(58)合流
その日はもう何をする気力も起きず、私は出窓に座ると、鉄格子の外に見える星空をただぼんやりと眺めていた。
アルフレッドの狂気を垣間見た私は、これまでの自分の認識が、いかに独りよがりで浅はかなものだったのかと反省していた。
まさか、私に好かれたいと思っていたなんて、微塵たりとも思っていなかった。私の頭の中に、アルフレッドは近い将来アンジェリカと結ばれるという事実が、私にその可能性があることを気付かせなかったのだろう。
あそこまで思い詰めたら、もう誰もアルフレッドを止められやしない。あいつは、私が折れるまで待つつもりだ。どうせここからは逃げられやしないのだから。
私は膝の間に顔を埋めた。幼い頃の私は、まだ婚約破棄なんて先のことだと思い、美童だったアルフレッドを見ては素直にはしゃいでいた。教育係に怒られるので大っぴらに騒ぐことは出来なかったが、だから私はアルフレッドを好ましく思っていたのだ。
いつからだろう。それが気付けば、こちらに振り向いて笑いかけて欲しいと思う様になってしまったのは。だけどその後に来ると分かっている未来に、私の居場所がないことも分かっている。
だったら、お望みの通り完璧な王太子妃候補としての役割を全うし、悪役令嬢は速やかにアルフレッドの隣をヒロインに明け渡そう。そう思い、心を無にして努力したつもりだった。
鼻毛を見ていれば、あいつの顔を見ずに済む。見なければ、時折こちらを見る瞳とも目は合わない。合ったところで、どうせ蔑む様なものだと知っていたから。
今思えば、あれは苛立ちの眼差しだったのだ。何故こちらを見ないのかと、僕は王太子なのに何故蔑ろにするのかというものだったに違いない。
「ああもう……」
顔を上げ、空にぽっかりと浮かぶ月を、鉄格子越しに見上げる。綺麗なマヨネーズ色をしているが、ここから出ない限り、本物のマヨネーズはもう拝むことは出来ないだろう。
マヨネーズ色が滲んで、色んな色が目の中に反射している。まるで万華鏡を覗き込んでいる様だった。くるくる回して、見たかった模様は二度と見ることが出来ない。
あの日々も、そうやって消えていくのだ。
「う……うわああああんっ」
もう、今は以前の様に縋れる相手はいない。私をいつも守ってくれたホルガーも、背中を押してくれたレオンも、もう。
だから、私の涙は止まらない。泣いて泣いて、もう想いも何もかも全て流れてしまえばいい。そうして全て流れ尽くしたら、アルフレッドの望む様な人形にだってなれるのではないか。
もう、夢は見なければいい。全てを受け入れ、そして。
「……嫌! そんなの嫌よ!」
涙混じりの鼻声で、私は叫んだ。
嫌だ、もう夢は見てしまった。今更忘れることなんて出来ない。
私は月を見上げながら、涙をぐいっと腕で拭いた。ギリギリまで抗ってやる。父とホルガーが、きっと助けてくれる。それまで耐えるんだ、ナタ。
もうひとりの、黒髪のあの人の、撹拌して卵を撒き散らす様が急に目の前に甦った。困った様な、おかしいな、という笑顔。あの笑顔が、私は大好きだった。自然と、私の口角が上がる。
あの人の、二つの誓いが走馬灯の様に流れた。
私を必ずや守るという誓いと、私が心配するから怪我はしないようにするという誓いと。
もう、私のことは守らなくていい。だから、あの後怪我がなかったかだけ、知りたかった。
「負けるなナタ、負けるな……」
私は自分を鼓舞した。ここを抜け出し、ホルガーとレオンと三人で、完成したマヨネーズを食べるのだ。レオンがウルカーンに戻ってしまっていたら探すのは大変だろうが、必ず見つけて共に食べよう。至高の逸品を。
そうであれば、これからはしっかり食べ、体力を付けておかねばなるまい。今日はまともに食べられなかったが、明日から完食しよう。
私は新たな誓いを胸に、ベッドに移動するとしっかりと睡眠を取ることにしたのだった。
