(70)プロポーズ
レオンの凄み方はまるでどこぞのチンピラの様であったが、それでも私はレオンがこうして約束した通りに助けにきてくれたことが嬉しくて嬉しくて、思わずレオンの胸にぽてりと頭を付けてしまった。
途端、般若の様な表情のアルフレッドが目に飛び込んできたではないか。
「ひっ」
小さな悲鳴を思わず出すと、レオンがポンポンと私の頭を撫でた。途端に肩の力が抜けるのだから、おかしなものだ。
「俺とナタが婚約したら、もうお前達とは関わらない。だからもう放っておいてくれ。それを宣言しに来たのに、お前の婚約者はいないし俺のナタを勝手に自分のものにしようとしてるし、お前は一体何様だ?」
レオンが、苛立たしげにアルフレッドに向かって言った。どうも、レオン達はアンジェリカをこの場に呼ぶことを要求したらしい、とその言葉から分かった。
レオンがウルカーンの王子だったことは勿論知らないし、私がレオンと婚約する筈だったという話も勿論聞いたことはなかったが、これが昨日レオンが言っていた「はいと言え」という作戦のことなのだろうと私は推測した。
こんなことを国家間の会合で言って取り返しがつかなくなるんじゃないか、とも思ったりはしたが、何よりもまずは王城から脱出するのが先決であろう。ならば、ここはこの流れに乗って波に乗り切りそのままの勢いで外に流れ出るしかない。
レオンが、父の隣ににこやかに座っているナッシュに指示を出す。
「ナッシュ、あれを」
「はい、殿下」
どう考えてもかなりの軍部高官としか思えない軍服を着用しているナッシュが、がさごそとビロードの様な布に包まれた一通の丸められた書状を取り出した。
レオンとナッシュの黒い軍服は、ウルカーン王族の色にあたる。この国では王族直属の軍は王国騎士団と呼ばれるが、大国ウルカーンでは禁軍と呼ばれており、有事の際には国軍の上に立ち指揮をすることも可能となる。いわばエリート中のエリートで、その禁軍の軍服の色が黒なのだ。
そして、レオンが身に付けている飾緒は、禁軍トップの総司令官の証である金色。ナッシュが身に付けている銀色は、その次職を表す。
つまり、ナッシュは禁軍将軍だ。間違っても、お忍びの王子の護衛やらパシリやらをするような立場の人ではない。ましてや、お喋りを理由に家に入れないとか、一体どんな立場だ。だが、ナッシュは確かに強いらしい。禁軍には若くとも優秀な人間を集めているらしい、とは噂で聞いたことがあったが、となると、その噂は事実だったのか。
ナッシュはテーブルをぐるりと回ってくると、黒い紐で結ばれている書状をレオンに差し出す。丁度アルフレッドの影になった時に私にウインクをしてきたから、やはりこれはナッシュ本人だ。
こいつ、立場向上がどうとか言っていなかったか? 大国の禁軍将軍がこれ以上の立場向上なんて、一体何を求めているんだろうか。いや、でもレオンの人使いはそこそこ荒そうだから、そういう意味の立場向上かもしれないな、と私は思い直した。
私が半ば混乱しつつもレオンが書状の黒い紐をするりと解くのを見守っていると、丸められた書状がゆっくりと広げられた。レオンはそれを私に見せつつ、少し済まなさそうに言う。
「これの準備に時間がかかってしまってな、お前を迎えに来るのが遅くなった。――悪かったな」
「これ……」
上質な皮紙の縁には金色と黒の美しい模様が描かれており、中央には簡素な内容が記載されていた。
「親父が丁度地方へ視察に出かけていてな、一箇所にじっとしてないもんだから、ナッシュも親父を捕まえるのが大変だったらしい」
「放浪癖があるのは親子一緒なのね」
「まあ、そうとも言う」
私が思わずつっこむと、レオンは楽しそうに笑った。私は、改めて書状の中身を読むことにした。
『ウルカーン王国王太子レオン・ホークス
イシス王国公爵令嬢ナタ・スチュワート
両名の婚約をここに認める
ウルカーン王国国王 フェルナンド・ホークス
イシス王国公爵 ゴードン・スチュワート』
ウルカーン国王のサインと思われるものと、これはもう絶対父のだと分かるサインが入っていた。あと、レオンの名前のところにはレオンが書いたと思われるサインもある。私のところだけ、未記入のままだ。
――これ、本物じゃないか? 私が驚きの表情でレオンを見上げると、レオンはいつものあのいたずらっ子の様な表情で私を見下ろした。口の端が我慢できない様に小さく上がっている。え? ええ?
