158.ゴルベーザのご判断
兵士の報告に、部屋の空気が一気に張り詰めた。
「ゴ、ゴルベーザ様が……!?」
ベルさんが小声でつぶやく。
コルパはそれを聞いた瞬間、目の色を変えた。
「ほらな……言ったろ? ゴルベーザ様は、ちゃんと俺を守りに来てくれるんだよ。
お前ら、今のうちに態度を改めておけよ。後悔しても知らねぇぞ?」
私はその言葉を無視し、ちらりとクラース団長の方を見る。
彼は無言のまま、一度だけ小さく頷いた。
部屋の外、足音がこちらに近づいてくる。
床を打つ革靴の音は、騒がしくもなく、妙に規則正しかった。
そして──
「失礼するよ」
低く、よく通る声が部屋に響いた。
扉が開き、数人の護衛を従えて現れたのは、一人の青年。
年の頃は二十代後半。黒に近い濃紺の髪を後ろでまとめ、緋色の装飾が施されたロングコートを羽織っている。
その目は切れ長で鋭く、笑っていないのに、どこか余裕を漂わせていた。
「──ゴルベーザ・マニュール様でいらっしゃいます」
案内の兵士が緊張した面持ちでそう告げると、部屋の中の全員が反射的に頭を下げる。
私も少し遅れて頭を下げたが、彼の様子を観察するのを忘れなかった。
ゴルベーザは無言のままコルパに目をやり、その視線が次に、私へと向けられる。
その瞬間、空気が一段と冷たくなった気がした。
「……随分と騒がしい取り調べだな」
彼はゆっくりと部屋の中央まで歩いてきて、テーブルの前で足を止めた。
「コルパ。君が何をしたのか、簡潔に説明してくれ」
「ゴルベーザ様っ! 違うんです、俺は、ただ──」
「簡潔に、と言った」
その一言で、コルパはびくりと震える。
さっきまで威勢のよかった態度が、嘘のように萎んでいた。
私はその様子を見て、内心でため息をつく。
「……支給された上級ポーションを、ゴルベーザ様に献上いたしました。
それ以外は、何もしておりません。誠意を示したまでです」
ようやく絞り出したコルパの言葉に、部屋の空気が揺れる。
「ふうん……」
ゴルベーザは一つ息を吐き、テーブルに視線を落とす。
そして再び、その目が私へ向けられた。
「──ところで君は、誰だい?」
彼の問いは、試すようでもあり、ただの好奇心にも思えた。
私は一礼し、できるだけ丁寧に、しかし必要以上に腰を低くせずに答える。
「ティアナと申します。
いつも詰所の皆さまにお世話になっておりまして……本日はそのお礼にと、上級ポーションを寄付するためにお邪魔いたしました」
「……上級ポーション? もしや、前に兵団へ上級ポーションを8本提供したというのは──君なのか?」
……8本? 10本じゃなくて8本?
ちらりとテーブルの上にある上級ポーション2本を見てから、コルパに視線を移す。
コルパはあからさまに顔を逸らした。
「……はい。そのとおりでございます」
「なるほど、なるほど。立派な心がけだね」
そう言いながら、ゴルベーザはにこやかに頷いた。
だが、その表情はどこか上から目線で──まるで「よくできました」とでも言いたげな、“褒めてやってる感”が滲んでいた。
「ところで、そのポーションの件だけれどね。私としては、コルパの判断は間違っていないと思っているよ」
「……は?」
思わず聞き返しそうになるのを、ぐっと堪える。
ゴルベーザは、まるで芝居でも始めるかのように、ゆっくりと語り出した。
「支給品の使い道については、確かに規則がある。だが──その上には、忠義や信頼といった“見えない価値”があると思わないかい?」
彼は私を見据える。
どう答えるかで、“身の程”を試しているような視線だった。
私はわずかに視線を伏せ、言葉を選ぶ。
「……確かに、目に見えるものがすべてとは限りません。
ただ、命に関わる支援物資は、必要としている人のもとに届かなければ意味がないとも思います」
「うん、うん。良いことを言うね」
ゴルベーザは満足げに頷いたが、その言葉の意味を本当に理解しているようには見えなかった。
「だが、私は私のやり方で人を信じ、彼はそれに応えてくれた。それでいいじゃないか。
それに、この件をあまり大ごとにしてしまうと、かえって兵の士気にも関わる。……なにより、私の顔にも泥が塗られることになる」
そう言って、彼はさも“上手にまとめた”という顔で満足げに微笑んだ。
「だから、この件はこれでおしまい。コルパには、しばらく休暇を与えよう。……ね?」
部屋の誰もが、返す言葉を失っていた。
──この男、本当に自分の言ってることの重さが分かっていない。
けれど、それでも力がある。
理不尽を振りかざせるだけの、“名前”がある。
私は静かに、再び頭を下げた。
「……畏まりました。ゴルベーザ様のご判断に、異論はございません」
本当は色々と思うことはあるが、私は頭を下げ、声だけを丁寧に整えた。
──だが、ゴルベーザの“ご判断”は、そこで終わらなかった。




