182.ゆで卵と錬金術のレシピ
「……じゃあ、やってみますね」
私は、下級ポーションを初めて作ったときのセットを取り出した。
結局、『錬金術師になろう』式の【錬金術】が便利すぎて、あのとき一度きりで使わなくなっていた。
マジックバッグの奥に眠っていた魔導コンロと鍋を、久しぶりに火にかける。
鍋に井戸水を注ぎ、そっと卵を入れる。火を点けると、鍋底からぽこぽこと小さな泡が立ち始めた。
「火加減にもよりますが……沸騰してからだいたい七分くらいです」
「……ふむふむ。水から茹でるのね?」
「はい。水からでもお湯からでもいいんですが、それぞれメリットとデメリットがあります。
お湯から入れると、温度差で卵がひび割れたり、鍋にぶつかって割れたりすることもあるんです。
だから、お玉でそっと入れる方が安全ですよ」
説明しながら、私は菜箸で卵をくるくると転がす。
「……その動きは何かしら?」
「こうすると黄身が真ん中に寄るんです。見た目を気にしなければ、別にやらなくてもいいですけど」
「なるほど……」
ミランダさんは、まるで新しい魔法陣でも覚えるかのような集中した表情で、黙々とメモを取っていた。
「半熟なら六分くらいでもいいんですけど……今回はどうします?」
「……半熟?」
──うん、そこからか。
まあ、今日はおいしく食べてもらうというより、あくまで実験。ならば──
「せっかくなので、茹で時間をずらして、とろとろから固ゆでまで全部作ってみましょう」
ちなみに、今回使っている卵はオリバーさんから譲ってもらった特別なもの。 彼の知人が営む養鶏場から仕入れているというもので、以前も使わせてもらった。 クリスディアの屋敷で使っていたものより、味も色も段違いに良かった。
その話をしていたら、「じゃ、ルセルまで取りに行ってくる」と、オブシディアンが飛んで行ってしまったのだ。
──食いしん坊にも感謝、だね。
……でも、これからはどうするんだろ。マリーの弟さんに貰いに行くのかな?
そんなことを思いながら、私は一つ目の卵を時間通りに取り出し、すぐ冷水に落とす。
「これで完成です。これは早めに上げたので、かなりとろとろのはずです」
「とろとろ……?」
ミランダさんはまだ完全には理解していない様子だけど、興味津々な“圧”が視線から伝わってくる。
とはいえ、卵は6個。1分刻みで茹でる予定なので、いちいち殻を剥いたり包丁を使ったりする余裕はない。
とりあえず茹で作業に集中して、すべての卵を順番通りに冷水に取っていった。
──私のゆで卵実験は、静かに、けれど真剣に進んでいった。
すべての卵を茹で終え、冷水で冷やしたあと、順番に並べる。
見た目はどれもほとんど同じ。でも、中身は、まるで違う。
「……では、剥いていきますね」
丁寧に殻を剥き、真ん中から包丁で割る。
一つ目は、黄身がとろりと流れ出す“とろとろ半熟”。
二つ目は、しっとり半熟。三つ目でようやく中心まで火が通り始め……最後の六つ目は、しっかり固まった固ゆで。
「すごい……!」
ミランダさんの目が輝いていた。
「同じ卵でも、こんなに違いが出るのね……!」
「はい。茹で時間を少し変えるだけで、食感も風味もまるで違います。
それぞれ好みに合わせて調整できるんですよ」
ミランダさんは力強く頷き、呟いた。
「……これは、錬金にも応用できるかもしれないわね」
「えっ?」
「これまで素材の煮込み時間は、スキル任せの“感覚”で調整してきたけど……こうして一分ごとの差を見せられると、加熱の精度がどれだけ重要か、よく分かるわ」
「それなら……」
私も思わず声を上げた。
「煮込み時間だけじゃなくて、温度や手順も見直すといいかもしれませんね。
料理と【錬金術】は似てると思います。
ゆで卵はどちらでも良かったですが、料理では、食材に合わせて水から茹でたり、熱湯に入れたりするだけで味も変わりますし、栄養素が壊れるかどうかにも関わってきます」
──そう、私が『錬金術のレシピ』で読んだ、ミランダさんたちの【錬金術】のやり方は、まさに“ゆで卵方式”。
素材が何種類あろうと、鍋に一度に全部入れて、あとはスキルに頼るだけ。
でも、料理なら当たり前のように「火の通りにくいものを先に入れる」し、「煮る順番」にも意味がある。
なのに、【錬金術】はそれをまるで考慮していない。
「感覚ではなく、料理のように“温度”と“時間”で工程を見直す──
それができれば、成功率も品質の安定性も、大きく変わってくるかもしれません」