273.朝を告げる湯気、彩りのお弁当
大きな羽釜の蓋を持ち上げると、ふわりと白い湯気があふれ出した。立ちのぼる蒸気は雲のように広がり、室内の空気を一気に塗り替える。甘くふくよかな香りが鼻先をくすぐり、炊き立ての米特有の瑞々しい芳香が喉の奥にまで届いた。
中をのぞけば、一粒一粒が凛とした姿で立ち上がり、艶やかに光を放っている。米の粒はふっくらと膨らみ、指先でつまめばはらりとほぐれそうでありながら、芯の通った張りを感じさせた。しゃもじを差し入れると、ほわりと白い湯気が立ち、甘く澄んだ香りが一層強まる。
「さあ……おにぎりにしましょう!」
声をかけると、場の空気は一層熱を帯びた。
用意された具材は彩りも豊かだ。梅干しは、ただ酸味を楽しむだけではなく、鰹節と醤油で和えた「梅おかか」に。赤みを帯びた果肉に鰹節の茶色が絡み、しっとりとした艶を宿している。口にすれば、まず梅の酸味が舌を刺激し、その後に鰹節の香ばしさと醤油の深みが広がるはずだ。
「鮭胡麻」は、鮭の身を丁寧にほぐし、金色に炒った胡麻をたっぷりと混ぜ込んである。胡麻の粒は光を弾き、鮭の脂をまとってしっとりと輝く。ひとつまみ指に取れば、香ばしい胡麻の香りがすぐに立ちのぼり、鼻腔をくすぐった。
陶器の小鉢には昆布の佃煮や刻んだ卵焼きが控え、ベル特製の塩も用意されていた。塩の粒は粗く、白い宝石のようにきらりと光り、ひとつまみでご飯の甘さを格段に引き上げる。
さらに今日の目玉は「スパムおにぎり」。厚切りのスパムを鉄板で焼くと、表面にじゅっと音が走り、油が小さな弾を打つように弾ける。焼き面にはこんがりとした焦げ目がつき、肉の脂がじわりと滲み出す。そこへ甘辛い醤油だれを絡めると、照りが生まれ、芳ばしい匂いが空気に染みこんだ。
「お弁当用は、昼まで持つようにしっかり塩を効かせて」
「はい!」
マイカちゃんは両手を濡らし、熱いご飯を受け取った。掌に伝わる熱気に小さく声を飲み込むが、両手でしっかりと包み込む。ご飯粒が指先にふれるたびに、ふっくらとした弾力が伝わる。まだ不慣れな手つきながら、指先で押さえる角度を工夫し、一生懸命に三角の形を整えていく。
「いい形よ。その調子で」
「次は梅おかかを!」
私も一つ手に取り、梅肉と鰹節を中心に忍ばせた。握る瞬間、ご飯の中から梅の酸味がふわりと香り立ち、鰹節の香ばしさが混じる。鮭胡麻は胡麻の香ばしさが鮭の脂と絡み、指の間からも香りが漂った。
スパムおにぎりは、俵型に握ったご飯の上に肉をのせ、海苔を帯のように巻く。肉の照りが光を受け、見栄えは弁当の主役にふさわしい存在感を放った。
リネンを敷いた弁当箱に収められていくおにぎりたち。白の輝き、紅の鮮やかさ、胡麻の金色、スパムの濃厚な照り。色合いの調和はまるで一幅の絵のようで、蓋を閉じる前から心を浮き立たせる光景だった。
「お弁当にはおかずも入れましょう」
アンナが準備していた鉢を持ち上げ、手際よく調理に移る。
まずは青菜と塩豚……じゃなくて塩オークの炒め物。鉄鍋に油が走ると、ぱちぱちと乾いた音を立て、立ちのぼる煙にオークの脂が混じる。火が通るにつれ、肉の旨みが青菜へと絡み、緑の鮮やかさを残したまま、艶やかに照りを帯びていった。
「これなら冷めても味が落ちにくいですわ」
続いて鶏の唐揚げ。衣は薄く、油に落とせばすぐに表面がふっくらと膨らむ。黄金色の泡に包まれて揚がる肉からは、じゅわりとした肉汁の香りが広がり、鼻孔を刺激した。
「骨は抜いてあります。食べやすいはずです」
「ありがとう、アンナ。……皆さまにも喜んでいただけるわね」
卵料理は二種類。甘めの卵焼きは層を重ねながら焼き上げ、切れば断面から淡い黄金色が輝いた。もう一方は、刻んだハーブを混ぜ込んだ薄焼き卵を細く巻いたもの。緑の斑点が黄色の地に映え、見た目にも食欲を誘った。
そしてじゃがいもの揚げ物。細長く切ったそれを油に落とせば、ぱちぱちと小気味よく弾ける音が響き、香ばしい匂いがあたりを満たす。揚がった端から油を切り、表面は黄金色の衣をまとい、噛めばほくほくとした甘みが広がるはずだ。
「塩は最後に軽く。おにぎりと重ならないようにね」
「はいっ!」
こうして──
・梅おかかと鮭胡麻のおにぎり
・スパムおにぎり
・青菜と塩オークの炒め物
・鶏の唐揚げ
・二種の卵(甘い卵焼きとハーブ巻き)
・じゃがいもの揚げ物
が整然と並び、色・香り・食感のすべてを揃えた弁当が完成した。箱の中を見やるだけで心が満たされ、外で開いたときの歓声が耳に浮かぶようだった。
やがて朝食の支度へ移る。釜に残ったご飯で小さなおにぎりを人数分。味噌汁には青菜と豆腐を浮かべ、湯気とともにやさしい香りを立ち上らせた。昨日の野菜を煮含めた小鉢と、皮目をぱりりと焼き上げた魚も並ぶ。
「朝は軽めに……けれど心が温まるように」
器を並べながら私はつぶやく。
マイカちゃんは卵液を流し込み、慎重に菜箸を動かして卵を巻いていく。焦げ目をつけすぎず、端を揃えて仕上げれば、ほんのりと甘い香りが漂った。
「いい香り。……綺麗に巻けてるわね」
「ほんとうに?!」
「ええ。きっと皆さま喜んでくださいますわ」
アンナの穏やかな声が、調理場に柔らかな空気を添える。
準備が整う頃には、屋敷の廊下に人の気配が満ち始めていた。弁当箱に並んだ料理を見やり、私は胸の奥に小さな誇らしさを感じる。
──甘さを添えるチョコレート。
──腹を満たすおにぎり。
──彩りを加えるおかず。
それらが揃い、今日という日の食卓を支える準備が整ったのだ。
「よし。これで万全ですね」
オリバーの言葉に、自然と頬が緩む。
窓辺から差し込む朝の光が銀糸のように輝き、湯気と照りを帯びた料理をいっそう美しく照らしていた。




