3. 聖女シャーロット
「───ジルティアーナお姉様」
顔を上げると、異母妹のシャーロットが立っていた。
いつもわたくしに冷たい義母イザベルや、厳しい態度の義姉ミランダは切れ長な瞳の美人。
そんな2人とは違い、性格は穏やかで顔も可愛く、アカデミーの中心的存在で誰からも好かれていた。
わたくしとは正反対で、羨ましくて惨めになってしまう……だから、家の外では彼女を避けていた。
(そうだ、シャーロットも居たんだった)
涙を拭いながら、必死に笑みを作る。
「さすがはシャーロットね。まさか本当に、聖女になるなんて、おめでと……っ!!」
精一杯、お祝いを言おうとしたけど、もう……限界だった。いつも比べられてきた。
『何故、ヴィリスアーズ家の次期当主はシャーロット様ではなく、ジルティアーナ様なのかしら?』
容姿も頭脳も性格も、シャーロットの方が優れているのに、ヴィリスアーズ家の血がジルティアーナにしか流れていない事が悔やまれる。と──。
それは今回の【成人の儀】で、さらに決定的になっただろう。
【聖女】──希少で上位の天職。
よりによって孫のジルティアーナではなく、クリスティーナ様の孫ではないシャーロットが【聖女】なんて……神様は残酷だ。
この国で【聖女】の天職は滅多に授かる事がなく、最後にフォレスタ王国で確認されているのは6年前に亡くなったクリスティーナ様だった。
わたくしの祖母であり様々な功績を遺した、元は王女であった【聖女】クリスティーナ様。
亡くなって6年経った今でも国民からの人気は絶大だ。 わたくしは異母妹のシャーロットとだけでなく、『聖女様の孫なのに…… 』と、お祖母様とも比べられてきた。それがまさかの、その異母妹が聖女を授かるなんて……。
対して、わたくしは【ロストスキル】──。
神様、わたくしは何をしたのでしょうか?
わたくしは貴方に嫌われるような悪いことをしたのでしょうか?前世で、とんでもない悪行を働いたのでしょうか?
「……っ」
シャーロットの視線を避けるため、ただ下を見つめると、既に乾いたはずの涙の跡がまた新たに浮かび上がっていた。
悲しみ、悔しさ、そして自分への情けなさが心を締め付ける。
その時、ふと視界の端にシャーロットの靴先が映った。
「……ジルティアーナお姉様」
そっと、シャーロットの手が頬に添えられる。ひんやりとしていて、思わず身がすくむ。
──やめて!
わたくしを見ないで!!
心の叫びが聞こえたのか顔を上げられる事は無かったが、頬に添えられた指が微かに震えている事に気付いた時、耳元でシャーロットの声が聞こえた。
「可哀想な、ジルティアーナお姉様……。
私が【聖女】という最高の天職を授かり、貴女はまさかの【ロストスキル】。
クリスティーナ様の唯一の孫娘だというのに……っ」
静かな部屋に、小さな笑い声が妙に響く──
「……ふふっ、いい気味だわ」
聞き間違い? そう思いゆっくりと顔を上げると、そこには見慣れてるはずのシャーロットの顔。
だが、それはいつもと違う表情。でも……この表情は知ってる。弧を描く唇に鋭い目付き。まるで……イザベルのような───
「シャーロット……?」
今、見ているものが信じられなくて、シャーロットの名を呼ぶ。
するとシャーロットの身体が震えた。
泣いているのではない、笑っている為に震えていた。
「ふ……っ、あはははは!!」
呆然とするわたくしを、シャーロットは冷笑する。
「ジルティアーナ、私ね。貴女の事が──だいっ嫌いなの」
何も言えないままの私を見下ろしながら、シャーロットは細めた目で続ける。
「【聖女】クリスティーナ様の孫娘であり、由緒あるヴィリスアーズ家の次期当主、ジルティアーナ様。
でも、家柄も、恵まれた豊富な魔力も生かせず、ただ自分の境遇を嘆くだけの、哀れなお姫様。お父様に──……本当にそっくりね」
彼女はそこまで言うと、くすりと笑う。
「でも……ふふ、見た目は似てないわね。
大した能力はなくても顔だけが取り柄のお父様。なのに娘のはずの貴女のその容姿! クリスティーナ様の美しいと言われたシルバーの髪色と違い、くすんだ灰色の髪。そばかすだらけの地味な顔。
よくもそんな顔でヴィリスアーズの姫を名乗れるわね。
なのに、駄目な所ばっかりお父様にそっくりで……ふふ、笑っちゃうわ!」
「シャーロット……何を言ってるの? なんでそんな酷いことを……」
「酷いこと?」
彼女はあざけるように笑う。
「みんな思ってるわよ? アンタが居ない所ではね。アンタが上級貴族、ヴィリスアーズの人間だから、面と向かっては言えないだけ。
だからね。私が、全部おしえてあげるわ」
シャーロットが、にこりと笑った。
いつもの優しいシャーロットの笑顔。──だからこそ、混乱する。
目の前に、居るのは……誰?
