折れた心を修復出来ないまま、アリアレインは学び舎の中庭で楽しそうに戯れるオリバーとその友人たちを少し離れた場所から眺めていた。

 その輪の中にはやはり彼女もいて……オリバーのすぐ隣に座った彼女は、時折彼の腕にしなだれかかったり、肩を叩いたりしながら、楽しそうに話している。

 幼い子ども同士ならまだしも、年頃の男女で、しかも王太子相手にあんな真似、婚約者であるアリアレインでもしたことがないのに……どうして彼女は誰にも咎められないのだろう?

 正直羨ましかった。

 アリアレインだって、許されるなら子どもの頃のように、オリバーとあんなふうに気安く話し、触れ合い、笑い合いたい。そうやって心の距離を縮めたい。


 ……でも、婚約者だから許されない。


 彼は王太子で、自分は筆頭公爵家の公女で、弁えるべき礼節がある。結婚して夫婦になるまでは、人前では節度を保った距離で交際を続けるべきなのだ。

 オリバーの地盤はまだ盤石ではなく、敵がつけいるどんな隙も与えてはいけない。

 そう思って婚約者のアリアレインが我慢しているのに、どうして他の女には許されるのだろう。


 それ程に、彼女は特別なのだろうか?

 長年一緒にいた私より、彼女が大切?


 ……そうなのだろう。


 いつか貴方は、自身の意志で、彼女を選び取るのだろう。

 そんなの、……辛くて耐えられない!!


 年齢的に大人の階段を上り始めたばかりのオリバーは、王太子という身分を抜いても麗しい魅力的な男性だ。

 ついこの間までアリアレインより小さかったのに、みるみる身長も伸びて、子供らしくふくふくだった腕も足も、鍛錬による筋肉がついて引き締まり、男らしい筋張ったシルエットに変わった。

 少し周りを見渡せば、そんな彼の一挙一動に頬を染める少女たちが多数いる。

 彼を好いているのは自分だけではない。

 こんなにも多くの人に愛される彼の心を、政略による婚約者というだけで縛り付けようとした、自分が愚かだった。



 どんなに必死に想っても、貴方と私の想いが重なることはない。



 納得して頷いたアリアレインは、深く息を吐いてから彼らへ向かって歩き始めた。


「アリー……」


 近付くアリアレインに気付いたオリバーが呟き。

 怯えるように彼の腕に縋り付いた女を見て、こちらを振り返った取り巻きたちが強張った顔を向けてくる。彼らはすぐさまオリバーと彼女を守るように立ち上がり、アリアレインとの間に壁を作った。

 その隙間からオリバーと縋り付いている女を見つめ、近寄れない距離が、彼との心の距離なのだと思うと辛かった。

 しかし、この距離が縮まることはもうないのだ。

 酷く悲しく思いながら精一杯の淑女の礼で、深く頭を下げる。


「何か用か?」

「殿下よりのご伝言、兄より確かに承りました」

「……そうか」

「今日まで数々のご無礼申し訳ありませんでした」

「判ってくれたのか」

「はい……もうわたくしが何かを申し上げることはございません。どうぞお心のままお過ごしくださいませ」


 最愛の貴方へ向けた別れの言葉を、泣かないように告げるのにはとてつもない力が必要だった。それでも言い切って、ゆっくり頭を上げる。


 彼は縋り付く女を守るように、腕を掴む彼女の手に自身の手を重ねて、こちらを見ていた。


 二人の親しげな様子に、ズキンと胸を裂く痛みが走る。


 ……やはり駄目だ。辛い。真面に見ると泣いてしまう。

 嫌、まだ駄目、まだ泣かない。


 必死に涙を堪えて、彼に向けるすべての愛を微笑みに変える。


 彼らへの祝福は、ちゃんと伝わっただろうか?


 確かめることも出来ずに、笑顔が崩れる前に即座に身を翻す。

 さようなら……と微かに唇を震わせて告げ、アリアレインはその足で父公爵の元へ行き、逃げることを許して欲しいと、床に伏して願った。


 幼い日からの彼への思慕を訴え、しかし、どんなに彼を想っても、彼の心は自分にはない。


 この婚約が覆らないことはちゃんと理解している。政略婚の清濁は判っている、が……。


 最愛の彼とあの女が愛を育む日々をただそばで見続けるのは辛い。

 物理的に距離を置いて、時間をおけば、この激情も多少はおさまるかもしれない。



 だから、私をあの人が見えない場所へ。

 あの人から見えない場所へ逃げさせて。



 壊れそうになって泣いて懇願する娘の姿に愕然としながらも、両親はすぐさま理由をつけて、アリアレインをこの国へと送り出してくれた。







 そしてアリアレインは、マリアンヌに出会った。











マリアンヌとアリアレインの愛称が、二つあるのは、意図的です。

『アリー』と『マリー』は二人が婚約者にだけ許した呼び方で、それ以外の人は『マリア』と『アリア』と呼ぶ感じ。

対比のため、わざと似た名前にしましたが、正直紛らわしいです、笑。


最後まで読んでいただきありがとうございました。

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