(53)アルフレッドの目的
私が話しかけると、思った通り、アルフレッドは止まった。
私までの距離は、あと一歩を踏み出して手を伸ばせば届く程度の距離まで近付いていた。あと一歩近付いたら、逃げよう。きっと今は、扉の鍵は開いているに違いないから、この一ヶ月で鍛えた足腰があれば、アルフレッドの横をすり抜けていくことも出来るかもしれない。
アルフレッドは答えない。何を考えているか分からない冷たい表情で、ただ私を黙って見つめているだけだ。
「私を拐った男は、王国騎士団の証である指輪をしておりました。王国騎士団を動かせるのは、王族だけです」
「……それがどうした」
返事も冷たい。私は勇気を奮い立たせ、続けた。
「陛下は、お風邪を召されて臥せっておいでだと伺いました。ですから、王国騎士団を動かされたのはアルフレッド様ですよね?」
「――ああ、ホルガーがお前にそう伝えたのか」
アルフレッドは、馬鹿にした様な笑みを浮かべた。こいつはいつもそうだった。私が意見を言うのを好まない。黙って笑っていることを強要した。
もう、そんなことはうんざりだ。
「ホルガーから事実は聞きましたが、推測したのは私です」
ピキピキ、とまたアルフレッドのこめかみが動く。
「お前はいつもそうだった……何でも知ってますという顔をして、僕を諭す様なことばかり言う。他の奴らみたいに、僕の顔色なんか窺わず、関係ないという顔をしていた」
アルフレッドが、一歩近付いてきた。私は、横に逃げようと思っていたのに、足がすくんで動けない。――拙い。
アルフレッドの両手が伸びてきたかと思うと、私の頭を掴んだ。ヒュ、と息を吸ったが、止まってしまい出てこない。
「いいかナタ。お前はこの先、アンジェリカの公務代行役としてここにいてもらう」
そのあまりの内容に、私は目を見開いた。アルフレッドの怒りと征服欲に満たされた顔が、すぐ近くに迫る。相変わらず、鼻毛はそよいでいる。鼻毛も金髪で、それが時折光を反射するから質が悪い。
「筋書きはこうだ。婚約破棄をされたお前は、僕のことを忘れられず、僕に許しを乞うた。心の広い僕はこれまでのことを許し、ただしアンジェリカはすでに僕の婚約者だから、妾として王城に留まらせて欲しいとお前が望んだのでそれを受け入れることにしたと」
「な……何を仰ってるんです……?」
言っている意味が分からない。何だこのご都合主義は。この男は、私が筋書き通りに動くとでも思っているのか?
怒りで、すくんでいた足が動くようになった。私はアルフレッドの手首を掴むと、外そうと躍起になる。そんな私を見て、アルフレッドは実に楽しそうに笑った。
「楽しいだろう? この僕を拒否したお前が、妾とはな。お前の恥辱に満ちた顔を早く見たいが、まずはお前が了承しなければ話は先に進まないからな。さあ、分かりましたと言え」
「そんなこと……了承出来る筈がありません!」
私がそう言った瞬間、アルフレッドの顔が怒りに染まった。掴んだ頭を上に引っ張り、自分の顔に近づける。苦しかった。
「いいから分かりましたと言うんだ。ゴードン・スチュワートだけじゃない、ホルガーも、お前の弟のオスカーもグレゴリーだって、皆お前が了承しないが為に爵位剥奪の上国外追放になるんだぞ!? お前が頷かない限り、ゴードンもホルガーもここから出ることは叶わない!」
その言葉で、父とホルガーが未だに拘束されていることを私は知った。こいつは、私を自分の都合のいい様に動かす為だけに、彼らを拘束したのだ。
爵位剥奪に国外追放。一体彼らが何をしたというのだ。それに。
「あ……アンジェリカ様のお気持ちはどうされるのです!? いずれは国母となられるお方ですよ! 妾が公務を代行するなど、許される筈がありませんでしょう!」
あんなにもアンジェリカアンジェリカと言っていたのに、どうしたらこんな彼女に対しても酷い仕打ちが出来るのか。アンジェリカに対する愛情だけは、それだけは真っ直ぐで誠実なものであると思いたかったのに。