わたくしの知っているシャーロットは優しくて……。
「イザベルの実家は名ばかりの下級貴族。王族や上級貴族と接点なんてなかった。
お父様は本妻がいて、私たちの元に来るのは月に数回。
でもね、ある日お母様がこう言ったの。
『やっとあの女が死んだわ! これでローガン様の妻になれる。私達が上級貴族になれるのよ!』と」
──っ!
私は唇を噛み締めた。
イザベルが、アナスタシアの事を嫌っていた事は知っていた。でも、お母様が亡くなった時にまでそんな事を……?
「お父様のことは冴えない中級貴族か下級貴族だと思っていたの。
それなのにまさかの上級の中でも最上位とも言えるヴィリスアーズ家の当主だなんて……でも、やっぱり元は中級貴族の三男。偶然の連続で上り詰めただけ。そんな人が家を守れるわけないじゃない?」
シャーロットの言う通りお父様は元、中級貴族の三男だ。
貴族の婚姻は基本的に同じ階級で決める事が多いが、上級貴族は貴族の中でも一握りしかいないので、中級から嫁いできた方は今までだっていた。
しかしそれは通常第二、第三夫人の場合。
当主の正妻や、ましてや基本的には一人しか居ない女性当主の配偶者が中級出身というのは、前例が無かった。
お父様は、家を継ぐことができず、進路に悩んでいた頃にアカデミーでアナスタシアと出会い、恋に落ち、結婚した。──そう聞いている。
シャーロットは楽しげに話を続ける。
「でも、もっと凄いのはイザベルよねぇ。
貧乏な下級貴族の娘が、中級で裕福ではあっても自分の父親よりも年上の男に嫁ぐなんて。
それだけでは満足せず、その夫が亡くなった途端、上級貴族に成り上がった幼なじみの愛人になったり、最終的にはその上級貴族の正妻になるなんて……。私だったら、恥ずかしくて耐えられないわ」
わたくしの手が震える。お母様とお父様の結婚は愛があったからこそ結ばれたはずだった。でも、上級貴族の当主夫妻としての重圧に、お父様は押しつぶされ──そこでイザベルと再会した。
「上級貴族の当主だというのに、お母様の顔色ばかり気にして情けないローガン。
お金も教養もなくて、男に媚を売らなきゃ何も出来ないイザベル。
そんな人達にはもう何の期待もなかったけど、お父様には娘がいると聞いて会えるのが楽しみだったの。
元中級貴族のお父様とは違い、生まれた時から上級貴族として生きてきたヴィリスアーズ家のお姫様。
きっと、クリスティーナ様に似た、気品あふれる方だろうと思っていた。
でも……がっかりしたわ。こんな地味で内気な人だったなんて。
私より優れたところなんて魔力量くらいしか無いのにヴィリスアーズ家の血を引くと言うだけで私より優遇されるの? と思ったわ。でも……」
シャーロットがそう言いながら、天を仰いだ。
「神様って本当にいるのね……っ!」
目を潤ませたかと思えば、一転して喜びに満ちた顔になる。
「私の両親は中級と下級貴族。良い天職を授かれるか不安だったの。
なのに……ずっと憧れていたクリスティーナ様と同じ【聖女】になれるなんて!」
次の瞬間、シャーロットは破顔し、楽しそうに笑い出した。
「それにしても……まさか、元王女の聖女クリスティーナ様の孫娘であるはずのジルティアーナお姉様が……ぷっ! 」
肩を震わせると、抑えきれないかのように大声で笑った。
「あはははははッ!!
