(51)目が覚めた場所は
目を覚ますと、真っ先にやってきたのはみぞおちの痛みだった。
「う……」
喉がカラカラだ。目を開けようとすると、気を失っている間半目だったのか、瞼が眼球に貼り付く様に感じた。何度か小さな瞬きをすると、ようやく視界が白から通常の色彩に戻る。そして自分が今一体どこに寝転がっているのかを確認する為、しっかりと目を開いた。
一瞬で、私は自分がどこにいるかを理解した。
数年過ごした部屋だ。見間違えようがない。
私は痛みというよりも気持ち悪さを我慢しつつ、のっそりと起き上がった。最後の記憶は、王国騎士団のはめていた指輪。あの人達は王命には逆らえないが、騎士としての誇りは持ち合わせている。過去の話とはいえ、王太子の婚約者であった公爵令嬢に対し狼藉を働くことはないだろうとは思ったが、念の為私は自分の服を確認した。
布団に隠れている服は、最後着ていた服のままだった。きれいなクリーム色のシンプルなドレスだ。マヨネーズの色に似ているから、マヨネーズ色だなんてレオンに言ったのを覚えている。
下着も別に何も問題はないし、身体もみぞおち以外は痛まなかった。経験のない私には正直分からなかったが、どこも痛くないということはそういうことだと理解した。
壁にある燭台の上に、終わりかけの蝋燭が揺らいでいる。まだ夜なのか。私は右側にあるのを知っている大きな窓の方を振り返り、――意味を悟った。
そこには、以前にはなかったものがあった。
色は、白いペンキで塗られていて一見それらしく見えない。だがその鉄格子は、手を外に出すことすら叶わない程きっちりと詰められているものだった。窓を開けようと思えば、下開きのそれは開けることは出来る。ただし、それは格子がはめられる前までの話だ。手も入れられないのであれば、開けることは叶わない。
何年もここで過ごした。王太子の婚約者として過ごした部屋だ。その格子以外は何も変わらないのに、それがあるだけで、私はここに囚われたことが分かってしまった。
「つ……」
痛む腹を押さえながら、私はドアに向かった。大きな木の豪奢な扉。それにそっと耳を当て、外の音が聞こえないか耳を澄ました。何か男が話している声が聞こえるが、何を言っているかは分からなかった。恐らくは見張りであろう。
念の為、そっとドアノブに触れ、ゆっくりと回してみた。すぐに詰まった。やはり外から鍵が掛けられている。
これは経験があった。あの意地悪な教育係の侯爵夫人が、幼い私が泣いたりすると、泣き止むまで開けない、とこうして閉じ込めたから。
私はドアの前にしゃがみ込むと、父とホルガーは一体どうなったのだろうとぼんやりと考えた。彼らも私と同じ様に、王城のどこかの部屋に閉じ込められているのだろうか。私の目に、じんわりと涙が滲み始めた。
すると。
ざわざわ! と外が一瞬で騒がしくなる。聞き慣れた、命令することに慣れた高圧的な声。
私は急いでベッドに戻ると、布団を被って扉に背中を向け、寝たふりをすることにした。私はまだ気絶している、だからまだ一度も起きてはいない。ここがどこか、まだ分かっていない。
目を瞑り自分に言い聞かせ、背後から来る者を拒もうとした。だけど、あいつはやってきた。
「アルフレッド様! ですが……!」
「いいから開けろ!」
やっぱり我慢出来なくて、私の目から涙が溢れた。やっぱりあの人だった。どうして、どうして。ぐるぐるとした思いが私の中を巡る。
ガチャ、と扉が開けられる音がした。
この部屋の絨毯の毛足は長い。だから足音が聞こえない。今一体奴はどこまで近付いているのかさっぱり分からないが、鼻息が鼻毛の隙間を通る音で距離を測れないだろうか。
私は動かない。いや、動けなかった。怖かった。どうしてこいつが私に会いに来たのか、さっぱり分からなかった。私はもうアルフレッドにとって要らない人間な筈だ。この小説に婚約破棄後の悪役令嬢の安否は記されていなかった、と思う。何度も思い出そうとした、だけどやっぱり分からないから、記述されていなかったのだろう。
だが、普通に考えて、呼び戻す必要などあるか? しかも、これはどう考えても拉致監禁だ。犯罪行為である。そこまでやばいことをするとは思っていなかったが、実は相当やばい奴だったのか。
考えてもどうしようもないようなことをぐるぐると考えていても、アルフレッドは一向に立ち去る気配がない。一体何をしているんだろう、私がそう訝しんでいると、アルフレッドがぼそりと呟いた。
「……なんだ、全然元気そうじゃないか」
がっかりしたような声色だった。それを聞いた瞬間、私の心が凍りつく。何度も聞いた、アルフレッドが私を蔑む言葉を言う時の声色だったからだ。
「……ふん」
アルフレッドはそれだけ言うと、廊下に向かったらしい。バタン! と重い音がし、空気の流れが止まった。
私は待った。今は駄目だ。せめて百を数えよう。そうしたら、きっとその間に気持ちも落ち着くだろうし、あいつも遠くにいく筈だ。
私は、ゆっくりと数え出した。
目を閉じると、そこは見慣れたレオンの家。レオンの撹拌の音に、振り返ればホルガーがテーブルに座って熱心に記録を付けている姿が見えた。
まるで平和の象徴の様な過去の産物に縋るしか、今を乗り越える術は残されていなかった。
次話は夜投稿予定です。