レオンは書状を今度はアルフレッドの方に見えやすい様に向けると、見下すような表情でアルフレッドに言った。
「お前がナタを勝手に連れ去って監禁しちまったんで、ナタのところだけサインがないんだよ。だから、ナタが今ここでサインをすれば無事に婚約成立ってことだ」
「ナタ様、こちらをどうぞ」
ナッシュが、私の前にペンとインクを置いた。え? ええ? これは、今サインをしたら、本気でレオンと婚約してしまうんじゃないだろうか。いやだってでもレオンは王子で、ええ?
私が明らかに混乱しているのが分かったのだろう、レオンは私に向き直ると、私の前で片膝をつき、いつぞやの街角の時と同じ様に、私の手を取り愛おしそうに見上げた。
「ナタ。――必ずや、ナタを守ると誓おう」
あの時と同じ台詞だった。これはお芝居な筈だ。なのに、私の胸は馬鹿みたいに高鳴る。
思わず、演技を忘れて尋ねてしまった。
「嘘、嘘よ、だって」
「嘘じゃない。俺はナタに嘘なんてついたことは一度たりともないぞ」
「でも、だってこれ……」
今ここでサインをしたら、レオンに迷惑がかかるのではないか。その不安がどうしても消えてくれない。
すると、私の背中を後押しする様に、レオンが私に告げた。
「じゃあ、これなら信じてくれるか? ……あー、ナタ」
「な、なに」
もう地が出てしまっているが、私の脳みそはすでにパンク気味だったので、周りの様子ももう全く見えなくなってしまっていた。今この瞬間、この世界には、レオンと私しかいない。
「心から愛している。これからも、俺と一緒にマヨネーズを作って欲しい」
「あ……っ?」
レオンの頬が、赤くなっているじゃないか。あ、あ、愛しているって? いや確かにレオンは私のことをあれかなー、とは思っていたが、嘘はつかないってことは、これはもしかして本当の……プロポーズ?
すると、レオンは更に続けた。
「お前の料理ももっと食べたい。あれは本当にうまい。もう俺の胃袋はお前にしか満たせない」
少しずれてきた気がしないでもないが、でもなんだかこの方がレオンっぽくはある。私が少し笑顔になると、レオンの顔にも笑みが浮かんだ。
「お前が自由でいられるように、俺は最大限の努力をする。お前が泣いたら、お前が笑顔に戻れるようなんだってしてやるから、だから」
レオンはスーッと息を吸うと、言った。
「俺と結婚してくれ、ナタ」
レオンは、照れくさそうな目を私に真っ直ぐ向けたまま、私の手にキスをした。私の目から、ボタボタと涙が落ち、レオンの手の上にも落ちていく。
「返事を」
どうせなら、格好良く決めたかった。だけど、私の涙腺は崩壊し、ついでに鼻水も溢れてきてしまい、出てきた言葉はこれだった。
「ふあい……ふあいいいいいっ」
情けなし、マヨ令嬢。でも、レオンは笑顔のままだったから、これでよかったのかもしれない。レオンがポケットをガサゴソしている間に、ナッシュが私にハンカチを渡して寄越した。レオンはいつもハンカチを持っていない。おかしくなって、私はハンカチで涙を拭いながら笑ってしまった。
「ふふ、レオンてばいつもそうなんだから」
「どうも毎回忘れるんだ」
「レオンらしいわね」
レオンが立ち上がると、私の手にペンを握らせる。期待するような、少し興奮したような目で私を見つめた。
「ナタ、サインを」
「――はい」
私がインクに手を伸ばそうとした、その時。
バンッ!! と机を叩く大きな音がし、私は思わずビクッとしてしまった。レオンが咄嗟に私を背中に庇う。そう、アルフレッドから。
「僕は……僕はこんなの認めないぞ!」
ふうー、ふうー、と肩で荒い息をしたアルフレッドが、鬼の形相で私達を睨みつけていた。
残りあと3話となります。
次話は8時頃に投稿します。




