221.やさしい味と確かな時間
日が傾きはじめ、街はやわらかな橙色に染まっていた。
通りには、長く伸びた影がゆらゆらと揺れている。
約束の時間までは、まだ少し余裕があった。
私たちは少し遠回りをしながら、のんびりと街の風景を楽しんでいた。
そんなとき──
「……この匂い」
レーヴェがぽつりと呟く。
その視線の先をたどると、角を曲がった先にステラの姿が見えた。
「あら、ステラ?」
「……あっ、ティアナ様!」
彼女もこちらに気づき、足を止める。
「お疲れさま。今日は早上がりだったの?」
「いえ、たまたま少し早く終わりまして……ティアナ様たちはエレーネさんの家に行かれたんですよね、エレーネさんはどうでした?」
「ええ。とても元気そうだったわよ。
お腹の赤ちゃんも、びっくりするくらいよく動いていて」
そう話すと、ステラの頬がふわりとゆるみ、やさしい微笑みが浮かんだ。
「……そうですか。よかった……」
その笑顔には、どこか懐かしさを帯びたあたたかな色がにじんでいた。
ちょうどそのとき、風がそっと吹き抜ける。
ステラの長いピンク色の髪が光をまとい、やわらかく揺れた。
私は、思わず息をのむ。
──ステラと出会ってから、もう四年。
その間で一番変わったのは、きっと彼女だ。
かつてのあどけなさを残した少女の面影は、もうほとんど見えなくなっていた。
今、そこに立っているのは──凛とした強さを秘めた、ひとりの“女性”。
外見の美しさだけではない。
話す言葉、立ち居振る舞い、誰かを想うまなざし──
そのどれもが、あの頃とは少しずつ違っていて。
でもそれは“変わった”のではなく、
“積み重ねてきた日々が育てた変化”なのだと思う。
私は、少しだけ誇らしい気持ちで、そっと彼女を見つめた。
「私も……エレーネさんに会いたかったな」
ふとこぼれたステラの言葉には、どこか名残惜しさがにじんでいた。
「次に行くときは、ステラも一緒に行きましょ」
「同じ街に住んでるんだ。またすぐ会えるさ」
リズとレーヴェが笑いながらそう言うと、ステラも嬉しそうに頷いた。
◆
「いらっしゃいませー! ……って、ティアナ様!? どうされたんですか?」
「もちろん、食事をしに来たのよ。
美味しい牡蠣が入ったって聞いて、それは逃せないと思って」
海辺のダンさんの食堂に足を運ぶと、出迎えたアンナが目を見開いた。
奥のカウンターから、ダンさんが顔を出す。
「おう、いらっしゃい! ティアナちゃん。
すぐ牡蠣を捌くから、ちょっと待っててくれ!」
「やったー! ありがとうございます!」
そんな会話を交わしたあと、カウンター近くの予約席に腰を下ろすと、
アンナが小皿を運んできた。
「今日はナスの煮びたしです。よかったらどうぞ!」
「わあ、ナスの煮びたし! いい香り……これは食欲そそられるわね」
リズもレーヴェも笑顔になって、「いただきます」とみんなで手を合わせる。
ステラも隣に座りながら、「こうして皆で外食って、久しぶりな気がします」と嬉しそうに言った。
木の香りが漂う店内に、あたたかな湯気と、笑い声が満ちていく。
外はすっかり日が暮れていたけれど、食堂の灯りはまるで、心そのものを照らすように感じられた。
──この食卓もまた、積み重ねてきた日々の証なのだと。
湯気の向こうに揺れるささやかな幸せを、私はそっと見つめていた。
「それにしても、ダンさんのナスの煮びたし……久しぶりですね」
ステラが嬉しそうに笑いながら、箸を動かす。
私はつい、頬が緩んだ。
「最初は、ちょっと苦手だったのにね」
そう言うと、ステラは目を丸くして、すぐに恥ずかしそうに頬を赤らめた。
「うぅ……ティアナ様、気付いてらしたんですね……」
「ふふ、もちろん。初めて出したとき、すごく微妙な顔してたもの」
「ナスの味が……ちょっと苦手だったんです。でも、ティアナ様とオリバーさんもそうですけど、ダンさんの料理って本当に美味しくてっ!
あのとき、ちょっと衝撃でした。煮びたしって馴染みがなかったんですけど、あのナスがあんなにやさしい味になるなんて」
「料理って不思議だよな。作る人によって、苦手だったものまで印象が変わるんだからさ」
レーヴェが感心したように言いながら、箸を進める。
あの頃より、ずっと食べる表情がやわらかい。
「ダンさんの料理って、食べた人の心までほぐれていく気がしますよね」
そう微笑むリズの言葉に、タイミングを合わせるように、厨房からダンさんが牡蠣の皿を手に現れた。




