(65)格子越し
私の言葉に、レオンは低い声で言葉を紡ぐ。
「……何の価値もない? お前は一体何を言ってるんだ?」
レオンが、ぼそりと尋ねる。泣いているから、喉がきゅっと詰まった感じで痛いが、ちゃんと言えばきっとレオンは納得してくれる筈だ。アルフレッドとは違い、レオンはいつも私の話をちゃんと聞いてくれるから。
私は、しゃくりあげそうになるのを必死に堪えつつ、レオンに伝えることにした。
「私には、何の価値も残されていない。いつも、アルフレッドが私にそう言っていたから、だから」
「ナタ、そんなことを言わないでくれ! あの鼻毛王子の言うことなんて、信じるな!」
私の言葉に被せる様に、レオンが苦しそうに言う。レオンの青い瞳に、星の小さな明かりが反射して、まるでレオンの目の中に星がある様だ。
「で、でも」
離さないといけない。だけど、手が離せない。離したくないのは、私の我儘だ。
レオンが、私の指に頬を寄せる。
「お前は俺にとって、なくてはならない存在なんだ。無価値なんかじゃ、絶対にない。だからこうして危険なのを分かっててここまで来たんだ」
「レオン……」
「頼む。お願いだから、俺を突き放す様なことを言わないでくれ」
それは、前にも言われた言葉だった。ああもう、涙腺は完全崩壊だ。きっと明日には、瞼がパンパンになっているに違いない。
「それにな、約束しただろ? マヨネーズが完成した暁には、俺のことを話すから聞いてくれって」
「え?」
私が驚いてレオンを見つめると、レオンが顔を上げ、片手で腰の辺りから小瓶を取り出した。そして、スプーンも。
「ええ?」
「ホルガーと完成させたんだ。俺達は真っ先に試食したが、これがお前が求めているものかどうかの確証がなくてな。最終判断はお前に託す」
レオンはそういうと、格子を握る手の親指で瓶を固定し、蓋をポンと開け、スプーンを取り出した。透明の小瓶には、きれいな月の様な色のものが入っている。レオンはスプーンを小瓶に入れようとし――。
「あれ、入らない」
「ちょっとちょっと」
小瓶の口の大きさが、スプーンの幅よりも狭いのだ。こんな時だというのに思わずツッコミを入れてしまっても、これはさすがに勘弁してもらえるに違いない。
思わず、口角が上がった。
「ぷ……っレオンってば、そういうところがいかにもレオンよね!」
「おい笑うな、始めはもう少し大きい瓶に用意してたんだけどな、ポケットに入らなくて、それで急遽小瓶に移した所為だからな!」
ちょっと照れた様な怒った様な表情のレオン。この顔も、ずっと見たかったやつだ。
「ふふ……あははっこれじゃ食べられないじゃないのよ!」
おかしくておかしくて私が笑い続けると、レオンはまた口を尖らせる。
「そんなことはない、絶対に食わせてやる」
「――え?」
まだ笑いが止まらない私にレオンはそう言うと、小瓶に人差し指を突っ込み、それを格子の向こう側から私の前に突き出した。
「ほら、遠慮なく食え」
「え……いや、あの、これはちょっと……」
私の笑顔は引っ込むが、レオンは容赦してくれなかった。
「大丈夫だ、ここには俺とお前の二人しかいない。他の奴は見ていないから」
そういう問題じゃない。なのだが。
「……うまいと思うぞ?」
いたずらっ子の様な目つきでそう言われたら、食べたくなってしまうではないか。
「ほら、食え。俺達の努力の結晶だぞ?」
「わ……分かったわよっ」
ええい、もう知るか。私は勢いのまま、レオンの指にぱくついた。少ししょっぱいのは、レオンの肌の味だろう。だけど、その後に広がるこの味は――。
私は、無我夢中でレオンの指についているそれを吸い取った。レオンが少しこそばゆそうな顔をしているが、もうそれどころではなかった。
「レオン! おかわり!」
「はいはい」
くすりと笑い、レオンがまた指にたっぷりと淡黄色のそれを取り、格子に指を突っ込む。私はもう遠慮なくレオンの指にしゃぶりつき、舌と唇で全て奪い去った。
目を閉じ、味を噛みしめる。思わず、涙がほろりと流れた。
「これよ……! これぞマヨネーズ……!」
「お、合格が出たな」
「レオン、もっと!」
さっきまでの食欲減退はどこへやら、私は今やおかわりの鬼と化していた。レオンがくすくす笑いながら、私にマヨネーズを与え続ける。
「ナタ、食ってていいから聞いてくれ」
「ん」
返事すらも惜しい私は、マヨネーズを口に含みながらそう答えた。
「明日、必ずお前をここから出す」
「んんん?」
「そう、明日だ」
さすがレオン、私の言いたいことが分かったらしい。次のマヨネーズを掬い取ると、また格子に指を突っ込んだ。
「だから、何を言われようが絶対あいつに屈するな。そして、俺を信じて、お前は俺の言うことにただ『はい』と言ってくれ」
「……ん」
よく分からないが、詳しく説明している時間はないということだろう。父もホルガーも協力しているのだから、そうそう変な計画は立てていないに違いない。
すると、遠くからピーッと小鳥の鳴くような音が聞こえた。
「ナッシュの合図だ。ナタ、最後食っちまえ」
レオンは目一杯指にマヨネーズを盛ると、それを格子の隙間に突っ込んだ。すると。
「あっ勿体ない!」
格子にべったりとマヨネーズが付いてしまったではないか。だが、レオンはお構いなしに指を上下させる。
「いいから先にこっちを食え」
「ん!」
私は大きな口を開けて一回でそれを口に含んだ。
「格子のも、舐めちまえ」
「ええ……」
「俺が舐めてもいいが」
「いいえ、これは私のよ!」
この小瓶に入ったのは全て私のマヨネーズだ! 私は意を決し、格子に顔を近付けた。すると。
レオンと私の唇が、合わさった。レオンは更に私の唇の上に付いていたらしいマヨネーズを舌でぺろりと舐め取ると、油絵の具の様な艷やかな青い瞳をキラキラさせる。
「うまいな」
「――っ!!」
「じゃあ、しっかり寝ておけよ。朝飯もしっかり食っておけよ」
爽やかな笑顔に少し照れを浮かべながらレオンはそう言うと、かあっと熱くなって何も言えなくなってしまった私にそう言った。
「……また明日会おう。必ず、助けるから」
レオンが切なそうにそう言うと、格子から手を離し、口の端に笑みを浮かべつつ横にずれ、窓をパタンと閉じた。
私は、今レオンに触れたばかりの自分の唇を、レオンが口づけた指で触れた。
次話は夕方投稿します。




