201.新しい塩、はじまりの粒
「……この白さ、美しいわね。自然の力でここまでできるなんて」
ミランダさんが感心したように皿を手に取り、指先でそっと塩の粒をつまんだ。
「ね、すごいでしょ? 【錬金術】に頼らなくても、ちゃんと作れたんです。ベルさんが本当に頑張ってくれたおかげなんですよ」
私は、ちょっと誇らしげにそう言った。
塩は、お金さえ出せば手に入る。けれど、それを惜しみなく買えるのは、この世界では貴族や裕福な商人くらいだ。
だからこそ、庶民の手で作れると証明できたことが、何より嬉しかった。
「これで保存食も、もっと作りやすくなりますね。干し肉や漬け物の味も、きっと安定します」
「料理の幅も広がりそうです! 塩味の料理はもちろん、塩を使った焼き菓子なんかも試してみたいですね」
アイリスさんの言葉に、オリバーさんが嬉しそうに頷いた。
私は、小さな声でつぶやく。
「……保存食かぁ。もっと美味しいの、作りたいわね」
「ティアナさま! もしかしてまた、何か面白いこと思いついたのかい!?」
ミーナが期待に目を輝かせてこちらをのぞき込む。その勢いに押されて、私は「まぁ……そのうちね」と笑ってごまかした。
でも、今はそれどころじゃない。本題は別にある。
ミランダさんたちが、わざわざこうして来てくれたのだから──先に話しておきたいことがあったのだ。
「ミランダさん、アイリスさん。
この塩、“体を癒やす”方向にも応用してみるのはどうでしょう? たとえば、スキンケア用品とか、肌に使えるものに」
「えっ……! そんな使い方があるの?」
ふたりが驚いたように目を丸くして、私を見つめる。
「うん。海塩には、ちゃんとそういう効能もあるんです。ミネラル成分が血行を良くしたり、肌を引き締めたりしてくれるの。もちろん、もう少し加工は必要だけど……バスソルトやマッサージクリーム、歯みがき粉なんかにも使えるかも」
「ちょっと、待って! アイリス、メモしてちょうだい!」
ミランダさんがそう言うと、アイリスさんは慌てて紙とペンを取り出した。
それを確認したミランダさんは、にやりと笑う。
「よし、続けてちょうだい。ティアナ、思いついたことを全部吐き出しなさい!!」
まるで取り調べでもするかのような勢いで迫ってくる。
──あの日、ミランダさんたちがオリバーさん一家と一緒にクリスディアを訪ねてくれたその日から、彼女たちは頻繁にこの街を訪れるようになった。
そして、ネイルの開発は順調に進んだ。
トップコートやベースコートはもちろん、さまざまな色のネイルカラーが生まれた。
その仕上がりの良さと使いやすさから、今ではフェラール商会の売れ筋商品にまでなっている。
ネイルカラー──それは、私が【錬金術師になろう】で持ち込んだもので、“ベースカラー”と呼んでいたのだけれど……
「ベースカラー、ベースコート、トップコートって呼び方がややこしい!」とミランダさんが言い出したため──
「それなら、別の呼び方にしましょうか?
他にも“ネイルポリッシュ”や“ネイルカラー”、“ネイルラッカー”っていろんな呼び方があるんです。“マニキュア”もいいけど、それは行為自体を指すこともあって……」
と私が説明し、最終的に爪に塗る色剤は“ネイルカラー”に統一されたのだった。
「あ、そうだ」と、ミランダさんの呟きが私の思考を現実へと引き戻す。私が顔を上げると、彼女は続けた。
「ネイルカラーのことなんだけど、せっかくだから“季節限定色”や“記念カラー”なんかを出してみるのはどう? 流行に敏感な女性たち、きっと喜ぶと思わない?」
「それ、いいですね! 春はピンク系、夏は涼しげなブルー……秋は深みのある赤、冬は雪をイメージしたホワイトとか。
そうなると、ラメやパールも欲しくなっちゃいますね」
「ちょっと! ラメは前に聞いたけど、“パール”って何なのよ!?」
「ちょ、ちょっと待ってください! メモ取りきれませんよっ!」
盛り上がる私たちに、必死で食らいつくアイリスさんが悲鳴をあげた。
私は早口にならないよう気をつけながら、さらに話を続ける。
「……あ、それと。塩の話に戻りますが、バスソルトにほんのり香りをつけるのもいいかも。ラベンダーとか柑橘系とか……癒やされる香り」
「それは素敵ね! 香りの種類で気分に合わせて選べるようにすれば、お客さまにもきっと喜ばれると思うわ」
……アイリスさんは黙々とメモを続けていた。
すると、オリバーさんがふと思いついたように口を開いた。
「塩の用途が増えるのは嬉しいけど、肝心の供給体制は大丈夫なんですか? 今のペースで、どれくらい作れる見通しがあるのでしょう?」
私は少し考えてから、頷いた。
「今はベルさんと、手伝ってくれている人たちで、安定して作れる体制が整いつつあります。ただ、大量生産となると……設備の強化が必要ですね」
「ふむ……となると、資金が必要ね。投資案件としてなら、フェラール商会でも前向きに検討できると思うわよ」
「わ、ほんとですか?」
思わず声が上ずる。ミランダさんはにこやかに笑った。
「もちろん! 塩を料理以外に使うなんて、考えたこともなかったもの。
“海から作った塩”を使った“これまでになかったスキンケア用品”──そんなチャンスを、フェラール商会が見逃すはずがないわ」
胸の奥が、ぽっと温かくなるのを感じた。
この塩が、ただの調味料にとどまらず、誰かの暮らしを少しでも豊かにできるものになる。
その可能性が、確かにここにある。
「じゃあまずは、バスソルトの試作からお願いできますか? 使いやすさと香り、どちらも大事にして……」
私の言葉に、ミランダさんがにやりと笑った。
「ええ、任せて。きっちり仕上げて、あなたを驚かせてあげるわ」
「試作品、できたらぜひ使わせてください。しっかり評価しますから!」
私の言葉に、ミランダさんはさらに意気込んで笑った。
「……ますます忙しくなりそうだわ」
アイリスさんが苦笑いを浮かべてぽつりと漏らすと、皆が笑い声を上げた。
ミランダさんも、アイリスさんも、ミーナも、オリバーさんも、そしてベルさんも──
クリスディアの塩が、今──確かに新しい物語を始めようとしていた。




