196.託す夢、託される未来
「……ある仮説?」
ミランダさんが目を細める。私はこくりと頷いた。
「はい。リズとエレーネさんに私のアイテム一覧を見てもらって、気づいたんです。──私の【錬金術】に残されていたアイテムは、“この世界でも再現可能なもの”なのではないかって」
「この世界で……再現できるのですか?」
アイリスさんが、小さくつぶやくように問い返す。
「たとえば、日本には存在しない、『錬金術師になろう』の中だけのアイテムは、すべて消えていたんです。
でも、瓶入りのマニキュアや練りチーク、オイル系のアイテムは残っていて……それって、つまり──」
「魔力や錬金術を応用すれば、この世界でも作れる可能性が高い、ということですね」
リズが簡潔に補足してくれた。さすがリズ、私が言うよりずっと早い。
「なるほど……“再現可能な技術”が優先されて、持ち込まれたのね」
ミランダさんは感心したように頷き、テーブルの上のマニキュアの瓶を指で軽く弾いた。
しばしの沈黙が落ちる。
みんながそれぞれ、目の前の小さな瓶を見つめていた。
──その静けさを破ったのは、ミランダさんだった。
「面白いわ。とっても」
その瞳には、まるで挑戦を前にした職人のような光が宿っていた。
「再現できる可能性があるのなら、やってみる価値は十分にあるわね。ティアナ、あなたの記憶と知識を頼りに、試作品の開発を始めましょう」
「はい!」
思わず背筋が伸びる。
私の知識が、この世界で生きる──その実感が、胸の奥を熱くしてくれた。
そんな私を見て、ミランダさんがふっと複雑そうな笑みを浮かべる。
「本当は、あなた自身にも商品開発に関わってもらいたかったんだけど……難しそうね」
「あ……はい。そうですね」
できれば関わりたい。そう思う。
だけど私は今、米作りと塩作りを同時に進めている。
米ができたら、それを使っておにぎりなど和食の文化も広めたい。
そこにさらに美容系の開発まで手を出すのは──さすがに、無理がある。
私は美容用品が大好きだ。
化粧品を見にデパートのコスメ売り場によく通っていたし、ネイルも趣味でやっていた。
もちろん、プロの施術を受ける仕上がりにはかなわないけれど、その技術に感動して、ネイルサロンにも通っていた。
あの空間の雰囲気が好きだった。だから、フェラール商会に行ったときも、とても楽しかった。
本音を言うなら、食より美容!
でも──
「私たちに、ネイルの開発を任せてもらってもいい?」
私の心の揺れを察するような声が、耳に届いた。
顔を上げると、そこには優しく微笑むミランダさんがいた。
「……ありがとうございます。
そうですね……やっぱり、私が直接開発に関わるのは難しいです」
私は目を伏せ、胸の奥にある気持ちをそっと押し込める。
「今、私が優先すべきは──領民の生活です。
美容用品は素敵だし、大好きだけど……贅沢品です。
まずは、お米を育てて、塩を安定して作って、それを使った食文化を根付かせたい。
誰もが、毎日を安心して暮らせるようにしたいんです」
言葉にするたび、少しだけ胸が痛くなる。
本当はネイルだってやりたい。化粧品も作りたい。
あの、美しく整えられた世界を、この国にも──この世界にも広げてみたい。
でも、それは「今」じゃない。
「……私の中では、優先順位がはっきりしています。
だから、この件は──ミランダさんたちに、お任せしてもいいですか?」
そう言って顔を上げると、ミランダさんが静かに頷いてくれた。
「……ええ。もちろんよ」
その声はとてもやさしく、
そしてその瞳には、私の想いをしっかりと受け止める、理解と尊重があった。
「あなたの気持ち、ちゃんと伝わってきたわ。だからこそ、私たちがやるの。──あなたの分まで」
「え……?」
「あなたが本当はやりたかったこと。けれど、今はできないからと諦めた想いを、私たちが受け取る。
あなたの情熱と願い、それがこの“ネイル”という文化のはじまりなのだから」
ミランダさんは、そっとマニキュアの瓶に触れる。
その手つきはまるで、誰かの夢を大切にすくい上げるような、やさしさと敬意に満ちていた。
「だから安心して。食の方に集中してちょうだい。
私たちは、美の方を──あなたの代わりに育てていくわ」
「……ミランダさん……」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「……ありがとうございます。本当に、心から嬉しいです」
「ふふ。任されたからには、手を抜けないわね」
ミランダさんが冗談めかして笑う。
その声には、どこまでも頼もしさがあった。
──きっと今、
私が手放した夢が、ミランダさんたちの手で、新しく芽吹こうとしている。
大切なものを手放すのは、少しだけ寂しい。
けれど、それを受け取って前へ進んでくれる人がいるなら──私はきっと、安心して任せられる。