274.朝の食卓、出来たての香り
朝の光が大窓から差し込み、食堂に静けさと清らかな空気を運び込んでいた。
白いテーブルクロスの上には光が斑に広がり、まだ残る夜の影をゆっくりと洗い流していく。
扉が開き、ヴィオレッタ様とフレイヤ様、そしてミランダお姉様が姿を見せた。互いに軽く挨拶を交わすと、三人は自然な動きで椅子に腰を下ろす。そのやわらかな仕草さえも、朝の静謐な空気に調和していた。
やがてオリバーとアンナが姿を現す。アンナは手際よくカートを押し、オリバーは淡々と魔道コンロの準備を進めていく。二人が深く礼をしたあと、卓上に鉄板が置かれた。金属の冷たい響きが一瞬、場の空気を引き締める。
最初に取り出されたのは厚切りのパン。
卵と牛乳、生クリームを溶き合わせた液体にじっくりと浸され、さらに削ったチーズと刻んだハーブが絡んでいる。パンを持ち上げると、すでにしっとりと重みを増し、表面にきらめく卵液が光を反射していた。
鉄板が熱せられると、バターを落とした瞬間に音が弾ける。
じゅわり、と油膜が広がり、すぐに乳と卵の甘やかな香りが空間を満たした。その中に混じるのは、チーズが熱でほどける香ばしさと、ハーブの清々しい芳香。香りの層が次々と積み重なり、空気そのものが料理へと変わっていくようだった。
オリバーは木べらを使い、パンを丁寧に押さえながら焼いていく。やがて裏面を返すと、黄金色の焼き目が現れ、ところどころにチーズがこんがりと焦げついていた。その模様はまるで細工のようで、見ているだけで唾が自然とわく。
焼き上がったパンは小ぶりに切り分けられ、皿へと並べられる。黒胡椒を挽き、横には薄切りのハムと瑞々しいサラダが添えられた。皿の上には緑、赤、金色が調和し、朝の一品にふさわしい清らかな調和を奏でていた。
ヴィオレッタ様がひと口運ぶ。
外は香ばしく、中はふわりと柔らかい。卵と牛乳のまろやかさが舌に広がり、チーズの塩味がそれを引き締める。後から追いかけるようにハーブの爽やかな香りが鼻へと抜け、余韻は軽やかで心地よい。
「……美味しい」と自然に言葉が漏れ、その瞳が驚きに輝いた。
フレイヤ様も続けて口に運び、思わず笑みを零す。
「香りが……すごいです」
その声は小さな囁きのようだったが、焼き立ての力強さを雄弁に物語っていた。
次に登場したのは、ベーコンを重ねた仕立て。
卵液を吸ったパンの上に薄切りのベーコンをのせ、さらにチーズを散らす。鉄板に置いた瞬間、脂がじゅわっと溶け出し、卵液をまとったパン全体に旨みが広がっていく。
肉の香りと卵の甘さが混ざり合い、鉄板から立ち上る蒸気が食堂を満たした。音は軽快なリズムを刻み、香りは一層濃厚で食欲を刺激する。
ひっくり返されたパンには、ベーコンの脂が艶やかに染み込み、香ばしさと肉の力強さが渾然一体となっていた。添えられたのは焼きトマト。赤く弾ける果肉が温かな汁を滲ませ、皿に鮮やかな彩りを添えていた。
「これは……香りだけで満たされそうですわ」
ヴィオレッタ様が静かに呟き、皿に手を伸ばす。
ひと口。噛んだ瞬間にベーコンの塩味と脂の旨みがあふれ、卵液の柔らかさと混ざり合って口の中いっぱいに広がる。後から焦げたチーズが香ばしさを加え、焼きトマトの酸味が全体を軽やかに引き締めた。
「ん……!」と短い感嘆が洩れ、自然にもう一口へと手が伸びる。
やがて食卓には甘い仕立ても並んだ。
卵液に砂糖を加え、じっくりと浸したパンを鉄板で焼き上げる。焼かれるうちに砂糖が淡く焦げ、甘やかな香りが漂う。仕上げに粉砂糖がふわりと舞い、白い霧のように表面を覆った。赤や黄色の果実が添えられ、皿全体が華やかな朝の花束のように彩られる。
「なんて美しいのでしょう……」
ヴィオレッタ様が小さく声を漏らす。
口に含めば、外は香ばしく、中はとろけるように柔らかい。砂糖の甘みが卵と乳の優しさに溶け込み、果実の酸味がアクセントとなって舌を喜ばせる。重さはなく、軽やかに心を満たしていく。
三人は顔を見合わせ、自然に微笑み合った。
「いつもは冷めたものをいただいていましたのに……」
「出来たてが、これほど心を弾ませるものだなんて!」
ミランダお姉様は静かに頷き、言葉を添える。
「朝の一皿で、気持ちは大きく変わりますのよ。良い一日の始まりになりますわね」
魔道コンロの青い炎はまだ小さく揺れていた。
皿の照り、粉砂糖の白、果実の彩り──すべてが朝の光と調和し、ひとつの絵のように美しく食卓を照らしていた。
料理の香りと温もりに包まれた空間には、言葉を重ねる必要さえない。ただ一口ごとに笑みが零れ、その温かさが心を満たしていった。




