152.少年の後悔
ぽたぽたと涙が落ちる。
心配しながら見ていると、隣に人の気配を感じた。
「──ネ……っ!」
『ネロくん』と呼ぼうとしたが、ネロくんが
人差し指を口に当てて、しーっと合図したので黙る。
少年の懺悔はなおも続いていた。
「……そのお貴族様がティアナさんたちで、運よく許してもらえたけど……一歩間違えれば、ネロはもちろん、ネロの家族まで危なかったかもしれない。殺されなかったとしても、腕を切られていたかもしれない。
そんなきっかけを作った俺をネロは恨むと思ってた。
なのに……あいつは恨むどころか、採取の仕事を紹介してくれた」
少年はおばあさんの手元の食事に視線を落とし、ぽろぽろと涙をこぼした。
「あいつが仕事を紹介してくれたおかげで、こんなに美味しいごはんを、何度も腹いっぱい食べさせてもらえた。素材採取のやり方を教えてもらえて、金だって稼げるようになった。なのに……俺は、また……。
俺はまた言ってしまったんだ。
『なんで俺たちが頑張ったのに、働いてないスラム街のやつらに、ご褒美を分けなきゃいけないんだ』って……
……俺は……ネロに顔向けできないよ」
少年の言葉が静かに終わると、少しの間だけ風の音が吹き抜けるように沈黙が落ちた。
そのとき、そっと──
「そうかい。……でも、顔をあげてごらん」
おばあさんに促され、少年がおそるおそる顔をあげると──
「俺はさ、お前のこと……恨んでなんかないよ」
静かな声が背後から届いた。
少年が振り向くと、そこにはネロくんの姿。
驚いて目を見開いた少年に、ネロくんはふっと優しく笑いかけた。
「お前が何言ったって、俺が自分で決めて、自分でやったんだ。それに──」
ネロくんが横にいる私へ、ちらりと視線を向ける。
「……何かしら?」と思った次の瞬間、彼はニカッと笑った。
「お前のおかげで、ティアナさんたちに出逢えたんだ。むしろ、感謝してるよ」
少年の唇が、何かを言いかけて止まる。
その頬には、涙の跡。
「でも……俺は、お前に……」
「スリをしたのも、バカだったのも、俺の責任だよ。だからもう、そんなに自分を責めんなよ。俺、仕事紹介したのも、お前がちゃんと働いてくれる信用できるやつだと思ったからだし……今も、友だちだと思ってるからさ」
ぽろりと、また涙がこぼれた。
少年は唇をかみしめ、声を震わせながら、小さな声で言った。
「……ネロ……っ。……ごめん……」
「いいって」
ネロはにっこりと笑って、少年の背中をぽんと軽く叩いた。
私はそっと彼らに近づく。私に気がついた少年はびくりと体を揺らしたが、ぐっと顔を上げると言った。
「 ……ティアナさん、ごめん。ネロが財布を盗んだのは、実は……俺が焚き付けたからなんだ……っ」
「そっか」
「やったことも、今まで黙ってたのも……本当にごめんなさい。俺、採取に参加するの、もう止めるから……っ」
そう言いながら、ぽろぽろ涙を流す少年に、そっとハンカチを差し出した。
少年にハンカチを渡しながら、私はそっと言葉を返す。
「……教えてくれて、ありがとう」
少年が顔を上げた。目は涙で真っ赤に腫れている。
「……怒らないの?」
「怒ってるよ。ネロくんを巻き込んだことも、ずっと黙ってたことも……本当は、すごく悲しい。でもね、それ以上に……あなたが自分で言ってくれたこと、勇気がいることだったって、ちゃんとわかってる」
私は静かに言った。
「悪いことをしたからって、すべてを失わなきゃいけないわけじゃない。むしろ、間違いに気づいて、謝って、変わろうとしてる今のあなたの方が、よっぽど強いと思う」
少年の唇が、かすかに震えた。
すると、おばあさんが穏やかな声で続ける。
「人は誰だって、弱さを持ってる。ましてや、このスラムで生きていくのがどれだけ大変か……私たち大人が、一番わかっているはずなんだよ」
おばあさんの目が、少しだけ鋭さを帯びた。
「本当に責められるべきなのは、こんな小さな子が『盗まなきゃ何も得られない』と思い込むような世界を作ってしまった、私たち大人の方さ」
その言葉に、私は背筋を正す。
「……本当はね、子どもたちがこんなに苦しまなきゃいけない社会なんて、間違ってる。みんながごはんを食べられて、ちゃんと笑えるようにするのが、大人の仕事なのに……」
私は少年の目を見つめた。
「だから、あなたの過ちをなかったことにはできないけど……それを背負って、これからどうするかを一緒に考えていきたい」
少年は両手で顔を覆い、また一度だけ泣いた。
でもその泣き方は、さっきまでのように自分を責めるものではなく、少しだけ心がほどけたような、温かい涙だった。
──この国を変える。
できることなら、そうしたい。でも、それは現実的ではないだろう。
でも、この街……クリスディアだけだったら?
領主である私なら、きっとできる。
いきなり全部は無理かもしれない。でも──
少しずつ、スラム街をなくしていく。
この街を、変えてみせる。
私はそのとき、心に深くそう誓った。




