165.おにぎりと笑顔
私はそっと土鍋の蓋を開けた──ふわりと立ちのぼる湯気とともに、甘く香ばしいご飯の香りが、厨房いっぱいに広がった。
「わぁ……!」
感嘆の声が上がった。
粒が立ち、キラキラと輝く白いご飯。しゃもじで底から返すように混ぜて、蒸気を逃がす。
「うん、いい感じに炊けたわね」
その香りに、ミーナも思わず「これが炊きたてのご飯……」と、小さな声でつぶやいていた。
私はしゃもじを手に取り、ゆっくりとご飯をほぐしていく。湯気の中から、つややかに光る白米が顔を出す。
「よし。それじゃあ──おにぎり、握っていくわね」
「やったーー!!」
「おにぎりーっ!」
子どもたちの歓声が上がる。私はあらかじめ用意していた大きめのボウルに水を張り、手を濡らした。
「手が濡れてないと、ご飯がくっついちゃうからね。しっかり水をつけて、それから塩を少し指先に」
私は手本として、ひとつまみの塩を指先につけ、それを手のひらに馴染ませる。
それを見た【料理人】のふたりも、見よう見まねしていく。
「そして、手のひらにご飯をのせて──軽く、やさしく握るの。力を入れすぎず、ふわっと包み込むように転がす。三角の形を作るけど、崩れないように気をつけて」
「三角……意外とむずかしそうですね……」
アンナが真剣な表情で、私の手元を見つめながらつぶやく。ミーナは手のひらに熱々のご飯をのせた。
「っ……! これは熱いね。私はギリギリ耐えられるけど、【調理】スキルがまだ低いと、ちょっと大変かも」
「……えっ? うわ、熱……っ!」
アンナは思わず、ご飯を土鍋の中へ落としてしまった。どうやらかなり熱かったようだ。
──私が前回、おにぎりを作った時に感じたこと。
本来なら手に持つのも難しいほど熱い炊きたてのご飯を、私は平然と握ることができた。今もそうだ。熱さは感じるのに、やけどしそうな痛みはなく、手の上に置いていられる。
『おそらく【調理】スキルのおかげだろう』という考えは、どうやら正しかったようだ。
……ちなみに、後でミーナたちに聞いてみたところ、【調理】スキルを取得したばかりだと熱さに弱いらしい。でも、何度も料理を重ねていくうちに、自然と耐えられるようになるのだとか。
そんなわけで、ミーナは問題なく握れているが、アンナはまだ辛そうだった。
「ご飯が熱すぎて、握るのが難しいなら、少し冷ましたり、手を氷水につけたりするといいわよ」
日本では料理をする人なら知っている常識だ。料理番組の先生が軽くアドバイスするような気持ちで、私はそう言ったのだが──
アンナとミーナは驚いたように私を見てきた。
「……な、なに?」
「ティアナ様……すごいですっ! なるほど、冷ましたり氷水で手を冷やせば……!」
「あんた、よくそんなこと思いつくねぇ」
えっ、普通じゃない? むしろなんで思いつかないの?
……と思ったら、これも“優秀すぎるスキル”のせいらしい。
卵の割り方を片手でするのが当たり前になっていて、両手でのやり方を知らない【料理人】。スキルのおかげで簡単に出来てしまう。そのせいで、スキルのない人に教えられなかったという話もあった。
今回も同じで、「工夫して対処する」よりも、「熟練度を上げて耐える」のが、【料理人】たちの常識だったようだ。
──そんなやりとりを挟みつつ、私たち3人は次々におにぎりを作っていった。
「よし。じゃあ、みんなで……いただきましょうか」
「「「いただきますっ!!!」」」
一斉に声が響く。
少し遅れて、ミアちゃんのお母さんの「……いただきます」という静かな声も聞こえた。
“いただきます”という挨拶──。
素材採取の食事の時間に、私たちが言っていたのを子どもたちが見て、自然と真似するようになった。そして今では、それぞれの家でも行われるようになり、昨日の炊き出しでは、子どもだけでなく家族である大人たちにも広まっていたことを知った。
──そして。
おにぎりの、最初のひと口を頬張った瞬間、子どもたちの顔がぱっと輝いた。
「……んんっ! おいしーいっっ!!」
「ふわふわ! でももっちりしてるー!」
「……ぼく、もう一個たべるっ」
よかった……! みんな、おいしそうに食べてくれてる。
その笑顔を見て、私の顔にも自然と笑みがこぼれる。
エレーネさんをはじめ、大人たちもおいしそうに食べてくれている……と思いきや、アンナがひとり難しい顔をしていた。
「……口に合わなかった?」
「いえっ! そんなことありません! おにぎりはとってもおいしいです! ただ……私が作ったのと、ティアナ様のおにぎりがあまりに違いすぎて……」
アンナの前にあるおにぎりに目をやる。
そこには、私が作った、専門店のようにふんわりとしたおにぎり。そして、アンナが作った、ぎゅっと力の入ったうえに少し形が崩れてしまったおにぎりが並んでいた。
「初めてなんだから仕方ないわよ。私は何度も作ってるのよ? すぐに同じものが作れたら、それはそれでちょっとショックだわ」
「ティアナ様……」
私の言葉が、なぐさめのつもりだと伝わったのだろう。アンナは小さく笑った。
「ご飯の炊き方にも“コツ”があるけど……おにぎりも意外と難しいのよ。 力を入れすぎれば米が潰れるし、弱すぎても形にならない。お米が作れるようになったら、炊き方もおにぎりも、試行錯誤して、もっとおいしく作れるように頑張りましょ」
「……はいっ!」
今度は、心からの笑顔で応えてくれた。
私たちがそんな会話をしていると──
「おかわりーーっ!!」
ルトくんの元気な声が響いた。
「えっ! ルトもう食べ終わったのかよ!?」
「だっておいしいんだもん。みんなも早く食べないと、ぼくが全部たべちゃうよ?」
にやりと笑いながら言うルトくん。
「……なっ! 俺だって」
「そうはさせませんよっ! 私もおかわりです!」
ネロくんが言いかけたところを、エレーネさんが勢いよく遮るように言いながら、空になった皿を持ち上げた。
その様子に、みんなが笑顔になる。おにぎりを頬張る笑顔が、あちこちに広がっていく。
「大丈夫よ。おにぎりはたくさんあるから! 焦らずゆっくり食べてね。今日はおにぎり食べ放題よっ!」
私が叫ぶと、さらに大きな歓声が上がった。
炊きたてのご飯の香り。笑顔と、あたたかい声。
──こんなにも、たった一つ……いや、一つじゃないかもしれないけれど。おにぎりで、こんなに人を幸せにできるなんて。
そして、この幸せを、ただこの厨房だけで終わらせるのではなく……クリスディアの人々にも届けたい。
そんな想いを胸に、私はみんなの笑顔を見つめていた。