まさか、【ロストスキル】なんてね!!」
そう言ったシャーロットはわたくしを見て、にっこりと笑う。
「ご安心くださいませ。ジルティアーナお姉様。ヴィリスアーズ家は私、【聖女】シャーロットが、守って差し上げます。
だってヴィリスアーズ家は、【聖女】クリスティーナ様がいらした由緒正しき上級貴族ですもの。潰す訳にはいけませんわ。だから──」
そこでシャーロットの笑顔が消えた。イザベルがわたくしを見る時と、同じ目──。
ぞわり、と背筋が凍る。
「痛っ!」
シャーロットが私の髪を鷲掴みにした。
強引に顔を引き上げられ、至近距離から鋭い眼差しを突きつけられる。
耳元で囁かれた言葉は、呪いそのものだった。
「──消えなさい、ジルティアーナ。
ヴィリスアーズ家に【ロストスキル】なんてあってはならないことよ」
コトリ。
静かな部屋に、小さな音が響いた。
シャーロットが、ナイフを机の上に置く。
わたくしは、その様子をただ見つめることしかできなかった。
「【ロストスキル】だなんて、ヴィリスアーズ家はもちろんのこと、貴族として生きていけませんわ。
ずっと次期当主として生きてきたお姉様には耐えられないでしょう?
死ねばずっと会いたがっていた大好きなお祖母様に会えますよ。
あ、そうそう。エリザベスのことは私におまかせくださいませね? 彼女は優秀だし、エルフの力を持った貴重な人材。お姉様と違い、必要な者ですもの。【聖女】である私がしっかりと正しく使ってあげますわ。
では、さようなら。ジルティアーナお姉様」
くるりと踵を返し、シャーロットは部屋を後にした。
「……ステータス」
一人っきりになった部屋の中で、ぽつりと呟くと、目の前に半透明の青い板が現れた。成人の証であるはずの天職とスキル欄が埋まったステータス画面。
ずっと、このステータスを見ることが楽しみだった。
なのに。
「なんなのよ……これ」
天職の欄に記された文字を見た瞬間、わたくしの視界は滲んだ。
読めない。
これは、本当に“文字”なの?
記号のようにも、絵のようにも見える不思議な形が並んでいる。
天職は何千とあり、天職名は様々だ。
でも天職の名前は通常、短くて五、六文字だ。
けれど、わたくしの天職は──たった三文字。
そんな短い天職が、存在するの……?
スキル欄も同様だった。
成人の儀を受ける前までは空欄だった場所に、見たことのない奇妙な“記号”が並んでいる。
しかも、スキルの一番上は──たった二文字。
そんなスキル、聞いたことがない。
「……ヴィリスアーズ家なんて、もうどうでもいい」
でも、リズは……。
リズだって、次期当主でもなく【ロストスキル】のわたくしに仕えたって、何の得にもならない。
それならいっそ、【聖女】であるシャーロットに仕えたほうが幸せになれる。
そう思わなきゃいけないのに。
大好きなリズが幸せになれるなら、わたくしは喜んであげないといけない。
でも、わたくしにはそれが出来そうになかった。
わたくしの側から離れるだけでも辛いのに、【聖女】としてヴィリスアーズ家を支えていくシャーロットの横に、リズが居ることを想像しただけで耐えられなかった。
『──消えなさい、ジルティアーナ』
『──さようなら、ジルティアーナお姉様』
シャーロットの言葉が、頭の中でこだまする。
───わたしくはもう……消えちゃった方がいいのかもしれない。
スッと、ナイフを抜く。
白刃が、涙に濡れたわたくしの顔を映した。……酷い顔。
だけどもう、どうでもいい……。
もう何も考えたくない。もう
終わらせよう。
わたくしは手首にナイフの刃をあて──
一気に引いた。