295.残された秒針と決断の一滴
私はそっと瓶を持ち上げた。
掌にはまだ、確かに宿っていた力の余韻が残っていて、指先を通じて微かに伝わってくる気がする。
「……なんか、余ったのが勿体ない気がしてしまいますね」
レーヴェのぽつりとした一言に、思わず顔を向けた。
(……確かに。何かに使えないだろうか?)
考えるより先に、自然と口が動いた。
「──【解析】」
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【エリクサー】
絆の証から作られた霊薬・万能薬。
(効果)
ポーションで治せぬ病、深い怪我、古傷さえも癒す効力を持つ。
(品質)
対象者へ使用されたため、使用可能時間──残り498秒
※時間停止は不可能
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「……エリ、ッ!?」
目の前に浮かんだウィンドウを見て、思わず声をあげて口を押さえた。
エリクサー。
その響きに思い出すのは、あの「万能薬」。
私の感覚としては、ゲームや漫画の世界にしか存在しないはずのもの。
ゲームではHPもMPも、状態異常さえ癒せる貴重品──けれど、あまりに貴重すぎて結局最後まで使わず、クリア後まで残ってしまいがちなアイテムだ。
まさかこの世界で目にする日が来るなんて……。
「……ティアナ様? どうされたのですか?」
怪訝そうなリズの声に、慌てて振り返る。
「リズ……これ、見て……!」
「?」
首を傾げる彼女に、もう見せてしまうしかないと思った。
「ステータスオープン!」
私の声と同時にリズの視線もウィンドウへ。次の瞬間、彼女は目を大きく見開いた。
「……っ!」
同時に、私も息を呑む。
そこに表示されていた“品質”の欄──残り時間を示す数字が、確かに刻一刻と減っていることに気がついたから。
最初は五百秒近くあった残り時間が、いまは四百秒あまり。
397──396──395……。
秒ごとに、確実に。
「……ま、待って。これ……時間制限つき……!?」
喉が乾く。心臓が速く打ち始めた。
「……どうしよう……っ!」
声が震えた。
考えている猶予なんてない。
貴重なアイテムだ。本来なら切り札として取っておきたい。だが、このままでは……!
私は息を飲み、瓶の蓋に指をかける。
ポンッ、と軽い音が部屋に響いた。
「ティアナ様!? 何をする気ですか!」
リズの鋭い声が飛ぶ。
「いや……このまま無駄にしちゃうくらいなら……私が飲んじゃった方が──」
口元へ瓶を近づけた瞬間、リズの手が私の手首を掴んだ。
思った以上に強い力。瓶がかすかに揺れ、液体がきらめきを見せた。
「──ティアナ様」
真剣な声。名前を強く呼ばれ、思わず背筋が伸びた。
「は、はい!」
リズの瞳が真っ直ぐに私を射抜く。
「私に考えがあります。試してみたいことがあるのです。どうか──これを、私に託していただけませんか?」
戸惑いながらも、私はその必死さに押されて頷いた。
「……わ、わかったわ。どうぞ」
エリクサーを手渡すと、リズはその小瓶を迷いなくロベールさんの前に差し出した。
「え?」
不意に突き出された瓶に、ロベールさんは目を瞬かせる。
「飲んでください」
リズの声は低く、しかし揺るぎなかった。
「えっ……ちょ、ちょっと待ってください!」
エレーネさんが思わず声を上げる。
ステラも不安そうに首を振り、赤い瞳を大きく見開いた。
けれどリズは振り返らず、きっぱりと言い切った。
「申し訳ありませんが、説明している時間はありません。──早く、飲んで!」
彼女の声には一切の迷いがなく、命令のような迫力さえあった。
その気迫に押され、ロベールさんはごくりと喉を鳴らす。
「……は、はい!」
次の瞬間、ロベールさんは震える手で瓶を受け取り、覚悟を決めたように一息で飲み干した。
黄金の液体が喉を通ると同時に、部屋の空気がぴんと張り詰める。
淡い光がふわりと広がり、ロベールさんの体を包み込んだ。
「……っ!」
椅子に座っていたロベールさんは、そのまま崩れ落ちるように床にしゃがみ込む。
息が荒く、最初は喉元を押さえていたのに、やがて両手で右脚を抱え込むように掴んでいた。
「う……っ、ぐわっ!」
「ロベールっ!」
エレーネさんが心配そうにベッドから降り、夫の横に跪く。
金色の眩い光が収束し、ロベールさんの右脚へと集まっていく。
皆が息を呑み、ただその光景を見守るしかなかった。
「……嘘……」
エレーネさんのかすれ声が響く。
光が静かに収まったとき、そこにあったのは──
欠損していたはずの右脚。
信じがたい奇跡が、確かにその場に刻まれていた。




