228.大好きの約束
「きゃっ!」「うわっ!」
突然腕を引かれて声を上げると、その声はレーヴェのものと重なった。
「ティアナ様、お兄ちゃん! ありがとう……!」
レーヴェと私の間に、勢いよく飛び込んできたのは──ステラだった。
私の腕をつかみ、そのままふたりの間に割り込むように。
ぱっと顔を上げた彼女は、満面の笑みを浮かべて私たちを見上げる。
「ふたりとも、大好きです!」
あの頃、幼さの残るかわいらしい少女だったステラは、この三年でぐんと背が伸び、髪も長くなった。
教壇に立っていたときのような、大人びた表情も増えてきたけれど──
私たちの前では、変わらず甘えた笑顔を見せてくれる。
そんなステラに、そんな無邪気な笑顔で「大好き」なんて言われたら……っ!
「私もステラが大好きよっ……! ずっとそばにいてね!
ステラがお嫁に行っちゃったら、私……泣いちゃうから!」
思わず、ぎゅっと抱きしめてしまう。
「えっ!?」
ステラが驚いた声を上げ、レーヴェは冷静に突っ込んだ。
「……話が飛びすぎですよ、ティアナ様」
「もちろん、ステラには幸せになってほしいのよ?」
私はステラを抱きしめたまま、むくれたように言い返す。
「先月の結婚式、とっても素敵だったじゃない」
その言葉に、ステラもふわりと微笑んだ。
「はい……エレーネさん、本当に幸せそうでしたね」
「ええ、そうだったわ。でも……エレーネさんがヴィリスアーズ邸からいなくなっちゃって、寂しかったの。
それなのに、いつかステラまでいなくなるのかと思ったら、私、耐えられないのっ!」
声が震えてしまい、ステラは少し困ったように笑いながら、そっと身じろぎした。
「ティアナ様……もし私が、いつかお嫁に行くことになっても──」
その言葉に、私は反射的に抱きしめる力を強める。
「行かないで……」
「ふふっ。でも……ティアナ様が私を必要としてくださる限り、私はずっとそばにいます」
「……本当に?」
「はい。約束です」
まっすぐに見上げながら、赤い瞳をきらきらと輝かせて、ステラはそう言った。
その笑顔があまりにもまぶしくて、胸の奥がきゅっと締めつけられる。
レーヴェはそんな私たちのやり取りを、穏やかな眼差しで見守っていたが、ふと一歩前に出て、ステラの頭に手を置いた。
「……だが、結婚するなら、それなりの覚悟を持った相手でないとな」
「え?」
「大切な妹を託すんだ。少なくとも、俺より強くて、信頼できる男でなければ認めるつもりはない」
「ええっ!? お兄ちゃん、それって……!」
ステラは目を丸くして、頬を赤らめる。
「そんなハードル高すぎだよ……っ。お兄ちゃんより強い人なんて、なかなかいないよ」
「なら、諦めろ」
レーヴェはあっさりと言い放ち、腕を組む。
その背後で、白いしっぽがぱたぱたと揺れているのを、私は見逃さなかった。
「……ふふっ」
私は思わず笑ってしまう。
ステラが少しずつ大人になっていくことは、きっと嬉しいこと。
でも──やっぱり、ちょっとだけ寂しくもある。
だからこそ。
「どんな道を選んでも、あなたが笑っていられるなら──私は、ずっと応援するからね」
「……はいっ!」
ステラは力強く頷き、そしてまた私とレーヴェの腕をつかみながら、にこっと笑った。
「でも、私が選んでいいなら──」
* * *
「──いいなぁ。みんな美味しそう……」
“今”のステラの呟きに、私ははっとする。
右手に持つワイングラスの中では、銀色の日本酒がゆらりと揺れていた。
ほのかに立ちのぼる独特の香りが、鼻をくすぐる。
「ああ、日本酒は美味い。これ単体でも十分旨いが──この生牡蠣との相性が抜群なんだ」
レーヴェが静かに言いながら、くいっとグラスを傾ける。
その様子を見ていたステラは、少し不満そうに唇を尖らせた。
「ふーん……よく分かんない」
その反応に、リズがやさしく微笑んで補足する。
「まぁ、説明だけじゃ伝わりづらいわよね。
でもね、お酒って“相性”があるの。たとえばこの日本酒と牡蠣のように、うまく組み合わせると、それぞれの味や香りが引き立ち合って、まったく新しい風味が生まれるのよ」
その言葉に、私はつぶやく。
「……マリアージュ。“フランス語”で……“結婚”」
「“フランス語”? それって、ティアナ様のあちらの世界の言葉ですか──って、ティアナ様!?」
私の呟きを聞いたステラがこちらを振り向き、驚いた声を上げる。
その瞬間、横にいたリズが素早くハンカチを取り出し、私の頬にそっと当てた。
「“結婚”って……まさか、一年前のエレーネの結婚式を思い出して、また泣いてるんですか?」
「それも、あるけど……その前に、ステラのはじめての教室のことを思い出して……そのあとの会話を……ステラがお嫁に行ったら寂しいって話したときのことを思い出しちゃって……」
私はリズが渡してくれたハンカチに、そっと顔を埋めた。
「ああ、あのときの……」
それを見たレーヴェが、呆れたようにため息をついた。