◇
ホルガーは、どんどん日の落ちる空を窓から眺めていた。
国王への謁見が許可されたと思ったら、謁見出来ないまま見慣れぬ部屋に連れて行かれ、訳も分からぬまま閉じ込められてしまったのが昨日のこと。
食事以外、人が訪れることもなく、給仕係に聞いても何も知らぬと答えるだけだった。
今日になってもやはり誰も訪れず、自分が軟禁されたことは理解し始めていたが、何故誰も何も接触してこないのか。それが謎だった。
狭い、ベッドと洗面所があるだけの、恐らくは兵達の短期宿泊用に設けられた一室。何度か外に向かって声を上げたりドアを開けようとしたが誰も反応せず、窓を開けて出ようとしたが、はめ殺しの窓で開かなかった。しかも格子状になっており、割ったところで体が入らない。上の方に風通しの為の小さな窓があったが、あの大きさではホルガーが通るのは無理だった。
蝋燭も灯されない、暗い部屋でホルガーはただひたすらにナタを思った。今日の分の手紙が届かないことで、今頃ホルガーに何かあったのではないかと心配をし始めているのではないか。
ナタは冷たい言い方はするが、実はとても情に厚く、優しい女性だ。そして泣き虫でもある。ナタが泣くと、ホルガーの胸は締め付けられる様に苦しくなるのが常だった。今頃、泣いていないだろうか。それが心配だった。
「ナタ……」
為す術もなくただ窓の外を眺めていると、ガチャ、と部屋の鍵が開けられる音がした。
ホルガーは急ぎ立ち上がると、少し身構える。
明るい廊下からこちらを見ているのは、見張りの兵の様だった。
「スチュワート卿、長らくお待たせしてしまい申し訳ございません」
「……どういうことだ?」
兵は、ホルガーと視線を合わそうとしない。
「ですが、この様な時間になってしまった為、本日の謁見は中止されるとの国王陛下のご意向です」
「は?」
「本日はお引き取り願います。謁見のご希望がございましたら、再度申請いただきたいとのことです!」
兵は早口でそう言うと、廊下で直立の体勢を取った。話は終わりということだ。
「スチュワート卿、出口はあちらとなります!」
常時にはいる筈のない人数の兵達が、廊下に直立していた。おかしなことをしたら、ただでは済まさないという意思表示だ。
アルフレッドの指示だろう。ホルガーを拘束している間に、何かをしたに違いない。何をだ?
「ナタ……まさか!?」
ナタの傍には、レオンがいた。だから、余程のことがない限り大丈夫だ、そう思っていた。だが、アルフレッドがこの強引な方法をナタにも取ったとしたら?
ホルガーの足が止まると、再び廊下に並ぶ兵がホルガーを呼んだ。
「スチュワート卿! 出口はあちらでございます!」
ホルガーが、相手が燃えてしまいそうな目つきでそう言った兵を見ると、兵は明らかに動揺し、目を伏せた。とにかく外に出せ、としか言われてないのか、それとも抵抗したら殺していいとでも言われているのか。
「……そうだな、お邪魔したよ」
ホルガーはそう言うと、城の外へと出て行った。
城の周りには、外部からの侵入を防ぐ為の水堀がある。正門から架けられた橋からだけ、唯一外に出ることが出来る。木製の跳ね橋は、有事には上げられて籠城することが可能だ。
今はその跳ね橋の手前と奥に、篝火が焚かれている。橋を渡り切る辺りに、小柄な白髪の老人がいるのが見えた。
「……シュタイン! 何故ここに!?」
「ああ、ホルガー様!!」
ホルガーが駆け寄ると、シュタインが倒れ込む様にホルガーに縋りついた。
「ホルガー様、申し訳ございません! 申し訳ございません!」
「どうしたんだシュタイン! 説明を……」
「ーー俺から説明する」
「……!」
篝火の向こう側から、背の高い黒い服を着た影が一歩前に出た。
「レオン……」
レオンがここにいる意味を、ホルガーは悟らざるを得なかった。
次話は昼頃投稿します!