「アンジェリカは!」
私の頭を引っ張りながら、アルフレッドは私と今にも触れそうな距離で叫んだ。苦しい、痛い。足が浮きそうに、いやもう殆ど浮いてしまっている。私が一体何をしたというんだ。大人しく婚約破棄を受け入れて、王都から出たからもう放っておいて欲しかったのに。目の端に、涙が滲んだ。痛い、苦しい。
「……アンジェリカは、ここ最近具合がよくない。これから后教育を施す予定だったのに、どんどん痩せ、食事も殆ど取れず、まるで呪われているようだ。なのに」
「うっ」
アルフレッドの鼻が、私の鼻に触れた。目は真っ直ぐに私を見て、怖いのに逸らせない。
「なのに、お前はどんどん元気になり楽しそうに過ごしているじゃないか。何故、僕から離れた途端そうなるんだ? まさかアンジェリカも僕から離れたいのか? アンジェリカはそうじゃない、そんなことないと言うが、皆僕から離れようとしているんじゃないか?」
「ア……アルフレッド様、苦しい……!」
身体が千切れてしまいそうだった。苦しくて、とうとう涙が流れる。それを見たアルフレッドが、唐突に手を離した。私は床に落ち、情けなくもその場に手をついた。はあ、はあ、と荒い息が出る。
「……少し考える時間をやろう。僕は慈悲深いからな」
「へ、陛下は……! 陛下はどの様にお考えなのですか!?」
私がそう尋ねると、アルフレッドは虫けらでも見るかの様な目つきで私を見下ろした。
「なあに、父はこれを機に、少し療養してもらう話になっていてね。出来る孝行息子だと喜んでいるよ」
「なっ……! 陛下まで閉じ込めていらっしゃるんですか!?」
アルフレッドが、にやりと笑う。
「人聞きの悪いことを言わないでもらえないか? 父がまだ全快していないのは確かだから、しっかりと療養していただくだけだ。――ナタ」
アルフレッドが、私の前にしゃがみ込むと、私の顎を持ち上げた。
「妾になった暁には、今度こそお前もちゃんと抱いてやる。お前が了承し次第、僕への忠誠を国王の前で宣言してもらうからな。アンジェリカには、多少は目をつむってもらわないとな。なんせ公務を代行してもらうのだから」
何を言っているんだ、この男は。私は愕然とし、何も言えなくなった。
アルフレッドは、私の顎から手を離すと立ち上がる。
「今度こそ、僕のことを拒否出来ない様にしてやる」
そして、私に背中を向けると扉へと向かう。私は咄嗟にその背中に声を掛けた。
「まず! まずは元老院や宰相様、それにホルガーの解放を! いたずらに国政を止めて、一体何になりますか! そもそも、私はもうここにこうしてとらえられております! 逃げることが出来ないのはアルフレッド様もよくお分かりでしょう!?」
アルフレッドが、ゆっくりと振り返る。
「ふむ……確かに、これ以上事を大きくする必要もないか。奴らを解放すれば、検討するというのか?」
「そもそもそれが為されなければ、私はこの件について検討は一切致しません!」
私は出来得る限りきっぱりとした口調で言った。最終的にイエスと言わなければ、きっとまだ条件を引き出せるのではないか。なら、まずは閉じ込められている人達の解放からだ。
それにアルフレッドも、国政を止めていると、復帰した国王に咎められるというリスクが存在するのは理解しているだろう。
影響を、私だけに絞れることが出来たら。
私はじっと待つ。
アルフレッドはしばらく考え込んでいたが、やがて頷いた。
「まあ、こうしてお前は手中に収めたしな。分かった、解放させよう。――その代わり」
アルフレッドが、にやりと笑う。小説のヒロインの相手役だというのに、これじゃ悪役だ。
「ちゃんと考えるんだぞ、ナタ。悪いようにはしないから」
ふ、と口の端で笑うと、アルフレッドは出て行った。途端、私の全身の力が抜けた。
次話昼頃投稿します!




