(40)ウルカーンの紅茶
コンコン、とドアがノックされる。ノックの後、すぐにシュタインが部屋へと入ってきた。
「まずはお飲み物を」
レオンは客人だ。その辺り、シュタインはきちっとしているので、何も構いもせずいきなり本題だなんてことはしない。例えそれが緊急時であろうと、きっとそうに違いないと思った。それ程に、この老人は真っ直ぐでぶれない。ていうかやっぱり中身ロボットなんじゃないかと思うが、今度ちょっとどこかをつねってみてもいいだろうか。
高級そうな香りの紅茶が淹れられると、レオンがカップを持って香りを嗅ぐ。
「これは……懐かしい香りだ」
そう言って、そっと口を付けた。
「懐かしい?」
私も紅茶の香りを嗅いでみたが、よく分からない。私の味覚や嗅覚は、あまり繊細ではないらしい。まあマヨネーズの様なギットギトのものを好むくらいなので、当然なのかもしれなかった。
レオンが静かに嚥下した後、微笑む。
「これは、ウルカーン産の茶葉だ、違うか?」
レオンの問いに、シュタインが深々とお辞儀をした。
「左様でございます。よくお分かりで」
「粗悪品が出回ると大変だからな、たまに視察に行ってたんだ。お腹がタプタプになるまで飲むからなかなか辛いものがあってな」
はは、とレオンが笑う。視察するということは、レオンはどこかの領主の息子なのだろう。育ちがいいと思ってはいたが、これならば確かに駄目令嬢の烙印を押された私のひとりくらい、面倒は見れるのだろうと納得した。
私は、紅茶を愉しんでいるレオンを横目で見る。何から何までおんぶに抱っこはさすがに頼めないし頼みたくもないが、独立の第一歩となるマヨネーズ工房を立ち上げる際の地盤固めに協力してもらう程度なら、きっとレオンなら快く引き受けてくれるに違いない。
さすがにウルカーンに行ったら、レオンを撹拌担当としてこき使うことはレオンの立場もあるだろうしもう出来ないだろうが、工房の土地の算段くらいなら何とかなりそうだ。
そう。私は、もうすっかりウルカーンに行く気満々になっていた。悪いが、私はそんじょそこらの令嬢とはそもそも質が違う。独立することへの畏怖は、私に限っては存在しなかった。何故か。
前世では、ブラック企業で心身ともに疲れ果てるまで労働をしていたので、働く大変さも大切さも身に沁みて分かっている。普通の令嬢ならまずしない掃除洗濯だってやってきたし、この世界は旧式なので多少覚えないといけないことはあろうが、そこはある程度支度金を父からせしめれば最悪家政婦のひとりを雇えば済む話だ。
料理も自分で出来るし、物価も眺めていれば大体把握出来る程度の庶民感覚は持ち合わせている。ならば、公爵令嬢という重い鎧はこの際脱ぎ捨てて、一庶民として事業立ち上げを行なった方がいいのではないか、と思い始めていた。
何故なら、マヨネーズは高級品ではないからだ。舌の肥えた貴族達よりも、日頃質素な生活を送っているであろう庶民にこそ、マヨネーズの良さを知ってもらいたい。つまり、商売相手は庶民ということだ。だったら、貴族の肩書は邪魔になるだけなのではないか。
その為にも、まずは父を王城から連れ戻さねばならない。元老院内で一体何を揉めているのかは知らないが、父に全面協力をしてさっさと案件を片付けさせ、そしてマヨネーズ完成と共に私はこの国を去るのだ。
ホルガーと離れるのだけは、少々、いや大分辛くはなるが。
私は唇をぎゅっと噛み締めた。いや、私がいつまでも傍にいては駄目だ、だからホルガー離れをするのだと先程自分に誓ったばかりじゃないか。ここは心を鬼にして、例えホルガーが泣こうが喚こうが、私はホルガーを解放してみせるのだ。
私はくいっと残りの紅茶を飲み干すと、シュタインを見上げた。
「シュタイン、ホルガーからの手紙を見せて頂戴」
「はい、こちらに」
しっとりとした触感の布に包まれた封書を、シュタインが差し出した。
私はそれを受け取ると、封を切って中を取り出す。
「俺にも見せてくれ」
カップをソーサーの上に置いたレオンが、私に肩を寄せてきた。正直、何が書いてあるかを見るのは怖い。何かとんでもないことが起きているのではないかと、つい想像が悪い方に向かっていってしまう。
私は長く息を吸うと、ホルガーの手紙を開いた。
次話は明日投稿予定です。




