214.リュミエール商会
「いらっしゃいませ!」
にこやかな声に迎えられて、一瞬、足を止めた。
小柄な赤髪の女性店員は、私の手元にある品に気づくと、ぱっとさらに笑顔を広げた。
「お客様、お目が高いですね。それ、新色なんですが、一度売り切れてしまって……。今日、ちょうど再入荷したところなんです」
「……ふうん。じゃあ、あなたのおすすめは?」
「えっ、私の……おすすめですか? うーん、全部おすすめです! 今なら全色そろってますよ」
少しがっかりしかけたところで、彼女は顎に指を添えて「でも……そうですねぇ」と考えるような仕草を見せた。
それから、棚からひとつのガラス瓶を手に取る。
「全部おすすめなんですけど……お客様の雰囲気には、こういうやさしい色がよくお似合いだと思います」
差し出されたのは、淡いピンクとラベンダーを混ぜたような、ふんわりとした色合いのジェルネイル。私が手に取っていたものとは違う。
思わず、口元がゆるんでしまった。
「あら、確かに素敵な色ね。私に似合うかしら?」
そう呟くと、彼女はうれしそうに頷いた。
「お似合いになると思います! 素敵な色ですよね。パールが入っているんですが、強すぎないので、普段使いにもできますよ」
私は瓶をそっと手に取り、光にかざしてみた。淡い液体が、光を受けてほのかにきらめく。
「塗ると、もっと綺麗なんです!」
ネイルに負けないくらい、彼女の瞳はきらきらと輝いていた。その様子を見て、「ああ、この子もおしゃれが大好きなんだな」と思わず頬がゆるんだ。
「よろしければ、お試しいただくこともできます! ……って、今もとても綺麗なジェルネイルをされていますね」
「ええ、だから試す必要はないわ。けど、気に入ったから──あなたのおすすめ、いただくわ」
「あ……っ! ありがとうございます!」
一瞬間をおいて伝えられた感謝の言葉。その声は、さっきよりも少し弾んで聞こえた。
彼女は頬を少し赤らめながら、私に似合うと言ってくれた色の小瓶を手に取り、レジへ向かおうとした。
「──待って」
「はい?」
足を止めた彼女に、私ははっきりと言った。
「それ、ひとつだけじゃないわ。あなたのおすすめ──新色をすべていただきたいの」
「……えっ? ええええええっ」
目を見開いたまま固まっていた彼女は、次の瞬間、慌てて棚に向かい、小瓶をひとつずつ丁寧に並べはじめた。 手つきが少し震えていて、戸惑いが隠せていない。
「えっと……新色、全部で十種類ありますので……」
ちらりと私の顔を見てきたので、にっこりと笑顔を返す。
「すぐに、ご用意しますっ!」
その必死な様子に、つい口元がほころんでしまう。
──可愛い子ね。まっすぐで。
彼女が入っていった店の奥から、微かに声が聞こえた。私はそっとそちらへ近づく。
それに気づいた別のスタッフが私に声をかけようとしたので、私は唇の前に指を立てて、静かにするようジェスチャーで合図した。
「お、すごいじゃないか。ひとりで売り上げたの、初めてじゃないか?」
覗くと、そこにいたのは、青髪をラフにまとめた、彼女と同じくらいの年齢の男性スタッフ。 二週間ほど前にも見た、彼の顔。けれど、こうして働いている姿を見るのは久しぶりだった。
彼はにこやかに彼女に近づき、手元にずらりと並んだ小瓶を見て、目を丸くする。
「……えっ、全色? これ、新色って……貴重な材料も使ってるから、けっこう高いぞ。大丈夫なのか……どんなお客様だ?」
「えっと……若い女性で……」
「……若い女性って……支払い、大丈夫なのか?」
「ネロくん」
私が名を呼ぶと、彼は一瞬ぽかんとした顔をして、それから二度見した。
「……えっ……え、え!? ティアナ様!」
「うふふ。ちゃんと頑張ってくれてるのね」
にやりと笑うと、彼は慌てたように言った。
「そりゃ、働きますよ! て、そうじゃなくて! なんで、こんなところに!?」
「“こんなところ”とは失礼ね」
わざとらしくじろりと睨むと、隣で事情が飲み込めていない店員の女の子が、きょとんとした目で交互に私たちを見ている。
「えっと……ネロ先輩とお客様は……お、お知り合いなんですか……?」
「ええ、昔からのお友達なの」
そう笑うと、ようやく店員の子にも少し笑みが戻った。 対照的にネロくんは、ずいぶん大きくなった手で顔を覆い、ぽつりとつぶやく。
「いや……お友達じゃないでしょ……」
「え!? お友達じゃないなんて、酷いっ!!」
私の抗議を無視して、彼は続けた。
「ニナ。この方は──この店のオーナーだ」
「──えっ?……ええええええっ!?」
赤髪の店員さん──ニナちゃんは、“全色欲しい”と伝えたとき以上に驚愕の表情で私を見た。
しばらく呆然としたあと、ふとネイルへ視線を移し、「あ……じゃあ、これは……」と、どこか寂しそうな顔でつぶやいた。
「ニナさん」
私が声をかけると、ハッと顔を上げ、笑顔を作って頭を下げた。
「ティアナ様! お顔を存じ上げず、大変失礼いたしました。私は今月から新しく入りました、ニナと申します。よろしくお願いいたします!」
「ええ、よろしくね。じゃあ、そのジェルネイル──プレゼント用に包んでくださる?」
「──え?」
「あれは、あなたの接客を受けて、購入を決めたの。 ちゃんと買うわ。大切な人へのプレゼントだから、よろしくね」
「ありがとうございます!」
頬を少し赤らめ、満面の笑顔でお礼を言い、彼女は丁寧に梱包の準備をはじめた。
それを見て、ネロくんは小さく息を吐く。
「お前まだ、プレゼント包装の合格もらえてないだろ。ちゃんとシエルさんに教えてもらいながらやれよ」
「はいっ!」
微笑ましくその光景を見ていると、背後から声がかかった。
「ティアナ様」
「シエルさん!」
先ほど私に声をかけようとしていたスタッフ──シエルさんだった。
四年前、はじめてウィルソールのフェラール商会を訪れた時、接客してくれたあの店員さん。 懐かしさとともに、自然と頬がゆるんだ。
相変わらず落ち着いた物腰で、けれど目元は少し柔らかくなったような気がする。
「お変わりありませんか?」
「ええ、シエルさんもお元気そうね。この店に……リュミエール商会に来てくれて、本当にありがとう!」
「やりがいのある仕事を任せてくださり、こちらの方が感謝ですよ……ねぇ、オーナー?」
わざとらしく“オーナー”なんて呼ばれ「オーナーはやめて」と口を尖らせて見せると、彼女は笑いながら、ニナちゃんの指導に入った。
代わりにこちらへネロくんがやってくる。
「先輩、お疲れ様。今日は午前中でお仕事終わりでしょ? いっしょに帰ろうと思って迎えに来たわよ」
「え? ……じゃあ、あのプレゼントって」
「うん。あなたの“お母さん”へのプレゼントよ」
私はにっこりと笑って言った。




