149.すべての人のための食事
「ミアが幸せになれるように、頑張っていこうと思います」
その言葉とともに浮かべたのは──ロベールさんにとって、もう二度と見られないと思っていた、明るい笑顔だった。
ミアちゃんのお母さんは、まっすぐな目でそう言い切った。
「……そうですか」
ロベールさんは小さく呟き、穏やかに微笑んだ。
「──お母さんっ!」
ミアちゃんが駆け寄ってきて、お母さんの腕をぐいっと引っ張った。
「お母さん、白パンしか食べたことないでしょ? スープもすっごく美味しいんだよ! もう準備できたから、早く行こっ!」
「ちょっと待ってちょうだい。あれは子どもたちのものよ? お母さんは食べられないわ」
「──いえ、違います」
穏やかに否定したのは、ロベールさんだった。
お母さんは困惑したような顔で、ロベールさんを見返す。
「今日の食事は、子どもたちだけのものじゃありません。スラム街に住む、すべての人のための食事だそうです」
「……えっ。えええっ!?」
驚いているお母さんのもとへ、私も歩み寄り、そっと声をかけた。
「そうなんです。お母さんも、ぜひ一緒に食べてください」
その横を、すでに食事を受け取った子どもたちが笑顔で通り過ぎていく。
今日のメニューは、いつもの“ふわふわ白パン”と、“具だくさんのポトフスープ”。
栄養をしっかり摂ってほしくて、スープにはたっぷりの具材を入れた。
キャベツ、じゃがいも、ブロッコリー、にんじん、玉ねぎ、薄切りベーコン、そして鶏の肉団子。
本当は、ゴロッとした肉の塊を入れたかった。
でも、平民があまり慣れない大きな肉をそのまま入れてしまうと、かえって食べづらいかもしれないと思い──鶏の肉団子にしたのだ。
……いつか、そんな意識も全部、取っ払ってやれる日が来るといい。
戸惑うお母さんの鼻先を、子どもたちが持っていたポトフスープのいい香りが擽った。
ぐぅぅぅぅ~
お腹の音に、ミアちゃんがぱちくりと瞬きをし、それからくすっと笑った。
「……お母さん、お腹すいてるくせに」
「う……うるさいわね」
お母さんは顔を赤くして視線を逸らしたが、少しだけ口元が緩んでいる。
その表情を見て、私も自然と笑ってしまった。
「無理にとは言いません。けど、できればたくさん食べてほしいです。
疲れているときこそ、温かいものが体にも心にも染みるから」
「でも……」
お母さんは、視線を落としながら、ためらいがちに口を開いた。
「……お恥ずかしい話ですが、支払いできるお金が、手元にないんです」
「大丈夫です。今日の食事は──子どもたちから、家族への感謝の食事なんです」
「……え?」
「子どもたちが素材の採取を一生懸命手伝ってくれたおかげで、思った以上に成果が出たんです。
それで私は、みんなにこう伝えました」
私はミアちゃんとネロくんの顔を見つめながら、あの日の森での会話を思い出した──
「毎日、採取を頑張ってくれて本当にありがとう!
みんながたくさん頑張ってくれたから、予定より多くのお金が稼げたの。
それでね、お礼にみんなにお菓子を作ってあげようと思うんだけど……何が食べたい?」
「えっ! 本当に!?」
「やったー! お菓子なんて食べたことないよ!」
みんなが口々に喜び、「ご褒美は何がいいかな?」と楽しそうに相談し始めた。
そのとき、ミアちゃんがスッと静かに手を挙げた。
私はすぐに気づき、声をかける。
「どうしたの? ミアちゃんは、何か食べたいお菓子ある?」
みんなの視線がミアちゃんに集まる。
彼女は緊張したように、スカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「……あの、えっと……」
「だいじょうぶだよ。ゆっくり話してみて」
ステラがそっとミアちゃんのそばに来て、優しく手を握った。
ミアちゃんは少し驚いたように目を見開いたが、すぐにその手を握り返し、顔を上げた。
そして、大きな声で言った。
「わたしは……っ! お菓子はいりません。私にお菓子をくれなくていいから……それよりも……スープが欲しいです!」
場が静まり返る。
誰かがぽつりと呟いた。
「……スープ? スープなんて、毎回白パンと一緒にもらってるじゃん」
その言葉に、ミアちゃんはハッと顔を上げ、あたふたと口ごもった。
「えっと……そうじゃなくて……」
おろおろとするミアちゃんに、ステラが手を握ったまま、顔を覗き込むように言った。
「分かったよ。……ミアちゃんは、いつもここで飲んでるスープを、お母さんにも食べさせてあげたいんだよね?」
「……っ! うん!」
パッと顔を明るくして返事をするミアちゃん。
私はゆっくりと問いかける。
「……お母さんに、食べさせたいの?」
ステラがそっと背中を押す。
ミアちゃんはもう一度、まっすぐ私を見て言った。
「いつも美味しい食事をありがとう。ティアナさんのごはんはいつもおいしいです。
お土産にもらったパンも、いつもお母さんと一緒に『おいしいね』って言いながらおうちで食べてます。
でもお母さんに、スープ食べさせてあげたいの。
お母さん……自分だってお腹が空いてるはずなのに、いつも食事を私に多くくれるの……。
私、お菓子はいらないから……一度だけでいいの。私のスープを……ここで飲まずに、お母さんに持って帰っちゃダメですか?」
最後の言葉には、涙が滲んでいた。
その言葉に、周りの子どもたちも、ぽつりぽつりと声を上げ始めた。
「……そうだな。俺も、家族にスープを飲ませてやりたい」
「でもさ、スープって……持って帰るの、けっこう難しいんじゃない?」
「えー、やっぱりお菓子が食べたいよ~」
私はミアちゃんの瞳をまっすぐ見つめながら、ゆっくりと口を開いた。
「スープを、そのまま持って帰るのは……やっぱり、ちょっと難しいかもね」
「……そう、だよね」
ミアちゃんは、しゅんとしたようにうつむいてしまった。




