331.オークは飛び、ロースト肉も飛ぶ!?
唖然と窓の外を見つめていた私の横に、エレーネさんがそっと立った。
くすくすと笑いながら、同じように外を覗き込む。
「すごい勢いで行ってしまいましたね」
「うん……止める間もなかったよ」
青空だけが広がる窓の外。ネージュの姿は跡形もない。
(どんだけ飛んでくの早いの……?)
しばらく外を眺めていた私は、諦めて視線を戻し、椅子にドサッと腰を下ろした。
「それにしても、偶然オークを見つけるなんて、それを捕獲するとは……。さすがはオブシディアン様ですね」
「えっ? オークって、普通に食べるお肉なんだよね?」
半分確認のつもりで言っただけなのに、エレーネさんは勢いよく首を振った。
「とんでもございません! オーク肉といえば、なかなか手に入らない“珍味”ですよ!」
「…………えっ?」
珍味?
普通じゃなくて、珍味なの?
(ちょっとリズさーーーーん!? 貴女が言ってたことと違うんですけどーー?)
心の中でリズに全力ツッコミを入れて固まっている私をよそに、エレーネさんは指を立てて説明を続けた。
「オークは見た目こそ可愛らしいですが、れっきとした魔獣です。ですが翼がとても小さいでしょう?
あれは翼だけで飛んでいるのではなく、風魔法を使って浮かんでいるのですよ」
「風魔法!?」
脳内に、オブシディアンに見せてもらったオークの姿がよみがえる。
豚っぽい丸いフォルムに、背中の“ちょこん”とした翼。あれだ。
(いやいやいや! あんな翼じゃ羽ばたいた瞬間に落ちるよ!?)
初見で思わず心の中でツッコんだ記憶が鮮明に蘇る。
──つまり、あれは飾り。飛んでたのは風魔法。だったら納得!
私が勝手にスッキリしている間にも、エレーネさんは話を続ける。
「オークは臆病なので、こちらから攻撃しない限り襲ってきません。
ですが空を飛び、風魔法まで使いますので、とにかく逃げ足が早いのです。捕まえるのは大変ですよ」
「へぇ〜……」
(あんなのんきな顔して、そんな高性能生物だったの!?
子ども向けアニメのキャラクターみたいなのに!)
呆気にとられつつ、私は疑問をぽつりと漏らす。
「でも……リズは“一般的な食用肉”って言ってたけど……?」
エレーネさんは苦笑した。
「エリザベス様はエルフですからね。弓も魔法も得意ですし、
人間族より空を飛ぶオークも捕まえやすいのでしょう。
ただ……オークを“一般的”と言えるのは、エリザベス様くらいかもしれませんね」
「……リズが、規格外だったってことね……」
力なく笑いながら思う。
(リズの“普通”は信用しちゃいけない……!)
私が胸の中で警報ベルを鳴らしていると、エレーネさんがふっと微笑んだ。
「オーク肉はとても上質です。脂が甘く、香りも良くて。
貴族はもちろん、王族でさえ好むほどですが……王族でも、そう何度も口にできるものではありません」
「へぇ〜……」
そんな貴重品、知らずに食べちゃったよ。
美味しかったけど……まさか“王族ですら滅多に食べられない”なんて!
すぐ近くから、レーヴェとステラのひそひそ声が聞こえてくる。
「そんなお肉を頂いたなんて……」「……信じられませんね……」
……いや、ほんとごめんっ!
エレーネさんは軽く咳払いし、言いにくそうに口を開いた。
「ただ……調理には注意が必要らしいのです。魔獣肉ですので、処理を間違えると風の魔力が残ってしまい……」
「残ったら……どうなるの?」
「ええと……その……お肉が、たまに“飛ぶ”んです」
「飛ぶの!?」
思わず椅子から半分立ち上がった。
(ちょっと待って!? 捌かれた肉の塊が飛ぶの!? どういう理屈!?)
エレーネさんは慌てて両手を振る。
「だ、大丈夫です! きちんと下処理すれば問題ありません!
ですが昔、料理人の間で“オークのローストが厨房から脱走した”という笑い話がありまして……」
「脱走!? ローストが!?」
(ホラー? コメディ? どっち!?)
頭の中で、黄金色のロースト肉がぷかぷか浮きながら逃げていく映像が勝手に再生された。
「……ローストが、脱走……」
私はまだ脳内で浮遊ローストを追いかけていた。
網を持った料理人たちが右往左往するカオス映像が延々とループしている。
(……ダメだ。想像すればするほど笑いそう……いや、怖い……いや、やっぱり笑いそう……)
エレーネさんは、私の葛藤を察したように苦笑した。
「今は正しい処理方法が確立されていますから、もうそんなことは起きませんよ。
ただ、“飛ぶ肉”の失敗談が残っているくらいには、扱いが難しい食材なのです」
「へ、へぇ……」
(そんな平然と言われても……こっちは胃がひゅんってしてるんですけど!?)
隣ではレーヴェとステラがそっと顔を寄せ合っていた。
「……飛ぶロースト肉、想像できません……」
「ですよね……でも、少し見てみたい気も……」
……だから興味津々な顔すんなってば!!
(気持ちはわかるけど! わかるけども!!)
思わず軽く頭を抱えた。




